プロ初公式戦で顔面死球の壮絶デビュー 元鷹ドラ1と当てた投手の間に生まれた縁

元ソフトバンク・江川智晃氏(左)と中日・山井大介2軍投手コーチ(写真は現役時代)【写真:編集部、福谷佑介】

2004年ドラフト1位でプロ入りした江川氏はウエスタン・リーグ開幕戦で顔面死球を受ける

2004年のドラフト1位でソフトバンクへ入団し、2019年に現役を引退した江川智晃氏。引退後は1年間勤めた球団のスコアラーを退職し、現在は故郷の三重・伊勢市で「まるとも荒木田商店」を経営し、母方の家業である「一志ピックファーム」が育てるブランド豚「一志SPポーク」を販売している。そんな江川氏のプロとしての第1歩は、衝撃的なものだった。

「めっちゃ痛かったですね……。18年で俺の人生終わったなと思うくらいの痛みでした……」

ダイエーホークス最後のドラフト1位選手として指名を受けた江川氏は大きな注目を集めていた。宇治山田商高時代は高校通算33本塁打。投手としても最速144キロを計測し、足も速かった。3拍子揃った打者として、将来の中軸候補として期待されていた。ルーキーイヤーから2軍では4番を任され、オープン戦初打席で初安打。春季教育リーグでは本塁打も放ち、非凡な打撃センスを発揮していた。

3月26日のウエスタン・リーグ開幕戦の中日戦。2軍ではありながら、プロ初の公式戦に江川氏は「4番・遊撃」でスタメン出場した。その初打席でヒットを放ち“プロ初安打”をマーク。華々しいデビュー戦になるかと思われた。ただ、続く第2打席に悲劇が待っていた。

中日の山井大介投手(今季から2軍投手コーチ)が投じたボールは顔面直撃の死球に。その場に倒れ込むと、そのまま救急車で病院に搬送された。「当たった瞬間は、どこに当たったのか分かないくらいでした。もう一瞬で麻痺しちゃったんで……。初めは目が開かなかったから、目に当たったのかと思ったんですよね」。直撃したのは左頬。左頬骨を骨折し、整復手術を受ける重傷を負った。

現在は三重で豚肉の販売を手掛けている江川氏【写真:福谷佑介】

「あれもいいデッドボールだったな、と」とポジティブに捉える江川氏

特注のフェイスガードをして、わずか3週間ほどで実戦復帰を果たしたのだが、その後もしばらく影響は残っていた。「恐怖心はなかなか取れなかったですね。踏み込んでいけないんですよ。もう足を見たらわかるんです。足が思いっきり開いているんですよ。自分はこんなに開きたくないのに、意図して開いてるわけじゃないのに、勝手に開いてて。プロの投手が投げるスライダーとかカーブって、デッドボールのように来るのが、チャンスの球なんですけど、体が構えてしまって手が出ないんです」。恐怖心が和らぐまでに5年ほどかかったという。

「5年目くらいからはこんなことでビビっていたら、クビになると思って、そこで全てではないですけど、恐怖心は取れました」と振り返る江川氏だが、その時の後悔や遺恨めいたものは「一切何もない」という。1軍ではなかなか結果は出なかったが、現役としてプレーした15年を振り返り「野球なんでデッドボールはしょうがないですよね。あれがなかったらもっとできたかもしれないですけど、あれがあったからこそ15年できたかもしれない。本当のところは分からないですから。野球の結果は満足はしてないですが、出会えた人にすごく満足しているんです」と晴れやかだった。

山井氏とはその後、現役中に食事を共にする機会があった。「山井さんはすごく気を遣ってくださっていました。『僕の避け方が下手だったし、そんな風に背負わないでください』とお話しさせてもらいました」。それでも、その後も何かと気遣いを見せてくれていた山井氏。江川氏が故郷に戻り「まるとも荒木田商店」をオープンしたことを知ると、共通の知人を通して豚肉を購入してくれたという。

プロ野球人生を狂わせたかもしれない初の公式戦での顔面死球も、それが新たな縁を生んだ。「わざわざ豚肉を買ってくれましたし、あのデッドボールがあったおかげで、山井さんのような方ともこういうふうに出会うことができた。痛かったですけど、こういう接点を持てるというのもなかなかないことなので、もう本当にポジティブに捉えています。あれもいいデッドボールだったな、って思います」と語る江川氏は清々しい表情を浮かべていた。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)

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