全日本学生室内テニス優勝 田口涼太郎(近大3年) 父との基礎練習で飛躍「長崎の選手でもやれると示せた」

年末年始に地元でトレーニングする田口=長崎市さくらの里庭球場

 1964年から続く全日本学生室内テニス選手権で初優勝を飾った田口涼太郎。年末年始は地元の長崎に帰省して、トレーニングに励んだ。「いろんな人におめでとうって言われた。長崎の選手でもやれると示せた」。子どもたちに刺激を与える結果を残した。
 父の影響で幼稚園の年中からラケットを握った。当初は父が所属していたクラブに入っていたが、長与南小2年生のころになくなった。その後は父が「子どもたちの場所を守ろう」と創設したテニスクラブ「マルヨシ商会」で競技を続けてきた。
 親がコーチという環境は、逆に遊べなかった。学校が終わると厳しい練習が待っていた。「嫌々やっていた。本当は小学6年でやめたかった」。だが、その年に全日本ジュニア選手権12歳以下の部でタイトルを獲得して「もうちょっとやりたいと思った。あれがなかったら…。やめなくてよかった」。ペアを組んでいた藤永啓人(海星高-明大)をはじめ、同世代の仲間がいたことも頑張っていけた要因だった。
 長与二中卒業後は「もっと強くなりたい」と大分舞鶴高に進学。2年時にインターハイの個人シングルスで準優勝した。「そこまでいけて十分だった。3年で優勝を狙いたかったけど、最後は結果が出なかった」。大学は希望していた早大に進めずに近大へ。だから「打倒早大という思いでやってきた」。
 今回、その目標を達成して、大きく飛躍するきっかけは地元にあった。一昨年の5月、コロナ禍で1カ月ほど帰省している際、父に球出しをしてもらって基礎を見詰め直した。「そこからがっと上がった」。もともとフォアが弱くてバックが強かったが、どちらも精度や技術が格段に良くなった。
 日本学生室内選手権の決勝の相手は、同世代のトップを走り続けてきた白石光(早大)。プロ転向を公言している格上に競り勝って「抜けてはいないが、追いつけたかな」と手応えをつかんだ。この活躍などが認められてFISUワールドユニバーシティゲームズ(ユニバーシアード)の候補にも入った。「選ばれるように頑張りたい」。21歳の学生王者の視線の先に「世界」の二文字が入ってきた。


© 株式会社長崎新聞社