言葉のダシのとりかた

 詩人の長田(おさだ)弘さんに「言葉のダシのとりかた」という一編がある。〈かつおぶしじゃない/まず言葉をえらぶ/太くてよく乾いた言葉をえらぶ〉▲それから透き通るまで言葉を削る。鍋でグツグツさせる。あくをすくう…。詩作の心得と思われるが、日々の締め切りに追われてばかりの身には、少々耳が痛い▲詩はこう続く。丹念な調理で〈言葉の澄んだ奥行きだけがのこるだろう/それが言葉の一番ダシだ〉。深い味には手間が要る。では、その逆は何か。料理の手間は一切なく、口を突いて出た言葉だろう▲県の要請を受けて、新型コロナウイルスの無料検査に協力している調剤薬局に、心ない言葉が向けられる例があるという。薬を受け取りに来た人は「PCR検査をしていると知っていたら来なかった」。取引先の医療機関は、しばらくの間「出入りしないで」…▲屋外や車内で検査する、出入り口を別にする。どの薬局も感染対策に努めている。それでもウイルスの影がちらつく全てを遠ざける心理が働くのだろう。不安や恐怖心が生みだす反射的な言葉だとしても、胸がざらりとする▲薬局の協力が広がれば、検査の混雑も減る。「ありがとう」か「ご苦労さまです」か、検査への協力に〈まず言葉をえらぶ〉とすれば、こちらだろう。心遣いがいいダシになる。(徹)

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