戦力外から「イチゴ農家」転身へ 異色の決断を後押しした妻の“思わぬひと言”

「イチゴ農家」に転身する元中日・三ツ間卓也氏【写真:本人提供】

中日で6年間プレーした三ツ間卓也氏、コロナ禍が第2の人生へのきっかけ

やるか、やられるかの世界で得た刺激とは違う、温かい充足感。「月並みかもしれないですけど、『美味しい』って笑顔になってくれるのが、うれしいんです」。昨季限りで中日から戦力外通告を受けた元投手の三ツ間卓也氏が、第2の人生に選んだのは「農業」。異色とも言える決断を後押ししたのは、愛妻からの思わぬひと言だった。

【実際の写真を見る】ベランダで作業する三ツ間卓也氏と育てた作物や花の数々

常に背水の思いで歩んできたプロ人生だった。「1年で支配下になれなかったら辞める」と覚悟を決め、独立リーグから育成選手として中日に入団。宣言通り、プロ1年目の2016年オフに2桁背番号を勝ち取り、リリーフとして2年目は1軍の戦力となった。ただ、毎年安定した成績を残さないと生き残れない世界。2020年以降は怪我の影響もあり、登板機会は減少。昨年10月に戦力外となった。

現役続行の意向だったが、ただ野球を続けるつもりもなかった。「NPB以外でやることは考えられない」。他の11球団で再起か、引退か。年明けになってもオファーは来ず、潔く後者を選んだ。同時期に考え始めていたセカンドキャリア。アパレルや飲食などで起業したり、サラリーマンになったりする選手も多いが「自分には農家以外の道は考えられませんでした」と笑う。

きっかけは約2年前。新型コロナウイルスの感染が拡大し、プロ野球もストップしていたころだった。不要不急の外出自粛で、自宅でトレーニングをするにしても限られる。ステイホームの時間を活用し、ベランダの一角で始めたのが家庭菜園だった。実家で母がガーデニングをしていた影響もあり「もともと育てるのは好きでした」。YouTube動画などでコツを学びながら、イチゴの栽培に挑戦した。

無事に実がなり、家族の食卓へ。当時1歳半だった長男が見せた笑顔が、思った以上に胸を打った。「自分が作ったものを食べてもらうって、こんなにうれしいもんなんだなと」。それから一層熱が入り、ナスやトマト、ピーマン、オクラなどを栽培。オフの日は、小さな小さな“三ツ間農園”に没頭していた。

野球少年や保護者への“オンライン個別相談”も模索、YouTubeでの発信も

仕事にしてみたい――。そんな思いが自然と湧いてきたが、趣味とは次元が違うことは想像に難くない。体力仕事の面もあり、天候にも左右される。なにより家族を巻き込んでしまう。「ダメだろうなとは思っていました」。6歳上の愛妻に恐る恐る話を振ってみると、予想外の言葉が返ってきた。

「野球以外で、こんなに生き生きしているのは初めてじゃない? これからも自分が没頭できる事を仕事にしてほしいと思っているよ。まだ若いんだし、チャレンジしてみようよ」

即決だった。今春から専門学校に1年間通い、準備を整えるつもり。原点となった“イチゴ作り”を中心に、数年かけて神奈川の地でビジネスとして成立させることを目指す。「若者も含め、幅広い世代の方を笑顔にしたい」。高齢化や後継者不足に直面する現状は把握している。

同時にNPB経験者としてできる仕事も模索する。野球少年やその保護者を相手に、“オンライン個別相談会”の実施を模索。「技術を教えてくれる人はいると思いますが、相談に乗ってくれる元プロはいないかなと」。さらにYouTubeチャンネルも開設し、育成出身者だからこその苦労話や反骨心を語っていく。

三十路を前に、家族で向かう再出発。「奥さんに助けられました。自分にできることを考えながら、新しいことにもどんどんチャレンジしていきたいです」。見つけた新たな生きがいに、情熱を注いでいく。(小西亮 / Ryo Konishi)

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