日本ハム最後の“東京戦士” 昨季で引退した鶴岡慎也氏が残した功績を振り返る

日本ハム、ソフトバンクでプレーした鶴岡慎也氏【写真:石川加奈子】

北海道移転前の2002年にドラフト8位で指名された鶴岡氏

2021年12月13日、日本ハムは鶴岡慎也捕手が現役引退することを発表した。鶴岡氏は日本ハムとソフトバンクの2球団で、19年間にわたって捕手として活躍。日本ハムが東京に本拠地を置いていた2003年以前に入団した選手の中で、最後までNPBで現役生活を続けた、いわば「最後の東京戦士」でもあった。

鶴岡氏はダルビッシュ有投手(現・パドレス)とバッテリーを組むことが多く、いわば「専属捕手」に近い立場にあった時期も。若き右腕が球界を代表するエースへと成長する過程において、呼吸ぴったりの女房役が果たした役割は大きなものがあった。

今回は、そんな鶴岡氏の現役時代の功績を振り返るとともに、2014年以降における印象に残る活躍について見ていきたい。

鶴岡慎也氏の年度別成績【画像提供:パ・リーグ インサイト】

鶴岡氏は樟南高校から三菱重工横浜を経て、2002年のドラフト8位で日本ハムに入団。プロ入り4年目の2006年に76試合に出場して1軍に定着すると、同年はチームも日本一に。その後も主戦捕手として活躍を続け、4度のリーグ優勝に貢献した。

日本ハムでは2008年までは打撃力に長けた高橋信二氏、2009年以降は2016年にゴールデングラブ賞を受賞する大野奨太捕手(現中日)と、激しい正捕手争いを繰り広げた。そんな中でも、2009年から2013年の5年間で4度、100試合以上に出場。巧みなリードやブロッキング、高い捕球技術といった捕手としての能力を活かし、強豪へと成長したチームを支えた。

2009年にゴールデングラブ賞、2012年にベストナインに輝く

デビュー当初は課題だった打撃面も、2013年に打率.295を記録するまでに向上。2009年にゴールデングラブ賞、2012年にベストナインと、捕手としての2つの勲章も受賞し、名実ともにリーグ屈指の捕手として認められる存在となった。

2014年からはFA権を行使してソフトバンクに移籍したが、正捕手の座を確かなものにすることはできず。それでも、2014年に98試合、2016年に103試合に出場するなど、1軍の中心選手としてプレーし、在籍4年間で3度の日本一を経験した。2017年は甲斐拓也捕手の台頭もあって29試合の出場に終わり、再取得したFA権を行使して古巣の日本ハムへと復帰した。

復帰初年度は正捕手として101試合に出場し、ベテランらしい円熟味のあるプレーでチームのAクラス入りに貢献。ただ、同年オフに1軍バッテリーコーチ兼任となったこともあってか、2019年以降は出場機会が大きく減少。そして、40歳で迎えた2021年のシーズンオフに、19年間のプロ生活を終える決断を下している。

現役生活を通じて勝利に対する貪欲な姿勢を発揮し続け、通算7度のリーグ優勝と4度の日本一を経験した鶴岡氏。明るい性格と全力プレーでファンに愛された名捕手の活躍は、これからも記憶の中に色濃く残り続けることだろう。(「パ・リーグ インサイト」望月遼太)

(記事提供:パ・リーグ インサイト)

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