映画『名付けようのない踊り』の公開記念舞台挨拶!田中泯「これからも踊りを死ぬ瞬間まで踊り続ける」

『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『のぼうの城』の犬童一心監督が、世界的なダンサーとして活躍する田中泯の踊りと生きざまを追ったドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』の公開を記念し、本日、新宿バルト9で舞台あいさつが行われ、田中泯と犬童一心監督が登壇した。 1978年にパリデビューを果たし、世界中のアーティストと数々のコラボレーションを実現、そのダンスの公演歴は現在までに3000回を超える田中泯。映画『たそがれ清兵衛』(02)から始まった映像作品への出演も、ハリウッドからアジアまで広がっている。そんな独自の存在であり続ける田中泯のダンスを『メゾン・ド・ヒミコ』(05)への出演オファーをきっかけに親交を重ねてきた犬童一心監督が、ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら撮影した。 映画上映後にステージに登壇した田中は「映画を観た後ですよね。なんだかもう話さなくてもいいような気もしますが。ただこの時期にこういう映画ができて、大勢の人に観ていただくのは非常に不思議な気持ちでいます」と笑いながらも、「犬童監督がこういう映画を作ってくれたんですが、これは田中泯というやつの話ではなくて、映画全部が語っているように、踊りというものが僕にもたらしてくれたたくさんのものに、全身で感謝するものになっていると思うんです。ですから、これからも踊りを死ぬ瞬間まで踊り続けるというか。僕の師匠もそうでしたから。僕もそれだけは継承したいなと思っています」とあいさつ。犬童監督も「最初は、映画にしようと思って撮っていたわけではなく。ひとつの興味として撮っておこうなかというところから始まりました。それがこうやって時間を経て、皆さんに観ていただける映画になっているというのは、必然だったかもしれないですが、不思議な気持ちです。今日は皆さんに観ていただけてしあわせです」と続けた。 二人の出会いは2005年の映画『メゾン・ド・ヒミコ』の時。オファーをした際に田中から「自分は演技はできないけど、その場面に居ることは一生懸命できるけどいいか?」と言われたと振り返った犬童監督は、「その言い方が、僕がほしいものを言葉として言ってくれたなという思いがあって。僕が映画の中で求めているものも、実はそれだったんじゃないかということに気付かされました。それで撮影をしたんですが、最初はただ歩いて部屋に入ってくるだけのカットだったのに、それが圧倒的なカットになっていて。このカットは何だろうということが大きかった」と田中泯という存在に迫りたいと思った理由を明かす。 さらに撮影を通じて「泯さんの踊りの面白さとか素晴らしさを簡単に説明はできなくて。ただ、言語化しにくいけど、間違いなくいいものを観たと思えるのがいいんですよね」と感じたという犬童監督は、「映画を作っていると、すぐにわかりにくい、伝わらないなどと言われて。それで直したりするわけですけど、泯さんと映画を作るともしかしたらそういうことから離れられるんじゃないか。長い時間かけて積み上げないと分からないなら、長い時間をかけようぜということでいい。そういう作り方ができると思った」と本作に向き合った思いを語る。また、2年間に渡り、田中の踊りを撮り続けてきた犬童監督は「田中泯という人の圧倒な居方に興味を持ったことから始まった作品。いろいろなことを考えるきっかけとして、自分の言葉で伝えたり考えたりして欲しいです」と作品を通して、自分自身に向き合ってみて欲しいと訴えた。 本作の公開を記念して、公私共に親交がある俳優・大泉洋との対談が実現。公式サイトなどでもその動画が公開されている。そのことについて質問された田中は「田中泯という個人の身体でやっていることなので。わたしの動き、わたしの踊りに違いないんだけど、でも僕が夢見ているのは、そういう”わたしの踊り”だからどうぞ見てください、ということで始まっているわけではない。大泉洋さんはそういうことを知っていてくれて。彼が見た独特の感想をしゃべってくれている」とコメント。田中にとって大泉が良き理解者であることがうかがい知れた。最後に田中は、「本当は“田中泯の映画を観た”ではなく、“踊りの映画ですごいものを観た”と言ってもらえたら!名はクズです」と茶目っ気たっぷりのコメントで締め括った。

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