「韓国名門大卒のエリート教師、女性生徒22名を暴行し男子生徒1人を殺害」韓国放送局が42年前の事件を検証

韓国の名門大卒の体育教師が女子生徒20人以上を暴行し男子生徒1人を誘拐殺人した1980年の事件を韓国テレビ局が特集した。犯人が名門大卒だったことから、捜査が難航した様子などを伝えた。

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20日に放送されたSBSの芸能番組「尾に尾を噛むその日の物語」は、1980年に韓国で起きたイ・ユンサン君誘拐殺人事件について取り上げ、犯人のチュ・ヒョニョンの犯行などを検証した。(当時はイ・ウジンという仮名で報道された)

1980年11月13日、ソウルのある家庭に「あなたの息子を私が水原に監禁した。息子を探したいなら4000万ウォンを準備しろ」と要求する電話がかかっていた。拉致された子供は当時中学校2年生のイ・ユンサン君だった。

SBSの当該報道キャプション/ユンサン君の遺体があった現場

ユンサン君はその日、バス停で学校体育先生に会う予定だった。体育教師はユンサン君が来ないため、大学院の授業のために移動したと述べた。目撃者は一人もいなかった。

ユンサン君は全校で成績1位の優等生であり、学生会長も務めた板。体育教師は事件後、放送で涙を流しながら子供を返してくれるよう訴えた。当時の全斗煥大統領まで捜査を促すほどの大事件だった。警察だけで約2万3千人が動員されたが、半年が経っても手がかりも一つ探せなかった。

捜査班はようやく体育教師に嫌疑をかけた。体育教師の名前はチュ・ヒョンニョン。年齢は当時28歳。ソウル大出身のエリート教師で家柄も良く、教師間での評判も良かった。生徒たちからも人気のある教師であり、結婚して子供も二人いた。予備役の陸軍中尉でもあった。

警察は体育教師に尋問を行い、ユンサン君の失踪当日、大学院の授業に行ったというアリバイについて再度確認した。ところがその日、体育教師は出席チェックのみ行い、すぐに退出したという証言が新たに出た。アリバイに少なくとも2時間の空白が生じた。

これを追及するや体育教師は「実は嘘をついた。その日、新村(シムチョン)で女といた」と告白した。いたという女性もそのように証言した。しかし、その女性は17歳の未成年者だった。二人は女性が中学生だったときに師弟関係だったことも分かった。

SBSの当該報道キャプション/事件の経緯に涙を流すゲスト

刑事は女子生徒の中学校を調査したところ、体育教師と関係のあった生徒が一人ではなく、実に22人に上ることが明らかになった。この教師は当時、女子生徒を宿に連れて行って暴行した後、これを恋愛であると洗脳した。

警察は体躯教師を嘘発見器にかけた。韓国で嘘発見器が捜査に投入された初めてのケースでもある。体育教師にユンサン君の手袋を見せ心理状態を聞いたところ再陳述で誘拐を認めた。事件が起きてから1年が経っていた。ウジンは京畿道加平の川辺に埋められた状態で発見された。拉致当日あるいはその翌日に死亡したと推定された。

体育教師チュ・ヒョニョンの誘拐動機はギャンブルで作った借金1800万ウォンだった。彼は逮捕後も、法廷でも自分が殺したのではなく、ユンサン君が自ら死んだと主張した。殺人罪ではなく遺棄致死罪を適用してほしいと訴えたが、8カ月後に死刑が執行された。

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