車いすバスケ選手・高松義伸さんの両親(上)負けず嫌いな幼少期 【わたしの子育て】高松邦孔さん、かおりさん

おもちゃの自動車に乗って遊ぶ1歳の義伸さん

 昨夏の東京パラリンピック車いすバスケットボール男子で、銀メダルを獲得した高松義伸(たかまつよしのぶ)さん(22)。希少がんの骨肉腫で左脚を切断した義伸さんを支えた父邦孔(くによし)さん(47)と母かおりさん(48)に子育てを振り返ってもらった。

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 邦孔さん 義伸は3人きょうだいの一番上で、下は二人とも妹です。名前は私の祖父、父、私と代々名前に「よし」が付いているので、子どもにも入れようと考えました。そして、妻の父の名前から「のぶ」をもらい「よしのぶ」に決めました。要領がよく、人が言っていることの本質的なことが分かる子になってくれたらいいと考えていたので、「勉強をしろ」とは言ったことはなかったです。

 かおりさん 元気で明るく、健康に育ってほしいと思っていました。実際は病気になってしまいましたが。幼稚園の頃は足が速くて活発だけれども、恥ずかしがり屋でした。

 スポーツはいろいろやりました。1歳頃、ぜんそくになり、体を強くしたいとベビースイミングに通い始め、小学6年まで水泳は続けました。幼稚園では体操教室やサッカーをやりました。サッカーはボールの近くまで行って、傍観している子でした。

 小学1~3年はラグビーをやり、小学4年の時に学童野球とミニバスケットボール部から勧誘され、主人の意向で学童野球に入りました。この時にミニバスに入っていたら、パラリンピックでもっと活躍したかもしれませんね。

 邦孔さん 義伸が学童野球を入ったのを機に、私もコーチになり、よく一緒に練習したり、スポーツショップに行ってスタッフに野球を教えてもらったりしました。一度「大変だから野球をやめてほしい」と言ったことがありましたが、「やめない」ときっぱり言われました。スイミングも「休みたい」と言ったことがなかった。真面目にやるべきことはやる性格です。

 かおりさん そしてすごく負けず嫌い。1学年1クラスの小さな小学校だったのですが、強豪だったミニバスの子には負けたくないと、個人でやるスポーツテストは「絶対に負けたくない。S級を取る」と言って、小学5、6年は本当にS級を取ってきました。

 学童野球をやっている子が少なく、義伸は肩身が狭かったようで、小学5年頃になるとイライラして怒りっぽくなり、学校でトラブルを起こすこともありました。学校で浮いた感じになってしまい、中学校は学区外の小山中に通うことにしました。野球部に入り、打ち込んでいました。5クラスあり、いろんな子がいて、仲間に恵まれて楽しそうでした。今も仲良くしていますね。

東京パラリンピックに出場した義伸さん
高松邦孔さん
高松かおりさん
高松義伸さんの年表

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