いじめ問題、学校や教委の調査はなぜうまくいかないのか 大津市の11年調査に尽力した3人が語る注意点

大津市で亡くなった中2男子生徒の眼鏡を手にする父親=2021年10月

 学校でのいじめ被害を生徒らが訴えても、学校や教育委員会、第三者委員会などが十分に対応しないとして問題になるケースが頻発している。被害者側は不信感を募らせ、さらに傷つくこともある。

 いじめが疑われる場合、学校などに調査を義務付けた「いじめ防止対策推進法」が2013年に成立したのに、こうしたトラブルがなぜ今も続くのか。推進法成立のきっかけとなった11年の大津市立中2年の男子生徒=当時(13)=の自殺では、市が先頭に立っていじめの事実や経緯を解明した。当時、調査に尽力した3人にインタビューし、問題点を考えてみた。(共同通信=小林磨由子、堺洸喜、福田亮太)

 ▽「遺族に寄り添うとはこういうこと」

 まず、大津の問題から振り返る。

 11年10月11日、男子生徒が自宅マンションから飛び降りて亡くなった。学校や市教育委員会はアンケートを実施して調べたが、結論は「いじめはあったが、自殺との因果関係は分からない」。調査も約3週間で打ち切った。しかし、12年7月になって、アンケートの記述に「自殺の練習」との内容があったことが報道で表面化する。

 当時の大津市長、越直美さん(46)は調査結果に疑念を抱き、自身の決断で第三者委員会を設置。その結果「自殺はいじめが要因」との報告書が13年1月にまとめられた。

大津市設置の第三者委員会の報告書

 第三者委員会は全12回の会合の後、遺族に状況を説明。男子生徒の父親(56)も「遺族に寄り添うとは、こういうことだと思う」と評価した。

 大津問題をきっかけにしたいじめ防止対策推進法は、同年6月に成立した。いじめは一定の関係にある児童や生徒の行為として「心身の苦痛を感じているもの」と定義。いじめが疑われる自殺や長期欠席などを「重大事態」とし、学校側に調査を義務付けている。

 ただ、その後も問題は後を絶たない。

 ▽北海道、埼玉、山口…トラブル続出

 北海道旭川市で昨年3月、中学2年の女子生徒が凍死しているのが見つかった。昨年8月、母親が公開した手記によると、いじめの疑いを市教育委員会や学校に何度も相談したが、その相談はなかったことにされた。母親は「いじめをもみ消そうとしているようにさえ見える」と批判。設置された第三者委員会についても、調査の進捗に関する情報が極端に少ないと訴えた。

 埼玉県川口市立中で起きたいじめを巡る訴訟では、川口市側が19年、推進法によるいじめの定義に、異論を投げ掛けた。訴訟の中で市は、「苦痛を受けた」と声高に言えば被害者になると主張していた。

 16年に山口県周防大島町の大島商船高等専門学校で男子学生=当時(15)=が自殺した問題では、第三者委員会が遺族側に2年以上、調査の詳細を知らせなかった。遺族側は不誠実だと申し入れ、委員会は解散した。

大津市の中学生自殺を巡る第三者委員会の調査

 大津のいじめ自殺を含め、各地の被害者の代理人となった石田達也弁護士は「委員にいじめの知識が必ずあるとは限らない。確実に専門家を選ぶ仕組みが必要」と指摘する。

 ▽遺族が納得する形を求め、委員の半数は遺族推薦に

 なぜいじめの対応を巡るトラブルが続くのか。大津との違いは何か。まず、大津市長を務めた越直美さんに聞いた。

 ―なぜ市長直轄の第三者委員会を設置したのか。

 

前大津市長の越直美さん

 市の教育委員会は「教育的配慮」を理由に挙げ、再調査に後ろ向きだった。子どもたちがいろいろ聞かれると傷つくから、これ以上の調査はするべきではないという姿勢だった。だが、アンケートには事実解明を求める記述が多くあり、生徒たちは「真実を知りたい」と望んでいると思った。

 企業であれば不祥事があったとき、外部の専門家で構成される委員会が調査する。いじめ問題では参考にできる前例はなかったが、弁護士としての経験から、独立した調査委員会を作らなければならないと判断した。

 ―第三者委員会のメンバーはどのように決めたのか。

 ご遺族にも納得していただける形にしたいと思い、一緒に協議して設置要綱を作った。委員6人のうち3人は遺族推薦にした。「公平な調査をできるのか」との反対意見も出て、委員には中立かつ公正に調査するとの文書にサインしてもらった。市推薦の委員については、市や教育委員会と利害関係のない人を選ぶことが重要だと考え、日弁連や日本生徒指導学会などに県外の専門家を推薦してほしいと依頼した。

 ―いじめ防止対策推進法に課題はあるか。

 信頼できる調査がされずに被害者側が苦しんでいる現状を踏まえ、法改正し、公正中立な委員で調査することを明記するべきだ。最初に学校や教育委員会が調査すると規定しているが、被害者側が学校側に不信感を抱いていれば、最初から首長の主導で調査できる仕組みを作った方がいい。学校にいじめ対応専任の先生を配置できるよう国が財政的支援をすべきとも考える。

 (こし・なおみ 1975年生まれ。大津市出身。弁護士。12年に大津市長になり2期務めた)

 ▽「指導の欠点が指摘される」と警戒する学校側に、丁寧に説明する

 次に、第三者委員会の市側推薦の委員で、教員経験がある池坊短期大副学長の桶谷守教授(71)に聞いた。委員会による生徒や教員らへの聞き取りは、延べ56人から計62回、合わせて95時間に及んだ。先方の意向を重視し、土日や夜間でも希望の場所に出向いた。

桶谷守さん

 ―聞き取りの際に重視したことは。

 必ず2人以上のペアで赴き、子どもに不安を与えないよう対面ではなくL字形で座り、菓子や茶を用意した。家族には近くにいてもらった。聞き取りの際は「責めるつもりはない。事実が知りたい。どうして彼が亡くなったのか、何が彼を追い詰めたのかということをしっかり調査し、二度とこのような問題が起きないようにしていく」と一生懸命伝えた。手紙で調査に応じてくれるよう説得したこともあった。

 ―資料の収集は。

 大津のケースでは、先生の備忘録などがあり、その内容に基づき話を聞くことができた。基本的には資料提出は任意で、公文書でなければ提出義務はない。第三者委員会は先生の自覚を促し、なぜその資料が必要なのか理解してもらう必要がある。調査に入った時点で、学校や教育委員会に協力しようという姿勢はない。自分たちの指導の欠点が指摘されると警戒している。事実を解明することが子どもたちの助けになると、丁寧に訴えることが求められる。

 ―第三者委員会に求められることは。

 委員会の1回目の会合で公平性・中立性について議論した。生徒や教員に寄り添い、しっかり耳を傾けましょうと確認した。そのことが客観性の担保につながると考えた。調査では事実解明だけではなく、同じことが起きないために課題を明確にすることが求められる。報告書をまとめた時点が再発防止のスタートになる。

 ―スタートだという考えを浸透させるには。

 第三者委員会が校長や教育委員会に伝えることが大切。大津のいじめ問題では、報告書を当該の中学校の全教員に配布するよう市長に求めた。学校側にとって報告書はいわば「敵」だが、「先生方と一緒に学校改革をしていくためのものなのです」というメッセージを発信しなければならない。

 (おけたに・まもる 1951年生まれ。京都市出身。中学校教諭を経て、京都市教育相談総合センター所長、京都教育大教授、大津市教育長などを歴任)

 ▽生徒に囲まれ「隠蔽されないで」と激励された

 最後に「尾木ママ」の愛称で知られる、元教師の教育評論家、尾木直樹さん(75)に尋ねた。尾木さんは遺族側推薦の委員会メンバーだった。

尾木直樹さん

 ―大津の第三者委員会の基本姿勢は。

 最初の会合で「調査を重ね(死亡した)男子生徒の(死にたいと願う)希死念慮に思いが至ったとき、初めて報告書をまとめる資格がある」と確認し合った。とことん資料を読み込み、聞き取りを進めた。生徒が自殺に至る経緯を検証しているときに、僕ともう1人の委員の見立てについて、元裁判官の委員長は「それは2人の体験談であり、本当にそうなのかは分からない」と認めなかった。専門家3人を招き、それぞれ2時間ずつのレクチャーを受けた。偏ることなく、公正な判断で真相にたどり着こうとする姿勢は徹底していた。

 ―調査にはどのような心境で臨んだか。

 生徒の学校を訪れたとき、大勢の子どもたちに囲まれ「尾木ママ、隠蔽されないで」と激励された。「絶対に隠蔽されないから安心してね」と約束し、真相解明の大きな原動力となった。雪がちらつく中を山の上の家まで行き、寒さに震えながら聞き取りをしたこともある。調査で名前が出た方に話を聞き、さらに関わりがあった方に会ったことも。報告書には「生徒の皆さんへ」という感謝の項目を設けた。協力してくれた気持ちに応えたいという情熱を持って調査した。

 ―第三者委員会の議論の透明性はどう図ったか。

 個人的には会合はオープンで進めればいいと思ったが、発言にブレーキがかかるなどの懸念も出た。オープンではないが、会合後に記者会見し、遺族にも説明した。

2013年、最終報告書を当時の越直美市長(右端)に提出する第三者委員会の委員ら

 ―いじめ問題にどう対応していけばいいか。

 いじめ防止対策推進法の内容を知らない教員も多いのではないかと感じる。個別に法律を読む時間がなければ、年2回くらいは研修会を開き、法の真意をしっかりと学ぶべきだ。第三者委員会については、文部科学省のガイドラインが遺族の心情に寄り添って対応するよう求めている。機能しない恐れがある場合、首長が積極的に動かないといけない。

 (おぎ・なおき 1947年生まれ。滋賀県出身。教育評論家。中学・高校の教諭を経て、現在は法政大名誉教授)

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