新庄氏は「気ばっかり遣っていた」 ド派手パフォを後押しした“戦友”が語る素顔

ゴレンジャーのマスクを被って登場した日本ハムの選手たち(新庄監督は黄色)【写真:共同通信社】

“スパイダーマンのマスクでシートノック”の舞台裏

1968年の創設以来、54年の歴史を誇った日本女子ソフトボールリーグが、今年から東西2地区制・計16チームによる「JD.LEAGUE(JDリーグ)」に生まれ変わる。チェアマンに就任したのが、プロ野球・日本ハムで常務取締役球団代表など重職を歴任した島田利正氏。現在球界を席捲している“ビッグボス”こと日本ハム・新庄剛志監督とは、今も固い絆で結ばれている。

「新庄がいま日本ハムの選手たちへ向けて発信している言葉は、ソフトボールの選手たちも聞いておいた方がいいと思います」と島田氏。ビッグボスのスピリットは、競技を超えて見習う価値があるようだ。

1978年に英語通訳として日本ハムに入団した島田氏は、2004年にチームが東京から北海道に移転した際、球団戦略室長として重要な役割を担った。移転初年度の目玉としてメジャーリーグから迎えたのが、現役時代の新庄監督だった。

「島田さん、これをかぶってシートノックを受けたいのですが……」。同年7月25日、東京ドームで行われた日本ハム-オリックス戦の試合前に、新庄氏から相談を受けた。手には米映画「スパイダーマン」のマスクが握られていた。島田氏は「いいね、おもしろいね」と応じたが、しばらくすると、新庄氏は気落ちした様子で「審判に聞いたら、ダメだって言われました」と報告してきた。同一チームの選手は同一のユニホームを着用すると定めた野球規則に抵触すると見られたからだ。

それでも島田氏は「俺がいいって言ったのだから、いいよ!」と背中を押した。こうして、試合前のシートノックで“新庄かぶりものパフォーマンス”が実現。球界に大きな話題をまいた。同年9月20日、札幌ドームで行われたダイエー(現ソフトバンク)戦の試合前には、同僚外野手を誘い計5人で「秘密戦隊ゴレンジャー」のマスクを着用するアップデートを見せた。

新庄氏のパフォーマンスは徐々に派手さを増し、入団3年目の2006年には、ハーレーダビッドソンを運転して登場。さらに札幌ドームの地上約50メートルの屋根から、小型ゴンドラに乗って地上まで降りてきたこともあった。

JDリーグのチェアマンに就任した島田利正氏【写真:宮脇広久】

新庄監督から「恩返しでソフトボールのために何かしたい」との申し出も…

一連の前代未聞のパフォーマンスで、当時の新庄氏には独断専行のイメージが付いて回ったが、素顔は違う。島田氏は「全て事前に、僕に言いに来てくれていました。わがままということは全くない。逆に彼は気ばかり遣っていましたよ」と証言する。「屋根から降りる時には、僕は『リハーサルをしなくて大丈夫か?』と聞いたのですが、『リハーサルをしたら、怖くなって本番ができなくなっちゃいますよ』と言っていました」と笑う。北海道移転直後の滑り出しで、ファンの興味を引こうと必死だったのだ。

そんな新庄氏の指揮官就任は球界関係者、ファンの多くを仰天させたが、島田チェアマンは「僕はもともと、トライアウトの時点でファイターズが獲得すればいいのにと思っていました」と事もなげだ。新庄氏は2020年12月、引退後14年目・48歳にして現役復帰を目指し、12球団合同トライアウトに参加。適時打を放ってみせたが、獲得に名乗りを上げる球団は現れなかった。

「新庄は“全力でやることこそカッコイイ”と考えるタイプです。現役時代、ベンチから外野守備へ向かう際に全力疾走し、これに同じ外野手の稲葉(篤紀・現GM)、森本稀哲(現野球評論家)がならい、3人そろって走るようになった。そこがファイターズのいい所といわれるようになりました」と島田氏は語る。

「ところが、1人抜け、2人抜け、そういう雰囲気は薄れていった。いつの間にか、凡ゴロを打った際に全力疾走を怠り、変に手を抜く選手が散見されるようになった」と指摘する。「そういう意味で、新庄は最高の監督だと思います。チームを雰囲気から立て直してくれるでしょう」と確信している。

ビッグボスに戦略・戦術を駆使する印象はないが、その部分でも島田氏は「彼は全部考えながらやっています。派手ですっ飛んだパフォーマンスも、実は全部考えながらやっていた。こう言うと本人は凄く嫌がるのですが、本当は戦略家ですよ」と評する。

島田氏が牽引するJDリーグは今年3月28日、ZOZOマリンスタジアムで記念すべきリーグ開幕戦(ビックカメラ高崎-トヨタ自動車戦)を行う。実は新庄監督から「恩返しでソフトボールのために何かやりたい」と申し出を受けたが、熟慮の末に断った。「気持ちは凄くうれしかったけれど、今ビッグボスにやってもらうと(話題を)全部持っていかれてしまう。(新庄フィーバーが)収まってからにしようということになりました」と説明する。その場限りの観客を集めても意味はない。足元を見つめながら、着実にソフトボール人気を盛り上げていく考えだ。

日本ハムではチームの北海道移転を成功させ、“新庄パフォーマンス”を陰で支えた島田氏。ソフトボール界に身を投じても、黒子に徹する姿勢は変わらないが、胸に秘めた活性化への思いは熱い。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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