【門司港駅】駅員と親子の心温まるエピソード 『誇りの鏡』が語り継ぐ

1914(大正3)年に創建、1988(昭和63)年に鉄道駅として初めて国の重要文化財に登録されたJR門司港駅。大正時代の創建時の姿に復原することを基本方針として2012年から保存修理工事が始まり、約6年間の工事を経て、2019(令和元)年3月10日にグランドオープンを迎えました。

そんな門司港駅のギャラリースペースに、「誇りの鏡」と呼ばれる大きな鏡があることを知っていますか。

戦地から引き揚げてきた女性が門司港駅で産気づき…

1945(昭和20)年8月、戦争が終わり、外国で暮らしていた人たちが次々と船で門司港に帰ってきました。船で帰ってきた人々が本数の少ない汽車に乗る順番を待つため、門司港駅のホームで何日も夜を明かし、駅は疲れ果てた人たちであふれかえっていたといいます。

その中に、小さな子どもを連れ、大きなお腹を抱えた女性がいました。故郷から遠く離れた門司港の地で産気づいた女性は、痛さと心細さで誰にも助けを求めることができずにいましたが、一人の駅員が手を差し伸べました。

駅員は小さな子を背負い、女性を励ましながら病院へ向かいますが、夜も遅く、医師たちはみんな帰ってしまった後でした。

お世話になった感謝の気持ちとして贈られた鏡

疲れ切った女性の足では別の病院まで歩いて行くのは難しいだろうと考えた駅員は、自分の家に連れて行き、近所に住む女性に助けを求め、翌朝、無事に男児が誕生しました。

その後、出産した女性の夫も遅れて門司港に到着。親子4人揃って故郷へ向かうため、門司港駅を出発したそうです。

その時に生まれた赤ちゃんは「左門司」と名付けられ、年月を経て大人になりました。1971(昭和46)年6月、両親が再び門司港駅を訪れ、お世話になった感謝の気持ちとして贈ったのがこの大きな鏡です。

駅の事務室にかけられた鏡は「誇りの鏡」と名付けられ、代々の駅員が語り継ぎ、大切にしてきましたが、2019(令和元)年3月に門司港駅がグランドオープンしたことを機に、一般公開されることになりました。

門司港駅へ行った際には「誇りの鏡」を見て、かつて門司港駅で実際にあった駅員と親子の心温まるエピソードに思いを馳せてみませんか。

※2022年1月23日現在の情報です

(北九州ノコト編集部)

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