プロ球界(埼玉西武ライオンズ)から引退した綱島龍生さん(21、糸魚川白嶺高出)は昨年11月に故郷の糸魚川市に戻り、実家で過ごしている。高卒で4年間、最高峰の舞台での活躍を目指し練習に明け暮れてきた。現在はバットとグラブを置き、地元で「次に進む道」を模索している。今月11日、母校でインタビューした。
―糸魚川に戻ってからどのように過ごしていますか。
家にいて、ジムに行ったり、ゴルフ(打ちっ放し)で体を動かしたり、家のことを手伝ったり、応援していただいた方々にあいさつ回りなどをしています。地元の皆さんから、4年間お疲れさまと優しい言葉を掛けていただき、とてもありがたく、うれしいです。
―きっぱりとプロの引退を決断した理由は。
もともと、プロ野球に入る時に、球団から要らない、戦力外と言われた時には辞めようという覚悟でいました。いざ言われた時にその気持ちは変わりませんでした。言ったらあれですが弱小高校から見つけてくれ、4年間ずっとやらせてもらったライオンズには感謝しています。長くずっと続けるのが一番いいですが、ライオンズでというのが僕の中にあり、(他チームでのプレーは)考えられませんでした。コーチの方からも、良くなってきているのにもったいないと言われましたが、自分の意思は変わりませんでした。
―プロの4年間の思い出は。
糸魚川から出たことがなかったので、入寮の際はめちゃくちゃ不安もありましたし、1年目はプロの世界に慣れる、付いていくのに精いっぱいでした。練習量や緊張感は今までの野球環境とは全然違いました。苦しい時もあったけど、1軍に出たのが一番の思い出です。同級生の平良(海馬)らと一緒のフィールドに立てて、あいつが投げている後ろで守れて、本当にうれしかったです。
―心残りはありますか。
しいて言うならもっと1軍で活躍したかった。あの舞台は独特な雰囲気があり、すごく楽しかったです。7試合、3打席ノーヒット(2三振、二飛)だったので、ヒットを打ちたかったですね。
―プロの世界、1軍の舞台の印象は。
普通に社会人や仕事に就いていたら、経験できない。華やかというか、夢のある世界。半面、2軍は泥くさく、必死。華やかな世界に行くための苦しい場所。1軍はこれがプロ野球なんだと感じました。舞台も実力も、全てが2軍とはレベルが違いました。
毎日悔いのないように野球だけを考えてやってきました。要らないと言われるまでは全力で過ごそうと決めていました。プレッシャーは常に感じながら、4年目の昨シーズンは、いつクビになってもという覚悟でキャンプから過ごしてきました。
―引退を決めた時のコメントでは「今後は違う道を目指す」としていましたが、今はどう考えていますか。
地元の糸魚川で働こうと思いますが、まだ就職先は決まっていません。ゆくゆくは小学生だったり、中学、高校、何でもいいですが、糸魚川という地域で野球を盛り上げたいです。同級生でチームをつくって、県大会や全国大会に行けたら楽しそうだなとも思います。
―西武に育成枠で入団した滝澤夏央選手(関根学園高3年)にメッセージは。
一緒に二遊間を組めれば楽しかったと思います。自分の長所、守備や体の小さいことを逆に利用したいと書いてあったのを見たので、そこを伸ばして頑張ってほしい。背が小さくても生きる道はあると思います。
―地元糸魚川の野球ファンや市民へメッセージを。
大した活躍はできませんでしたが、応援してもらい、力になりました。(引退して)帰ってきた時に快く、お帰り、お疲れさまと優しく声を掛けていただき、本当に気持ちが楽になったというか、うれしかったです。こんなにも応援してもらって幸せです。ありがとうございました。
糸魚川白嶺の恩師、丸山卓真監督
残念だが、本人の決断が一番、その道を信じていってほしい。21歳、まだまだこれからなので、今は身体を休めて、次の人生を歩んでもらいたい。いずれ指導者になって、小中学生に夢を与えてほしい。
おわり
令和2年2月から連載してきた当企画は、綱島龍生さんの今後の活躍を期待し、今回で終了します。ご協力いただいた埼玉西武ライオンズ、スポンサーの方々、応援いただいた方々に感謝申し上げます。