四季折々の表情を見せる和風庭園を眺めながら、沼隈の海の幸や山の幸をじっくりと味わう、至福のひとときを過ごしませんか。
沼隈町にある隠れ家的なワインバーが「田丸屋」です。
2階にはパンとお菓子の店「ルヴァンヴェール」、そしてすぐ近くには酒屋の「田中商店」があります。
「お客さんが何を欲しているか、それを考えるのがサービスの基本だから、うちはずっとアナログで行きたいんです」
そう語るオーナーが経営する3つの店のストーリーと驚きを、紹介しましょう。
ワインバー「田丸屋」
道路からは店の存在にも気づかない、隠れ家のような店が「田丸屋」です。
食べる前から仕掛けられるいくつもの驚き
駐車場の隅にある看板が目印です。
通路を奥へと進むと、ようやく店らしい雰囲気に。
この先が入り口です。
ドアを開けると、また細い通路があります。ワクワク感が高まりますね。
通路を抜けて見えるのは、落ち着いた雰囲気の店内と、そして庭です。
床の間には、掛軸と花。
デザイン書家の高田優子さんとビジョンプロジェクター田中美紀さんの合作のふすまは、スタッフからの贈り物だそうです。
食べる前からいくつもの驚きが仕掛けられていました。
田丸屋の平日ランチ
平日(木・金)のランチメニューは3種類です。
平日のランチメニュー
・田丸屋ランチ(15食) ¥1,500(税込)
羽釜で炊いたおむすび 内海の一番海苔 酒屋の粕汁
おばんざい(日替わり) 漬物
・日替わりカレー(5食) ¥1,500(税込)
寺田シェフの特製カレー2種 アチャール2種
・スープランチ(5食) ¥1,500(税込)
季節のスープ サラダ ルヴァンヴェールの天然酵母パン2種
料理が出てくる前に、徳利(とっくり)を持った店員さんがテーブルへ。
戸惑っていると、「これは料理に使っているお出汁です」と注いで去っていきました。
お出汁のテイスティングは初めての経験です。
おそるおそる味見してみました。うん、旨い。
これも驚きの仕掛けですね。
注文した「田丸屋ランチ」が運ばれてきました。
まずは、酒屋の酒粕を使った粕汁をすすります。
野菜と出汁の旨味を酒粕が包んでいるような、心からホッとする、そして身体の中から温めてくれる、そんな粕汁です。
春菊のサラダには、菊芋のチップスと、紅まどんなというオレンジ、干し柿をトッピング。
春菊の鮮烈な香りと果物の甘味を、豆腐をベースとしたドレッシングがうまくまとめています。
じゃがいもとさつまいものサラダは、ヨーグルトで味を整えられていて、これもまた印象に残る味でした。
塩むすびに使っているのは、熊野町産のお米です。
毎朝、羽釜でふっくらと炊き上げています。
黒々と輝くのは、内海町にあるマルコ水産の一番海苔です。
一番海苔とは、シーズンの最初に収穫する海苔のことで、歯切れも食感も素晴らしく、風味も格段に良いのだとか。
シンプルな塩と海苔のおむすびは、最高のご馳走です。
続いて出てきたのは、れんこんボール。
れんこんと百合根が入っており、出汁とカブのあんがとろりとかかっています。
ふんわりと、それでいてしっかりとした食感で、どんどん箸が進みました。
「ルヴァンヴェール」のパンを美味しく食べてもらうためのスープランチも、季節と地元のものを使って作られています。
ポタージュは、昆布とカツオとしいたけとドライトマトを出汁にして、山田米でとろみをつけているのだそうです。
焼き白菜とマグロのサラダは、焚き火で焼いた白菜の香ばしさが心地よい一品。
メインである天然酵母のパンは、これまで食べていたパンのイメージをひっくり返すほどのインパクトがあります。
田丸屋のディナー
ワインバー田丸屋では、さまざまなワインが楽しめます。
ワインが好きでワインに合うものを熟知しているシェフだからこそ作れる料理も、田丸屋のストーリーと驚きの一つです。
ディナーはコースメニューのみとなっています。
2021年12月のディナーを紹介しましょう。
前菜は、ペルー料理のセビーチェ(魚と野菜のマリネ)。
スパイスとハーブの香りで食欲を刺激して、コースが始まる仕掛けです。
天然酵母パンには、塩麹バターが添えられています。
このバターがまた素晴らしく、これだけをいつまでも食べていたくなるほど。
タケノコイモのスープは優しい味です。
薪(まき)の火で焼いた菊芋とビーツと人参が、やわらかく甘くお腹と心を満たします。
ニンニクの香りをまとった、しらすと海苔のパスタ。
一番海苔の旨みがたっぷりと味わえます。
スズキのポワレと焼きハマグリです。
スズキの身の表面はカリッと中身はフワッとして、ヨーグルトをベースとしたソースとの絡みも最高でした。
ハンバーグは、添えられたじゃがいもとかぼちゃのペーストをつけて食べるとちょうどいい味になるように、計算されています。
食後に、コーヒーとプリンを追加しました。ほろ苦いカラメルソースがかかった口溶けのよいミルクプリンは、ルヴァンヴェールの人気スイーツです。
自家製酵母パンとお菓子の「ルヴァンヴェール」
ランチを終えたお客さんは、ほぼ例外なく2階へ上がっていきます。
2階から眺める庭はまた別の趣
田丸屋の2階を改装して2021年6月にオープンしたルヴァンヴェール。
ハンドドリップのコーヒーを飲みながらゆったりとくつろいだり、パンやお菓子を買ったりできるようになっています。
2階からの景色は1階からのものとはまた違い、森のようなイメージです。
旨さと驚きがいっぱいのパン
ルヴァンヴェールのパンは、天然酵母のパンに魅せられたオーナーの奥さまが、さまざまに試行錯誤しながら作り上げたものだそうです。
イングリッシュマフィンの中にクリームチーズやレーズンが入っていたり、パン・オ・フリュイにぎっしり詰まったドライフルーツに唸ったり。
カンパーニュのようなシンプルなパンも、その味わいの豊かさに驚かされます。
こんなパンがあったのか。私は今まで何を食べてきたんだ。そう思いました。
期待をどんどん良いほうに裏切っていくお菓子
お菓子もまた、想定をポンと飛び越えていく、そんな驚きに満ちています。
2021年10月に尾道市向島にある「刺繍と花とあれこれ 綯う-nau-」のオープン記念に販売された、ルヴァンヴェールの焼き菓子とnauの刺繍巾着とのコラボ商品がこちら。
ハーブとペッパーのフロマージュサレ、ローズマリーアイスボックスクッキー、エディブルフラワーのアイシングクッキーなど、ハーブとスパイスが使われた焼き菓子は、甘いだけではなく新鮮な刺激に満ちていました。
ワインと沼隈ぶどうの「田中商店」
田丸屋の出発点は、酒屋の「田中商店」です。
扱うワインは150種類以上
店内にはずらりとワインが並んでいます。
150種類以上のワインがあるそうです。
1本ずつ手書きのタグがつけられているので選びやすい!
沼南葡萄畑(しょうなんぶどうばたけ)のジュースはオーナーが育てたぶどうを使った、100パーセントのストレートジューです。
田丸屋やルヴァンヴェールでも提供しています。
日本酒や焼酎も多い
もちろん、日本酒や焼酎もそろっていますよ。
店の人に相談しながら好みのお酒を選んでくださいね。
お酒に合う食材もいろいろ
お酒のお供にしたい、美味しいものも並んでいます。
オーガニックのナッツや豆、ドライフルーツなども気になりますね。
酒粕や味噌、麹(こうじ)のほか、オーガニックチーズなども。
沼隈ぶどうを全国に発送
夏には、沼隈産の美味しいぶどうを扱っています。
毎日50軒分、80ケースぐらいを全国のお客さんに向けて発送する日々は、およそ3か月続くのだそうです。
たくさんの驚きがある3つの店について、オーナーの田中 靖啓(たなか やすひろ)さんに詳しく話を聞きました。
オーナー田中 靖啓(たなか やすひろ)さんインタビュー
田丸屋、ルヴァンヴェール、田中商店の3つの店を経営する田中靖啓さん。
店に対する思いを訊ねました。
場所ではなくストーリーに客は惹かれる
──福山の中心部から離れた沼隈でワインバーをやるのはなぜですか。
田中(敬称略)──
僕は沼隈で生まれ育ちました。沼隈が好きだし、沼隈を盛り上げたい。
ここにはうまい魚もあるし、野菜もある。この場所には宝があるんです。
食材は基本的に地元のものを使いますが、ないものは別に取り寄せてもいい。
そこはシェフとスタッフに任せています。
ここまで30分ぐらいかけて車で来るお客さんがほとんどですが、ご夫婦だったら今日はご主人が運転して奥さんが飲むとか、友達同士でも運転代行サービスで帰るとか、決めているみたいですね。
だから、場所としての不便さはあるけれど、まあ、そこも面白いのかな。
大事な人と時間を過ごすために、わざわざここまで来てくれて「一緒に田丸屋に行ったね、よかったよね、あの1時間のランチは最高だったね」と言ってもらえたらうれしいんです。
ストーリーや驚きでいろいろなプラスがあれば、単なる食事ではなく、心をリセットする時間になります。
それは街中ではなく、この場所だからできるのかもしれません。
──田丸屋を始めたきっかけは。
田中──
ご縁あって隣人の持ち物だったこの古民家を、僕が買い取ることになったんです。
それで、この雰囲気を生かした店にしようと、改装を始めました。
昔からすごく立派な庭だったんですが、何年か放置されていたせいですっかり木が生い茂っていて、森になっていましてね。
造園屋さんと相談して、木を切ったり石や水鉢を置いたりして、この庭を復元しました。
5年経って自然に苔も生えてきてね、いい感じになったなあと思います。
昔の家にはこういう庭がありましたが、今の家にはありません。
それでも、年配の人だけではなく若い人でも、日本人のDNAがこの風景に強く反応します。
庭を壊すことは簡単ですが、今からこの庭を作ろうと思ったら、もう作れないんですよ。
だからこそ、日本人の感性として残していきたい。
それも、ストーリーですよね。
僕が好きなのは、5月の庭。
葉が青々として、それが太陽の光に照らされてまぶしいんですよ。
逆境を乗り越えるために作ったルヴァンヴェール
──今、飲食業は厳しい状況かと思いますが。
田中──
そうですね。今は本当に大変だし、世の中の状況を見ながらやっています。
とはいえ、お客さんが来ない状況がつづくのはまずい、なんとかしなくちゃと、スタッフと一緒に考えて作ったのがこの2階です。
パンやお菓子が買えて、庭を眺めながらほっとひと息付ける場所、世の中がどうなっても、動揺せずに美味しいコーヒーを飲むための場所にしようってね。
パンはうちの奥さんが、毎回新しい自家製酵母のタネを起こして焼いています。
お菓子を作っているのは、別の専属スタッフです。
イベントにも出店して、ルヴァンヴェールを知ってもらっています。
──ピクニックセットが人気だそうですね。
田中──
ピクニック用にレンタルしているセットですが、SNSでも拡散され、おかげさまですごく好評です。
1,200円(税込)のセットに含まれるのは、かごとクロス、マグカップ、ポットのコーヒーもしくは、ぶどうジュース。
パンやお菓子は、ここで好きなものを買っていってもらってもいいですし、必要な人にはテーブルや椅子も貸し出しています。
気候のいいときには、3セット用意しているうち、週末なら2〜3セット、平日でも1セットは出ていますね。
──このセットを借りればすぐにおしゃれなピクニックができるんですね!
田中──
これを持って、好きなところで好きなようにピクニックを楽しんでもらえるとうれしいです。
お客さんが自由にピクニックでこの町を楽しんでくれたらいい。
僕もスタッフも自由にお客さんに楽しんでもらいたいし、楽しんでいる人の周りに、また人が集まってくるんです。
もちろん、私たちが楽しいと思うことも大事にしています。
──定休日が3日あるのは、そのためですか。
田中──
そうです。休みをきちんと取って、リフレッシュすると、いい仕事ができる。
休みの間にスタッフもカフェや居酒屋とか、市場や道の駅なんかに行っておいしいものを探してくるから、またいい循環ができるんです。
ぶどうを通して見つけた、みんなが喜ぶサービス業のあり方
──沼隈ぶどうを全国に送っているそうですが、どんな方法で販路を広げたのですか。
田中──
口コミとダイレクトメール(DM)だけですね。
たとえばAさんが、うちのぶどうを知り合いのBさんに送るとしますよね。
Bさんがそのぶどうを食べて「美味しいなあ、これ、CさんやDさんにも食べさせたいなあ。箱に入ってるこのチラシの番号に電話したらいいのかな」ってうちに連絡してくるでしょ。
「Aさんから送ってもらったぶどうが美味しくてね、うちも送りたいんだけど」って言うから、CさんやDさんに送る、するとまたCさんから電話がある。
利用してくれたお客さんには「去年はありがとうございました。今年も始めます」とDMを送ります。それだけですよ。
こうやって今は全国に1,000人ぐらいのお客さんがいます。
20年以上の付き合いがある人も、県外に100人ぐらいですかね。
一度も会ったことはないですが、毎年電話が来て、「元気ですか」「元気ですよ」「またいつもどおり頼むね」というやり取りが続いています。
──ぶどうは農産物で品質が一定しませんが、困ることはないのでしょうか。
田中──
確かにぶどうの出来は天候に左右されます。
2021年のお盆は長雨だったので、ぶどうに虫がついたり傷が付いたりしました。
普通、そんなぶどうは安くしますよね。
でも、その年によって出来が違うのは当たり前なんです。
だったら、年によって変わるぶどうの出来を楽しんでもらおうと。
一応、お客さんには連絡して、「去年とちょっとようすが違うんだけど、どうしますか、要りますか要りませんか」と聞きます。
「まあでも送ってよ」「わかりました」と、いつもと同じ値段で送ります。
なぜかというと、農家がぶどうを作り続けるためには、できたぶどうをお金に換えないといけないからです。
今年は出来が悪いから、いつもは2,000円のぶどうを500円にしてくれとは言えない。
農家がぶどうを作り続けられるように、僕は2,000円で買って、それを理解してくれるお客さんに売るんです。
田中──
100箱のぶどうのうち、色づきのいい秀品と呼べるものは5箱しかないというとき、この5箱は5,000円でもすぐ売れますが、これだけじゃ商売にならない。
残りの95箱が売れないと、農家は生きていけないんです。
だから、今まで安く売っていた残りの95箱に付加価値をつけて、ちゃんとしたお値段で売れるようにしていきました。
秀品以外でも味はすごく美味しいことをお客さんに伝えると「じゃあ、頼む」と。
そのやり方をするようになってから、自分でもやりやすくなったし、お客さんも増えたし、パワーが出るんですよ。
ぶどうを仕入れたら全部中身をチェックして、揺れないように詰め物をして1つずつ詰めていきます。
粒の小さいぶどうばかり入っている箱があれば、大粒や中粒のぶどうを持ってきて、バランスよく配置し直すこともありますよ。
汁が出たり、変な匂いがしているものがあれば、カットしてまた詰め直します。
すごく手間がかかりますが、お客さんが箱を開けたときに喜んでくれる表情を想像して詰めるんです。
お客さんは美味しいぶどうを食べられてうれしい、農家は今まで安くしか売れなかったぶどうが高く売れるようになってうれしい、みんながWin-Win(ウィンウィン)になるのが、サービス業だと思っています。
──みんなを幸せにするのがサービス業、なるほど。
田中──
夏の暑い日にぶどう畑の手伝いに来てくれた僕の同級生が汗をビッショリかいていたときに、うちのスタッフが「たくさん汗をかいておられるので、濃いアイスコーヒーだとしんどいと思って、ちょっと薄めにいれました」とアイスコーヒーを持ってきたことがありました。
同級生は「人生で一番うまいアイスコーヒーをここで飲ませてもらった」と、何か月経っても僕に言うんですよ。
お客さんをよく観察して、この人は何をしてもらいたいのかな、何を欲しがっているのかな、だったら自分はどうすればいいのかな、と考えるのが僕たちの役目で、それに満足したお客さんがファンになってくれるんですよね。
それはAIにはできないことで、人間が読み取る力でしかできない。
だから僕はアナログでいきたいんです。
ストーリーと驚きに魅せられて、また行きたくなる店
田丸屋、ルヴァンヴェール、田中商店の3つに共通するのは、お客さんを魅了するストーリーと驚きを提供していることでした。
お店に入って料理が出てくるまでのワクワク感、コーヒーを飲んで庭を眺める時間、ぶどうの箱を開けたときの驚き、そしてそこに貫かれるストーリーに惹かれて、お客さんはこの店のファンになるのですね。
アナログでもいい、日本人の感性を残したい。
その言葉を聞いて、また最高の時間を過ごしに行きたくなりました。