セルティック移籍の旗手怜央、川崎Fでの2シーズン目に秘め続けていた覚悟「勝負の年だと…」

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●2021シーズンに感じた手応えと背番号「47」にした思い

黄金時代を築きつつある王者・川崎フロンターレからまた一人、期待の若武者がヨーロッパへ羽ばたいた。順天堂大から加入して2シーズン目を戦い終えた24歳で、昨シーズンは日本代表にも初選出された旗手怜央が、スコットランドの名門セルティックへ完全移籍した。FW登録ながら左サイドバック、インサイドハーフとしてフル回転し、連覇へ貢献した昨シーズンはベストイレブンを初受賞。セルティック移籍へまだ多くを語れない時期に応じたインタビューでは、川崎での2シーズン目で胸中に秘め続けた覚悟や、ひと足早く昨夏に旅立ったMF田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)、FW三笘薫(ユニオン・サンジロワーズ)へ抱く思いを熱く語っていた。

――連覇を達成し、個人としてもベストイレブンを初めて受賞しました。

2020シーズンは試合にあまり絡めず、結果も出せていなかったので、自分は関係ないだろうなと思っていました。2021シーズンも取れるという確信はありませんでしたが、開幕からの積み重ねに対する手応えはありました。しっかりやってきたという自信と、受賞の報告を受けた時に素直にうれしいと感じられた2つの思いがありました。

――圧倒的な強さで優勝した2020シーズンは、大卒ルーキーとして31試合に出場。そのうち先発が14回、プレー時間が1480分だった中で、ベストイレブンには川崎フロンターレから9人もの選手が選出されました。歴代で最多となる人数です。

本当にすごいと思うのと同時に、その中へ入れなかった悔しさも確かにありました。ただ、それよりも受賞できる自信そのものがなかったので、そこは自分だけにベクトルを向けて「仕方がないと思うよりも、もっともっとやれ」と言い聞かせました。

――2021シーズンは出場した30試合がすべて先発で、プレー時間も2523分と大きく伸ばしました。おそらくFW登録されている関係でFW部門の受賞だったと思いますが、個人的にはどのポジションで最も評価されたと思っているのでしょうか。

どこなのでしょうか(笑)。前半戦は左サイドバックで、後半戦はインサイドハーフでプレーした中で、ほとんどプレーしていなかったFWで選んでもらっていいのかなという思いも正直ありましたけど、選ばれること自体はすごく光栄であり、たとえ出ていないポジションだとしても「僕だったらできる」という自信が今はあるので。

――ちなみに、3つのポジションで一番自信があるのは。

後半戦のインサイドハーフが、自分を一番出せるんじゃないかと。

――日本代表も10月から川崎と同じく、中盤にインサイドハーフを置くシステムを採用しています。その中で初招集された11月の2試合をあらためて振り返ると。

フォーメーションは同じでもやっているサッカーは違いますし、その中で2試合ともベンチ入りできるメンバーの中へ入れなかった屈辱を味わいました。いい経験をしたという思いもありますけど、それ以上にあの時は屈辱的な気持ちになった方が強いですね。みんなが試合へ向けて準備をしている中で、いざ試合になってベンチ外というのは選手ならば誰でも悔しい気持ちを抱くと思うので。それは今でも持ちあわせています。

――川崎での2021シーズンを振り返りたいと思います。まずは素朴な疑問として、背番号をルーキーイヤーの「30」からチーム内で最も大きな「47」に変えました。実績を残して若い番号に変えるのが一般的な中でちょっと驚かされました。

高校の3年間、練習試合用のユニフォームで着けていた背番号が「47」なんです。僕自身、今年は勝負だと思って、かなりの覚悟を決めて実は臨んでいました。今の僕があるのは高校3年間のおかげだし、その意味で初心に返るわけじゃないですけど、高校時代の番号を付けてもう一回頑張ろうという思いがありました。

――加入2年目なのに勝負の年と位置づけた理由は何なのでしょうか。

1年目の試合数であるとか結果という部分を、まぐれにしたくなかったというか。1年目だから出られたのではなくて、1年目がああならば2年目もそうなるよな、というシーズンにしたいという思いがありました。加えて東京オリンピックもありましたし、個人的には、報道されているような(海外移籍の)チャンスが巡ってくるかもしれない、という可能性もあったので。なので、ここは覚悟を決めようと。

●三笘&田中の移籍が成長のきっかけに「自分が引っ張らなければ」

――実際に東京オリンピック代表にも選出されましたが、大会を4位で終えて川崎へ戻ってきた8月以降で、明らかにパフォーマンスが変わったように見えました。

東京オリンピックを経験して勝つことの重要性をあらためて痛感しましたし、あとは夏に(三笘)薫と(田中)碧が移籍しましたよね。チームとしては大打撃だったかもしれないですけど、自分にとっては成長するきっかけを作ってくれたというか。どこかあの2人に任せていた部分もあった中でいなくなって、自分だけがオリンピックからチームへ帰ってきて、ここからは自分が引っ張っていかなければいけないんだ、という思いになった。やはりそこが一番大きかったと思います。

――東京オリンピック後のアビスパ福岡戦で、今シーズンの初黒星を喫しています。2位の横浜F・マリノスに猛追された8月下旬が、一番苦しかった時期なのでしょうか。

あの時もそうですけど、9月に入ってすぐにYBCルヴァンカップ、ACLとわずか2週間で2つのタイトルを失った時が一番苦しかったんじゃないかと。僕自身は怪我でルヴァンカップにもACLにも出られなかったので、ものすごく不甲斐なかったというか。たらればの話になってしまいますけど、もし自分がルヴァンカップやACLでプレーできていたら、と思ってしまうこともあった。あの時期は個人としてもチームとしても、本当に苦しい時期だったと今でも思っています。

――ただ、ACLを戦った韓国から帰国した直後から、川崎の勝ち方が変わってきました。昨シーズンから今シーズンの前半にかけての攻守両面で相手を圧倒する勝ち方から、しぶとく、執念をむき出しにして最後に逆転する勝ち方が増えました。

それこそACL後の5連戦へ臨む前に、オニさん(鬼木達監督)が「この5連戦が優勝を争う上で一番重要だ」と話をされた時に、僕自身も「ここでひとつでも落とせば本当に苦しくなる」と感じました。チームとして特に戦い方が変わったというわけではなくて、試合を重ねるごとに団結力というか、耐え抜く力であるとか、チームとしての総合力というものがすごく強くなった、という思いがありましたね。

――王者として「簡単に負けてなるものか」というがむしゃらさも。

優勝したチームは次のシーズンに、ユニフォームの左袖に金色のJマークを付けるんですね。それを付けられるチームはそのシーズンに1チームだけだし、僕はそのJマークにものすごくプライドを持っていました。みんながどのように思っていたのかは分からないけど、僕自身は「ここで負けてたまるか」という思いを常に強く持っていました。

――そうした思いの積み重ねが、優勝を決めた浦和レッズ戦後の号泣になったと。

あれはけっこういじられましたね。ただ、結果だけを見ると圧倒的だったかもしれないけど、一戦一戦で苦しい時間が多かったと僕たちは感じていたし、シーズンを通しても耐えなければいけない時期が長かった。それらを乗り越えて優勝した時にみんなが喜んでいる姿を見て、この1年間頑張ってきて本当によかったなと思えて。それが自然とああいう姿になったという感じですね。僕は感情を表に出すタイプですけど、それでも人前で泣いたことがほとんどなかったので。ああなったのは初めてでした。

――三笘選手や田中選手からもSNS上でいじられていました。

2人からも「泣きすぎ」といじられました。実際には返信していませんけど、心の中では「お前らがおらんようになったから苦しいねん」とつぶやいていました(笑)。

――その2人から東京五輪、そして11月に再会した日本代表で得る刺激は。

一緒にやっていたからこそ、特に大学から一緒にやってきた薫の活躍は僕の刺激になってきたので。あいつが頑張っているから僕も頑張ろうとなりますし、それはお互いにそういう気持ちにはなっているのかなと思います。

●中村憲剛から受け継いだもの「これからも大事にしていきたい」

――川崎の歴史を語る上で欠かせないレジェンドとなる、2020シーズン限りで引退した中村憲剛さんから受け継いだものをあげるとすれば。

同じインサイドハーフなのですごく見ていましたけど、いい意味で無駄を省くというか、動き過ぎない。周囲からはサボっているように見えていて、実はものすごく考えてプレーしている。そこはすごく学びましたし、憲剛さんから教わった「止めて、蹴る」の重要性を2021シーズンも改めて感じました。その2つはこれからも大事にしていきたい。

――2021シーズンもいろいろと話をされたのでしょうか。

けっこう練習場にも来てくれて、それこそ東京オリンピックから帰ってきた時も「頭の切り替えがすごく大事だよ」と声をかけてもらいました。ピッチの上で100%のプレーをするためには、ピッチ外でのリフレッシュが大事なんですよね。僕自身もオリンピックから帰ってきてすごく苦しんだ中で、メンタル面の準備やオフの使い方といったピッチ外の部分を、憲剛さんから改めていろいろと学ばせてもらいました。

――大きく成長していく先には、2022年秋のカタールW杯も見据えていくと。

東京オリンピックの時もそうでしたけど、あまり先を意識しないというか。本当にひとつひとつの練習や試合をこなしていく先に、そういうものがあると思っているので。僕としては日々を全力で頑張っていきたい、という思いの方が強い。特にインサイドハーフというポジションは個人的な結果が、もっともっと上に行くためには必要なので。ゴールやアシストという目に見える数字の部分を、今は課題にしています。

――「もっともっと上に行く」とは、三笘選手や田中選手がひと足早く旅立ったヨーロッパの舞台で、再び切磋琢磨したいという思いも含まれているのでしょうか。

彼らが行ったから僕もどうこう、というのはないです。ただ、僕自身の成長のためというか、自分がどこまでできるのかが僕は楽しみでしかないですね。