「ベテラン救援投手の1カ月」とトレードされた強打者・バグウェル

アストロズのフランチャイズ・プレーヤーとして1991年から2005年まで活躍し、通算2314安打、打率.297、449本塁打、1529打点、202盗塁、OPS.948をマークして2017年に有資格7年目でアメリカ野球殿堂入りを果たしたジェフ・バグウェル。「アストロズ一筋」のイメージが強い選手だが、実はメジャーデビュー前年にレッドソックスからアストロズへトレードされている。バグウェルが後に「人生で最悪の瞬間が最高の瞬間になった」と語ったこのトレードを簡単に振り返ってみよう。

マサチューセッツ州ボストン出身のバグウェルは1989年のドラフトで地元球団のレッドソックスから4巡目指名を受け、プロ入りした。当時三塁手だったバグウェルは長打力に欠けていたものの、プロ1年目から2年連続で3割を超えるハイアベレージをマーク。しかし、レッドソックスの三塁には名打者ウェイド・ボッグスがおり、AAA級の三塁にもスコット・クーパーという有望株(1996年に西武でプレー)がいたため、バグウェルはAA級より上の階級に行くことをブロックされていた。他のポジションにコンバートしようにも、一塁には有望株のモー・ボーンが控えている状況。レッドソックスにおけるバグウェルの未来は不透明なものとなっていた。

1990年のレッドソックスはア・リーグ東地区(当時は東西2地区制)で熾烈な優勝争いを繰り広げており、特にブルペンの補強を必要としていた。そこでレッドソックスはアストロズから37歳の救援右腕ラリー・アンダーセンを獲得するためにバグウェルを放出することを決断。バグウェルはトレードを知らされた直後の自分自身を「みなさんが今まで見たなかで最も悲しい男の1人」と表現し、地元球団でのメジャーデビューを夢見ていた若者にとって「人生で最悪の瞬間」となった。

アンダーセンは1カ月で15試合に登板する大車輪の働きを見せ、防御率1.23の好投でレッドソックスの地区優勝に貢献。ところが、レッドソックスはリーグ優勝決定シリーズでアスレチックスにスイープ負けを喫し、オフにFAとなったアンダーセンがレッドソックスの一員としてプレーしたのはわずか1カ月強だった。一方のバグウェルは翌1991年からアストロズ正一塁手に抜擢され、いきなり新人王を受賞。1994年にはMVPに輝き、殿堂入り選手へと上りつめた。

バグウェルは「もしレッドソックスに残っていたら、ベンチ要員だったかもしれないし、AAA級どまりだったかもしれない」と言う。チーム内の三塁手の序列ではボッグス、クーパーに次ぐ3番手だったため、アストロズにトレードされたことでメジャーへの道が切り拓かれたというわけだ。アストロズ移籍後に与えられたチャンスを生かしたバグウェルにとって「人生で最悪の瞬間」は「人生で最高の瞬間」となった。

一方、レッドソックスがバグウェルを放出したこのトレードは、ベーブ・ルースやトリス・スピーカーとともに「球団史上最悪のトレードの1つ」に数えられている。もちろん、これは結果論でしかなく、レッドソックスはアンダーセン獲得を地区優勝につなげているし、バグウェルがレッドソックスに残って大成できた保証もない。とはいえ、レッドソックスが犯した「過ち」の1つとして、今後も長く語り継がれていくことになるだろう。

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