松永大司(監督)- 『Pure Japanese』あれはどういう事なんだろうという議論に発展してくれるといいなと思います

言語で思考が変わるという事

――『Pure Japanese』は血と泥の匂いがする映画でした。

松永(大司):

そうですね(笑)。ありがとうございます。

――この作品は企画・プロデュース・主演をされたディーン(・フジオカ)さん発の映画ですが、物語もディーンさんのアイデアを元に構成されたのですか。

松永:

そうです。作中のPJ(Pure Japanese)キットのアイデアもそうですし、物語の骨格もディーンさんの中にあった物です。大枠のアイデアをいただいて脚本の小林(達夫)さんとプロデューサーの小川(真司)さんとシナリオを作り、ディーンさんともディスカッションしていきながら僕のテイストを加えていきました。

――企画が始まる前はディーンさんとどういったお話をされたのですか。

松永:

最初にディーンさんとお会いして話をしたときに「日本語OS(オーエス)」という単語が出てきたんです。作中でも“日本語人(ニホンゴビト)”という言葉が出てきますが、それが秀逸な表現だなと思いました。“日本人ではなくて日本語人である”要は言語で思考が変わるという事なんです。よく言われているのが日本語と英語の文法の違いで、英語は「I LOVE~~」となるのに対して日本語は「~~だから、私は好きです」となるじゃないですか。

――確かに英語は主語の後に主題となりますが、日本語は最後ですね。

松永:

それは人格を形成するうえで凄く大きいことだと思います。日本語を使って生きている人は一歩下がって生きてるという日本人の思考を持っていて、それが人格形成にも繋がっている。国籍がアメリカだとしてもずっと日本で日本語を使って生きていると、そういう考え方になるんじゃないかなと思いますね。

――遺伝子学的になど色んな見方はありますが、思考の根っこの部分が日本語人になっているという事ですね。

松永:

そうです。「思考・生き方で考えると遺伝子や血筋ではなく、日本語を使っていることで日本人という事になるかもね。」という話をしたのが印象的でした。

――海外でも活躍されているディーンさんだからこそ観えてくる部分ですね。

松永:

僕も撮影の1年前にアメリカに住んでいたので、その感覚が凄く解ったんです。僕にとっても面白いタイミングでした。

本物がもつ視覚からの説得力

――『Pure Japanese』は昔の日本映画を観ているような懐かしさを感じました。画の撮り方も役者のアップは抑え目で、誤魔化しが効かない遠景で全身を撮って1カットも長い印象をうけました。

松永:

アクションを撮るにあたって参考に色々観ていたのですが、高倉健さんが出演されていた『ザ・ヤクザ』を参考にしたのでそうなったのかもしれませんね。アクション映画を撮るのは今作が初めてで、今まではどちらかというと人を演出するという作品が多かったんです。その今までの経験も取りいれてしっかりと人物を撮りながらアクションも撮りたいと思ってつくっていたので、そういった印象を感じられたのかもしれませんね。

――ディーンさん演じる立石と対峙する陣内役の坂口(征夫)さんも迫力があって素晴らしかったです。格闘家でもある坂口さんを陣内役としてキャスティングしたのはどういったところに魅力を感じたからなのでしょうか。

松永:

ディーンさんが元々体を作って本作に臨んでくれたので、相手役の陣内も体ができている人の方がいいなと思ったんです。本当にこの人は強いんだという本物がもつ視覚からの説得力は映像においてとても大きいので、それが坂口さんなら出ると思ったんです。

――坂口さんは特別に高身長・大柄というわけではないですが、実際の2倍くらいの大きさに感じて迫力がありました。

松永:

格闘技をやっている方の出すオーラは凄いですね。

――そのオーラもあって、私が今作で一番好きなキャラクターは陣内なんです。

松永:

嬉しいです。元々、陣内はセリフがもっと多いキャラクターだったんです。

――そうなんですね。

松永:

映画の中で“熊”と呼ばれる役を高野(春樹)さんに演じていただいたのですが、彼を横につけ陣内にあまり喋らせない方が迫力を出せるなとリハーサルでやった時に思ったんです。そうしたことでキャラクターが立ったと思います。

――確かに、陣内が一言「熊」と発するだけで全てを理解して行動することでより迫力が出ていました。長山組の面々もそうですが、『Pure Japanese』のもつどこか世間から隔絶された村にいる登場人物たちのバランスが絶妙で、村の雰囲気もホラー作品ではないのにどこかホラーっぽさも感じました。先ほどの遠景での画作りや長回しもそうですが光の演出も面白かったです。

松永:

そういっていただけるのは凄く嬉しいです。舞台となっている日光が持っている湿度みたいなものを現地で感じたので、韓国映画『コクソン』のような形で村の世界観を表現してみたらいいかなと思ったんです。

――その狙いが物語とバッチリあっていて観ていてどんどん引き込まれてきました。

松永:

ありがとうございます。実は、今回のスタッフはほとんど初めての方ばかりなんです。

――画作りもしっかりされていたので、何度かご一緒していてチームとして出来上がっていのかと思っていました。

松永:

撮影の今井(孝博)さんも照明の木村(匡博)さんもお仕事を一緒にするのは今回が初めてです。撮影に入る前に「今回、色味を色々やってみたいんです。変なことになってしまったとしてもやる価値がある感じています。妖艶で現実なのか非現実なのかがわからないという世界を創ってもらえませんか。」という事をお願いしてそれを表現していただけました。それが作品に凄くいい影響を与えていると思います。

余白を残したうえでシナリオを作って現場で膨らませていく

――実際にそれが画に力を与えていました。先ほどお話しいただいた陣内以外のキャラクターもセリフがすくな目でしたが、何を考えそこに居るかが伝わってきました。他のキャラクターたちに関しても現場でセリフを抑えられたのですか。

松永:

はい。僕はクランクイン前に必ずリハーサルをして、余計だと感じれば省きますし現場でどんどん変えていってしまうんです。そういうのが好きなんだと思います。

――それが映像作品の魅力であり映像というものが持っている力ですよね。映像作品では絵や音、時間経過なども演出でき、そこに役者の表情・演技が入る。元々情報を多く入れることが出来、それだけ本来力を持っているものなので、説明セリフばかりの作品だと観ていて萎えてしまう事もありますから。

松永:分かります。最低限伝えなければいけないことはあるけど、人間ってそこまで説明しなくてもわかることが沢山あると思うんです。意外と日常会話でもそうで、僕たちも省略して話していることが多いですから。

――本番で削られた部分もあったという事ですが、小林さんや小川さんとそういったことをお話しされてシナリオづくりを進めていかれたのですか。

松永:

そうですね。シナリオづくりは小林さんと小川さんと3人で合宿みたいな感じで5日間くらい泊まり込んで書いていたのですが、その時に「僕は現場で直したり、付け足したりと演出していくんです。」という事も話していました。

――付け足すという事もあるんですね。

松永:

あります。例えば、水間ロンさんが演じる中国人が居るじゃないですか。あれは陣内が話さなくなったことによって、ああいったキャラクターになりました。それがあって切られて陣内が「しゃべりすぎだ。」というセリフを言うというシーンが生まれたんです(笑)。

――いいアイデアですね(笑)。

松永:

あとは江戸村に追われ、最後の決闘が始まる前に立石とアユミが二人で隠れ「ありがとうございました。」というシーンもシナリオにはなかったんです。最初は家から逃げた後にスグに対峙する予定だったんですが、ここに何かあった方がいいなと思って現場で差し込みました。

――あのシーンがあったからこそ、最後の決闘シーンの重さがより際立って出ていました。

松永:

嵐の前の静けさではないですが、そういう空気感が出ましたね。立石があそこで鼻歌を歌うのもその時に追加したんです。それを蒔田(彩珠)演じるアユミが聞いて歌うというシーンも含めシナリオでは全くなかったです。

――その発想は凄いです。それをキャスト・スタッフのみなさんが、その場で対応しているのも凄い。

松永:

本当にありがたいです。シナリオだけだと見えてこなかったものが現場で見えることもあるので、その余白を残したうえでシナリオを作って現場で膨らませていくのが僕の好きなスタイルかもしれないと思っています。

――映画だからこそできる魅力でもありますね。同じ映像作品でもTVでは途中にCMが入るなどテンポ感が違ってきますから。

松永:

そうですね。映画でも勿論色んなタイプの映画があると思います。今回のキャスト・スタッフのみなさんが僕のやりたいことに耳を傾けて動いてくれ、素直に信じてくれて凄く謙虚に作品に向かってくれたのは本当に感謝しています。

暴力が発動されるという事はどういうことなのか

――今作のキャラクターたちに根っからの悪人は居ないように思っています。

松永:

そうですね。

――黒崎も地元を盛り上げようという思いで動いてますし、地上げをしている長山組も無茶なことは最初していなくてちゃんと交渉を重ねていますから。違う形で地元を愛している思いが、向いている方向の違いでぶつかってしまったとも取れました。

松永:

この作品は暴力とはどういうことかという事も、日本人とは何だろうという軸とは別の1つの軸になっています。クランクインの前にディーンさんから「この本を読んで欲しい。」と宗教と暴力の関係性について書かれた本を紹介されたんです。その本がとても面白かったんです。歴史を振り返ってみても日本を含め世界各国で宗教が原因で戦争が起きているじゃないですか。

――そうですね。

松永:

その宗教の教えを信じている人にとっては、信じて戦うという事は大義名分なんです。

――その人にとっての正義になっているという事ですね。

松永:

そうなんです。だから、今おっしゃった圧倒的な悪が居ないというのはその通りで、その人の立場のなかで一生懸命に生きているんです。不真面目な人がいたとしてもそれほどたいしたことではなく、正論をみんな言っていてそこには衝突が起き暴力というものが起こってしまう。だから、立石の暴力もアユミから「この人たちを殺して欲しい。」要は私を守って欲しいという大義名分があったことで初めて正論になるんです。

――確かに、それまで立石は人に対して暴力をふるっていなかったですね。

松永:

暴力を決して肯定しているわけではないですけど、暴力が発動されるという事はどういうことなのかというのはこの映画の1つのテーマでもあります。世の中から暴力がなくならない中で立石が本当に狂った人なのか、観た人がどう思うのかは凄く興味があります。映画としては深く描かれていなかったとしても、人物造詣としてここまで至った行動原理については考えて制作していました。

――そこは観ていて伝わっていました。

松永:

ありがとうございます。

――テーマという面では、日本も比較的ゆっくりと国際化が進んでいて海外の方が日本で働いているのも当たり前になってきている今、先ほどのお話しにも出ていた日本人とは何なのかという事とともに、外からの人や文化をどう受け止めていけばいいかという事についても描かれているのが印象的でした。

松永:

多文化になってきているのでもっと開いていても良いと思うんですけど、日本はまだまだ閉ざされた部分がありますからね。

――そういう面でもこれからの日本のあり方に対しての問題提起になっている部分もありますね。

松永:

この映画を観た後に好き嫌いで終わらずに、あれはどういう事なんだろうという議論に発展してくれるといいなと思います。

――観る前はもっと分かり易い娯楽アクション映画なのかなと思いましたが、ドラマやテーマも面白く良い意味での驚きがありました。

松永:

そういってもらえると嬉しいです。もちろん、娯楽アクションとして観ていただくのも大歓迎なので、ぜひいろんな形でこの映画を楽しんでください。

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