『ダウアー962LM』グループCカーの最強スタンダードがGTカーに【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、ダウアー962LMです。

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 今から28年前の1994年、ル・マン24時間レース。この年のル・マンは、時代の過渡期といえる年だった。前年まで総合首位を争っていた3.5リッターNAエンジン搭載の『新規定グループCカー』が消滅。それに変わって大幅に性能調整が課せられたターボエンジンを積む『旧規定グループCカー』と、これから時代の潮流を作っていくことになる『GTカー』が総合優勝を争うことになった。

 1994年におけるGTカーのクラスは本来、ヨーロッパやアジアを転戦するシリーズにおいて、車両公認の条件が公道仕様車の最低生産台数が25台と定められている『BPR GT』のマシンを迎え入れるために設けられたものだった。

 しかし、ル・マンを主催するACOは、ル・マンのローカルルールとして公道仕様車が1台でも生産されていればLM-GT1車両として公認するという規則を設けていた。この規則に目をつけたのがポルシェであった。

 ポルシェは、前述のACO独自の車両公認条件とGT1には燃料タンク容量など車両規則においてさまざまな特権があることに着目した。この時、すでにポルシェ962Cをロードカーに仕立てる事業を手がけていたダウアー・シュポルトワーゲンに、ル・マンへの参戦を提案した。

 それをダウアーが承諾したため、メカニズムはほぼポルシェ962Cでありながらナンバー付きのロードカーも存在するGTカーである『ダウアー962LM』が誕生したのだった。

 1994年のル・マンに登場したダウアー962LMは2台。ハンス-ヨアヒム・シュトゥック/ダニー・サリバン/ティエリー・ブーツェンの駆る35号車と、ヤニック・ダルマス/ハーレー・ヘイウッド/マウロ・バルディが搭乗する36号車という布陣だった。

 レース展開は、Cカークラスにエントリーした日本のサードとトラストが走らせる2台のトヨタ94C-Vとのバトルとなった。序盤は、燃料タンクが大きく、1スティントのラップ数が長いダウアーが先行する。しかし、94C-V勢もダウアーよりも幅広のリヤタイヤが使える強みなどを活かして応戦する。

 その後、ダウアー勢にトラブルが発生したこともあり、ゴールまで1時間を切った段階でもサードの走らせる94C-Vがトップを走るという状況だった。

 しかし、サードにシフトリンケージのトラブルが発生し、コース上でストップしてしまう。ドライバーが機転を利かせてなんとかピットに戻ったものの、この間にダウアーの2台がサードをパスする。

 その後、35号車はサードの鬼神の追い上げによってかわされてしまうものの、36号車はトップチェッカーを果たす。ダウアー962LMは、ポルシェに1987年以来、13度目のル・マン制覇をもたらしたのだった。

 マシンの中身は、ほぼCカーでありながらもGTカーとして誕生し物議を醸したダウアー962LM。そして、このダウアー962LM誕生に寄与したACOの独自規則。これはその後、GT1というカテゴリーに行く末に大きな影響を与えることになるのだった。

ハンス-ヨアヒム・シュトゥック/ダニー・サリバン/ティエリー・ブーツェン組の35号車は総合3位に終わる。

 

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