「伊藤詩織」問題 金平茂紀と望月衣塑子の正体|山口敬之 「犯罪事実があった」とする伊藤詩織氏の主張は、検察と検察審査会によって、2度にわたって退けられた。日本の法制度上、刑事事件としては完全に終結し、伊藤氏の私を犯罪者にしようという目論見は失敗に終わったのである。ところが、私に一切取材依頼や問い合わせを行わないで、新聞やテレビで発信をしたり、記者会見で発言をしたりした人物が、少なくとも2名いる。そのうちのひとりが金平茂紀であり、もうひとりが望月衣塑子である――。(初出:月刊『Hanada』2018年1月号)

記者とはどのような職業か

金平茂紀。TBS系列で土曜日夕方に放送されている「報道特集」のキャスターを務めるこの男は、自らを「ジャーナリスト」 「生涯一記者」などと称しているが、金平は決して「記者を名乗る資格がない」人物である。

私がある人物について「記者を名乗る資格がない」という以上、まずは記者とはどのような職業かについて定義しなければならない。医師や弁護士、政治家などは、資格試験に合格するとか選挙で当選するとか、その職業を名乗るための客観的条件が明確にある。ところが、記者にはそれがない。

それでは、記者を記者たらしめているものは何か。発信ツールを大手メディアが独占していた昔と異なり、誰もがインターネット回線を通じて情報を発信できる時代になったからこそ、この問いかけの重要性が増している。

私は1990年にTBSに入社し、報道局に配属された。以来26年間、報道局で「記者」という立場にいた。そして、TBS報道局で、あるいは社会部や政治部の現場で、記者が記者であるために最も重要なこととして常に強調され続けたのが、2つのシンプルなことだった。

①主張が対立している場合、その双方を公平に取材する
②常識に囚われることなく、「万が一」 「まさか」の可能性を徹底的に追及する

これは、よく考えれば当たり前のことであり、ジャーナリズムの基本中の基本である。①について言えば、主張の異なる双方を取材しなければ、物事を片側からしか観察していないことになるからである。

②もまた重要である。一見、被害者に見える人物が加害者だったり、一見、国民生活を向上させるように見える法案に大きな悪意や欠陥が潜んでいたりするからである。

決して常識に囚われることなく、わずかな可能性であってもゼロでなければ否定せず、すべての可能性をひとつひとつ潰していってこそ真実に行きわたるというのである。

金平発言は「極めて歪で偏った認識」

記者が記者を名乗る最低限の条件として、①と②を掲げたとして、それでは金平がなぜ「記者を名乗る資格がない」のか。この説明は極めて簡単だ。金平は2017年10月24日に外国人記者クラブで行われた伊藤詩織氏の記者会見で、こう述べた。

「私はTBSの元ワシントン支局長です。私と同じ組織に属していた元同僚、部下が詩織さんにとった行動というのは、私は理解できないくらい怒りを覚えています」

今回の案件は、簡単に言えば、伊藤氏は「犯罪事実があった」と主張し、私は「犯罪事実はなかった」と主張するという、二者の主張が真っ向から対立した案件である。

金平は伊藤氏の会見に出席して発言を聞き、伊藤氏側の主張は金平なりに取材したのだろう。ところが、もう片方の当事者である私に対しては、金平はいまのいままで、一切の取材をしていない。

金平の発言の前提となっている事実認識は、記者を名乗る人物としては全く不十分かつ不平等な取材の結果、伊藤氏側の主張だけを採用した「極めて歪で偏った認識」だと断定せざるをえないのである。

2017年5月29日、伊藤氏が1回目の記者会見をした前後から、私の所には多くの質問状や取材依頼が寄せられた。大手新聞、通信社、テレビ局、ラジオ局、フリーランスのジャーナリスト、はてはテレビコメンテーターからも、質問状や面会を申し込むメールや書状が届いた。

これはある意味では当たり前のことである。「記者」を名乗る人物にとって大前提となる基本動作だからである。これらの質問状や取材依頼に対して、私はまず「法に触れることは一切していない」という声明を発表したうえで、反応する意味があると判定したものについては回答書を寄せたり、取材に応じたりした。

ところが、新聞・通信・テレビに所属する、いわゆる大手メディアの記者を名乗る人物で、私に一切取材依頼や問い合わせを行わないで、新聞やテレビで発信をしたり、記者会見で発言をしたりした人物が、少なくとも2名いる。そのうちのひとりが金平なのである。

刑事事件としては完全に終結

(写真撮影/佐藤佑樹)

私に取材依頼をした「記者」たちのなかには、私と面識がなく、連絡先を知らない者も多くいた。それでも彼らは、たとえば私の本を出した出版社に問い合わせをしたり、知人経由でTBS関係者まで辿り着いたりして、私の連絡先を何とか探した。

ところが、金平はどうだ。私はTBS報道局に26年間いたから、その気さえあれば、金平はいとも簡単に私の連絡先を入手できたはずだ。あるいは、金平の携帯やパソコンには、いまでも私に繫がる連絡先が保存されていてもおかしくない。

しかし、この案件が最初に報道されてから半年が過ぎるいまも、金平は私に全く取材をしていないのである。この1点だけを見ても、金平茂紀は「記者を名乗る資格の全くない人物」と断定できる。

そもそも記者の2条件のうちの①について完全に失格の烙印を押された金平が、条件②について「万が一の可能性」まで検討しているはずもない。しかし、金平が「劣等な記者」ですらなく、そもそも「記者を名乗る資格がない」人物だということを理解していただくために、あえて言及しよう。

今回の案件は、「犯罪事実があった」と主張する伊藤氏の主張は、検察と検察審査会によって、2度にわたって退けられた。日本の法制度上、刑事事件としては完全に終結し、伊藤氏の私を犯罪者にしようという目論見は失敗に終わったのである。

普通の記者ならば、「なぜ伊藤氏の主張は退けられたのか」という点をまず検証する。しかし今回の場合、テレビのワイドショーや週刊誌の報道は、取材も根拠の提示もなく、盲目的に伊藤氏側の主張に寄り添うものが少なくなかった。

たしかに、うら若い独身女性が「レイプ被害に遭いました」と顔出しで告発すれば、世間の注目を一気に集めるだろう。そして、「記者でない一般の人」であれば、顔を出して告発した伊藤氏に同情し、「薬物を盛られて意思に反して性行為がなされた」という彼女の主張を信じてしまうかもしれない。

しかし、そこで「ちょっと待てよ」と立ち止まるのが、一般人と記者の違いである。しかも今回の場合は、客観的証拠を元に、検察と検察審査会が2度にわたって彼女の主張を退けているのである。伊藤氏の主張に辻褄が合わないところがあったのではないかと考えるのが、普通の記者である。

証明するのは伊藤詩織の最低限の義務

警視庁の捜査員は捜査の過程において、2015年4月3日深夜から朝にかけて、伊藤氏が「ブラックアウト」(アルコール性健忘)という状態になったと推定した。要するに、伊藤氏は朝まで意識がなかったのではなくて、寝る前に一定時間起きて行動していたが、そのことを覚えていない可能性が強いというのである。

伊藤氏の「犯罪事実があった」との主張は、「朝まで意識を失っていた」ということがすべての前提となっている。ところが、真実は違う。ビールやワインや日本酒を飲みすぎて、自分のしたことを覚えていないだけなのである。

あの夜、自ら飲みすぎて自力で帰宅できないほどの酩酊状態となった伊藤氏は、タクシー車内やホテルの部屋やトイレで繰り返し吐き、そのまま眠ってしまった。その後、起きてトイレに行った伊藤氏は、自分が様々なところに吐き散らかしたことに気が付き、私に対して猛烈に謝罪してきた。

トイレに起きたあとのことを伊藤氏が全く覚えていないとは正直考えにくいというのが私の立場である。伊藤氏は、本当は覚えているのに私を犯罪者に仕立て上げるために黙っているか、あるいは自分に都合よく記憶を書き換えてそれを信じ込んでしまうタイプの人物なのだと思っている。

しかし百歩譲って、伊藤氏が本当に覚えていないとしても、それは警察の言うとおり、飲みすぎて記憶が飛んでしまった「アルコール性健忘」なのであって、そもそも犯罪行為など全くなかったのである。

繰り返すが、善意に解釈しても、伊藤氏はアルコールを自ら過剰に摂取したために、自分で何をしたか忘れてしまっただけなのである。「犯罪事実がなかった」以上、警察も検察も検察審査会も、伊藤氏の主張を退ける。当たり前のことである。

しかし、その真実を受け入れられないばかりに、「事件が消される」 「社会システムがおかしい」というのであれば、まず自分が「アルコール性健忘に陥った可能性が全くない」というところから証明するのは伊藤氏の最低限の義務である。

ところが金平は、この「アルコール性健忘」という、警察と検察と検察審査会が認定した可能性すら、何の根拠も示さずに門前払いしている。「酒を飲みすぎて記憶が飛んでしまう」という珍しくもない話があの夜の伊藤氏に起きなかった、と金平は根拠をもって証明できるというのか。

自らを記者と自称するなら、自分で何を取材し、どういう結論に立ち至ったのか説明してみるがいい。当事者である私に一切連絡も取らないで十分な取材をしたというなら、金平に記者の資格はあるまい。

金平に記者を名乗る資格などない

そして、刑事事件として完全に終結したあとも、伊藤氏の主張が正しいという立場をとるのであれば、何らかの不正や不適切な処理が行われたということを主張しているに等しい。もし記者としてあえてその立場をとるのであれば、行政や司法の場でどのような不正が行われたのかを徹底的に突き詰めるのが記者の仕事である。

ところが、金平は何かそういう取材をしたのか。そもそも私にすら取材をしていないのだから、「徹底取材」など望むべくもない。逆に言えば、「伊藤氏の主張が間違っている可能性はないか」という観点について全く取材をせず、全く思いをいたしていないのが金平なのである。

また、TBSワシントン支局長にはインターンを雇う権限はなかったのではないかとか、当時、私はすでに支局長解任が内定していたのではないかという、私の人格を貶めるために流布された根拠に基づかない情報があったが、これが事実でないことは、ワシントン支局長経験者である金平は容易に確認することができた。

たとえば、当時、私は来る大統領選に備えて、支局の情報収集能力を強化するために支局員の役割分担の変更を計画していた。具体的には、実際にリサーチ能力のあるインターンを複数迎え入れていたし、撮影助手に特化した契約社員をよりリサーチ業務に重点を置いた陣容に変更しようとして、東京から派遣されていたカメラマンにも相談していた。

金平であれば、当時の支局員に電話一本すれば確認できることばかりだ。しかし、私の主張を補強する事実については、私本人への取材はおろか、周辺取材すら金平は一切していないのである。

事実確認の取材すら一切行わず、記者会見の場で「元同僚、部下が詩織さんにとった行動というのは、私は理解できないくらい怒りを覚えています」と述べる人物が、記者を名乗る資格などないことは自明のことである。

「安倍晋三は最も政治家にしちゃいけない人間」

では、金平はなぜ、私サイドの取材を一切しないまま記者会見で発言したのだろうか。伊藤氏の会見に参加し、その場の雰囲気に流されて、記者として為すべき基本動作をあえて放棄したのだろうか? TBSでの金平のこれまでの行動から見て、私はそうではないと考えている。

私は1990年代前半のロンドン支局時代に、モスクワ支局長を務めていた金平とロシアや欧州の現場でよく一緒に仕事をした。仕事が終わった深夜、モスクワ支局の片隅にある通信社のチッカー(通信社情報が巻紙に印刷されて出てくる機械)を黙々と確認している金平の後ろ姿を覚えている。

井戸端会議の主婦ならいざ知らず、30年以上の取材経験を持つ金平が、伊藤氏の2回の記者会見だけで記者としての基本動作を忘れることはありえない。金平が盲目的に伊藤氏に肩入れするには、別の狙いがあると見るのが自然である。この推論を検証するために、私はひとつの事実を提示する。

金平は2005年5月に、TBSの報道局長となった。この直後、私は金平と話をする機会があった。ロックバンドのポスターを貼り、不快な香りのするお香を焚いた報道局長室で金平と向き合った私は、当時、政治部で外務省を担当していたこともあり、北朝鮮情勢などについて意見交換するつもりだった。ところが、金平は開口一番、こう言った。

「安倍晋三っていうのは、最も政治家にしちゃいけない人間なんだよ」

唐突におかしなことを言うので、私はその真意を訝りながらこう尋ねた。
「直接取材したことがあるんですか?」
「あるわけないだろ。ろくな人間じゃないのは、あの弛んだ顔だけ見てもすぐわかる」
私は外務省担当になる前、幹事長を務めていた安倍晋三氏の番記者をしていた。
「どこがそんなに気に入らないんですか?」
「あんな極右政治家が官房長官をやっているということだけで、俺は我慢がならないんだよ」

感情を抑えきれない様子の金平の発言は、もはや理解不能だった。金平は社会部記者を経て、「筑紫哲也ニュース23」のディレクターなどを務めていたが、政治部の経験はなかった。直接取材したこともない政治家に対して、まるで不戴天の敵のように怒りを爆発させる金平の異様な表情に、驚いたのを鮮明に覚えている。

TBSによる不可解なテロップ映像

そして、金平が報道局長となって1年あまりが経った2006年7月21日、TBSは夕方のニュースで第二次世界大戦中の日本陸軍731部隊について特集を放送した。特集の内容は、終戦後に日本上陸を果たすであろうアメリカ軍に対して、細菌兵器で攻撃する計画が731部隊にあったというものであった。

しかし、物議を醸したのは内容ではなく、特集VTRの冒頭部分だった。なぜか企画と全く関係のない当時の安倍晋三官房長官のフリップが3秒間にわたって映し出され、そこに「ゲリラ活動!?」というテロップがかけられていたのである。

当時は、時の小泉首相が9月の自民党総裁任期満了をもって勇退することがわかっており、後任として「麻垣康三」、すなわち麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、そして安倍晋三が後継候補として取り沙汰されていた。なかでも、小泉の覚えめでたい安倍は最有力と見られていた。

このため、このVTRは、細菌兵器開発を行っていたとされる731部隊の特集の冒頭で無関係な安倍氏の映像を使うことにより、安倍氏に対する悪いイメージをすり込もうという、TBSによる悪質な印象操作として大きな問題となった。

放送事業を統括する総務省はすぐ調査に乗り出し、3週間後の8月11日、TBSに対して、放送法に基づく厳重注意の処分を下した。

その後、私は会社上層部の依頼を受け、安倍氏に「手打ち式」に出席するよう依頼した。TBS側は井上弘会長(現民放連会長)と石原俊爾社長と私、安倍氏側は本人と秘書1名が参加して、赤坂の料亭で会食をした。

そして会食が無難に終わって安倍氏側を送り出したあと、井上氏と石原氏は隣りのバーで一杯やることになった。この時、井上氏は私に驚くべきことを言った。

「あの安倍というのはダメだね。あんな右翼政治家じゃなくて、福田(康夫)さんとか二階(俊博)さんとか、もっとアジアの国とうまくやっていける政治家を称揚しなきゃ」

長くTBSトップに君臨する井上が、たったいま手打ちをしたばかりの安倍氏に対して嫌悪感をき出しにしたのである。その安倍氏に対する抑えきれない感情は、金平と同質のものに見えた。気まずい空気になったところに、政治部経験のある石原氏が割って入った。

「政治部の記者というのは、好むと好まざるにかかわらず、担当させられた政治家の取材をしなきゃならんのですよ」

この井上氏こそ、1年半前に金平を報道局長に抜擢した張本人だったのである。TBSが継続して反安倍のスタンスをとり続けているのは、こうした幹部社員の生理的嫌悪と無関係ではない。

「見るだけで反吐が出る安倍晋三」

そして時が流れて、この「731企画事件」の騒動も収まり、人々の記憶から忘れられつつあった頃、私はある政治部経験者から、驚くべき情報を入手した。

それは、問題の731特集が作られる少し前のことだったという。この政治部経験者は、あるカウンターの割烹で金平と食事をした。ほどなく731特集を制作し、のちに処分されることになるK記者も同席していた。そこで金平は、またも驚くべきことを口にしたと言う。

「このままいくと、見るだけで反吐が出る安倍晋三が総理大臣になっちゃうぞ」

この時の金平は、「怒髪天を衝く」ような勢いで、感情を抑えきれない常軌を逸した表情に見えたという。この描写は、1年前に報道局長室で向かい合った時に私が感じた金平の異常性と酷似していた。

「何とか阻止できないのかよ。あんなのが首相として毎日うちのニュースに出てくるのは、俺には耐えられないんだよ」

これに対してK記者も金平に同調し、金平ほど興奮した様子ではないものの、安倍氏について批判的な発言を繰り返した。金平はその後も、大学の後輩でもあるK記者に執拗に要求したという。
「なんでもいいから、できることはないのかよ」

そして、その数週間後の7月中旬。当時の報道局幹部の証言によれば、完成した「731部隊企画」を報道幹部がプレビュー(試写)した。不自然なドリー(カメラを回したまま移動する撮影技術)から始まるVTRの冒頭に安倍氏の顔が3秒近くも映され、そこに「ゲリラ活動?」という唐突感の否めないテロップが載せられていた。

テロップの意味は当時は謎とされていたが、いまになって考えれば、金平の命を受けて特集を制作したK記者による、安倍氏を貶める「ゲリラ活動」という意味だったとすれば、すっきりと辻褄が合う。

この冒頭シーンの撮影を担当したカメラマンは、カメラワークに対してはK記者から細かい指示が出て、何度か撮り直したと証言している。そして冒頭の映像は、毎回、安倍氏の顔を何秒か映してからドリーに入るよう求められたというのである。

プレビューでも、この異常な冒頭のシーンは問題点を指摘されることなく見逃され、この特集は夕方のニュースとしては異例の長さを割いて大きく扱われた。

記者ではなく、薄汚い活動家

放送直後から、VTRに込められた露骨な悪意に注目が集まった。そして、総務省の厳重注意処分が下されたのと相前後して、K記者も処分されて報道の現場から去った。

しかし金平は何食わぬ顔をして、その後、2年間にわたって報道局長の座に留まり続けた。金平が報道局長という職位を使って部下に安倍氏を貶める特集VTRを作成させたにもかかわらず、トカゲの尻尾切りよろしくK記者だけに責任を擦り付けたのではないかという疑惑は、いまでもTBS関係者の間で燻り続けているのである。

はっきりしているのは、金平という報道局長が安倍氏の総理大臣就任を何とか妨害したいという意思をK記者に伝え、その後、自民党総裁選の2か月前というタイミングで、安倍氏を悪意をもって貶める放送がなされたという事実である。

金平が直接指示して安倍氏を貶める映像を作らせたのか。あるいは割烹での金平の発言を忖度したK記者が作ったのか。森友・加計問題で政権内部の「忖度」について舌鋒鋭く批判していた金平には、この事件に対する自分の関与を明らかにする義務がある。

金平という男は、気に入らない政治家を貶めるためなら、記者としての基本動作も放棄し、同僚や部下を平気で裏切り、自分だけは生き残ろうとする唾棄すべき人物である。そして放送局の報道番組のキャスターという、公平中立を標榜しなければならない仕事をしているにもかかわらず、いまなお反安倍政権の集会に出ては発言を繰り返している。

改めて繰り返すが、金平は記者を名乗る資格がない。「キャスター」という肩書に変装した、薄汚い活動家である。

望月衣塑子も記者を名乗る資格なし!

(写真提供/時事)

大手メディアの記者を名乗る人物で、私に全く取材することなく記事を書いたり、記者会見で質問したりするものが2人いると述べた。ひとりが金平であり、もうひとりが東京新聞の望月衣塑子である。

彼女は、伊藤氏の1回目の記者会見が行われた5月末以降、菅官房長官の記者会見に現れては、この案件について執拗に質問を繰り返した。

しかし、私の実名を挙げて質問をし、記事まで書いているのに、私にはいまに至るまで一切取材をしてこない。主張が対立する一方の当事者を全く取材しなかったという点において、この人物もまた、記者を名乗る資格がないことは明らかである。

さらに、望月の質問や発信は偏っているばかりでなく、根本的に事実認識を間違っていることが少なくない。7月13日に公表されたインターネットメディアのインタビューで、望月はこんなことを述べている。
・詩織氏のお話では、2人が出会ったのは2015年3月末、詩織氏が働いているバーに山口氏がお客としてきた。

・また、関係者に取材したところ、事件が起きた日に、山口氏と詩織氏が訪れたレストランは、山口氏のお父さんも愛用する「値段のないレストラン」だったそうです。

・山口氏のお父さんは、有名な元野球選手の顧問弁護士などもやられている方だと聞いています。

そう長くない記事のなかで出てくるこの3つの文章は、時期や場所、その内容など、取材の5W1Hの基本情報が根本的に間違っている。

望月は菅官房長官の毎日の記者会見でも、認可されていないものを認可されたと述べたり、円とドルの単位を誤ったりと、質問内容が不正確であることが多く、繰り返し批判されている。これは、記者としての望月の能力の低さを示している。

たとえば、「事件が起きた日に訪れたレストランは、山口氏のお父さんも愛用する値段のないレストランだった」という表現はあらゆる意味で間違っている。どこが間違っているかではなく、すべてにおいて虚偽である。

私の父は、プロ野球選手の顧問など1度もしたことがない。望月は、誰に何を取材したのか。私に取材をすれば、それが事実でないことはすぐに確認できる。それなのに、全く事実と異なることを公に発表してバレないと思っているのだろうか。記者以前に、人間としての神経を疑う。

前川喜平と伊藤詩織と望月を守る会

ただ、問題は事実認識を誤っていることだけではない。望月の虚偽情報は往々にして、彼女が貶めたい人物の印象を悪化させるべく盛り付けて書かれているのだ。

そもそも私の父の職業が、この案件と何の関係があるというのだ。望月の狙いは、山口と山口家が、庶民の生活とはかけ離れた金満な生活を送っているという印象を読者に刷り込むという意図が明白である。実際に私が訪れた2軒の飲食店は、極めて安い庶民的な串焼き屋と、サラリーマンでも通える良心的な価格の寿司店である。

「普通の悪質な記者」であれば、他者を貶める記事を書くときには、特に事実確認を慎重にするものである。ガセ情報を裏どりもせず、全く事実と異なることを発信して相手を貶める望月は、記者ではなく詰めの甘い活動家である。そして望月の記事やインタビューは、根拠なく私と私の家族の名誉を著しく毀損する犯罪行為である。

私に会ったことも取材したこともない望月が、どうしてここまでして私を貶めるのか。望月の言動から透けて見えるのは、「反安倍」という明確な姿勢である。

「天下り問題で文部科学次官を更迭された前川喜平氏と、伊藤詩織氏と、望月を守る会」というのがある。そしてこの会員は、私と私の家族に対して、現在でも執拗に誹謗中傷、罵詈雑言のメールや書簡を送りつけてきている。

そして前川氏は「伊藤詩織氏は私よりも何倍も勇気がある」と持ち上げ、望月は前川氏と伊藤氏と相互に連絡を取り合っていることを認めている。

政権を貶める印象操作で協力

要するに、望月の記事は、「前川氏と伊藤氏と望月氏を守る会」の会員が私に送り付けてくる下品な罵詈雑言と同質の、報道の名に値しない誹謗中傷である。

しかし、ちょっと待ってほしい。文科省の天下りや加計学園の問題と伊藤氏の案件に、何か関係があるというのだろうか?

安倍政権に近い人間が優遇されて守られているというのであれば、伊藤氏の案件で私がどう守られたのか、指摘するのが筋だろう。私は粛々と当局の捜査に応じて検察官が不起訴とし、検察審査会が不起訴の判断を妥当と結論づけた。

それなのに伊藤氏は「上からの力を感じた」という表現をもって、何も具体的な問題点を示さず、「犯罪が揉み消された」と主張した。警察が上からの圧力に屈して犯罪を揉み消したのなら、大変なことだ。

そして警察のみならず、検察も検察審査会も、すべての組織が不適切な判断をしたとでもいうのだろうか。伊藤氏は「権力の介入」を主張する一方で、何が問題だったのか具体的な問題点すら明確にしていない。存在しない疑惑は指摘すらできないから、「ブラックボックス」という曖昧な表現をせざるを得ない。

加計学園を巡る問題でも、前川氏は安倍政権の違法性について一切具体的な指摘をしていない。そして、所詮何も違法性を指摘することができない前川氏と伊藤氏が連携して、政権を貶める印象操作で協力しているというのが、前述の不思議な会の実態である。そして、それを仲立ちしているのが望月なのである。

金平茂紀と望月衣塑子。記者を名乗る活動家が大手を振って跋扈するなか、視聴者・読者・国民に求められているのは、「エセ記者」 「エセ情報」を看破し葬り去る観察眼である。
(文中一部敬称略)

【初出:月刊『Hanada』2018年1月号】

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山口敬之

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