調査報道は端緒がすべて それを実例から見る 「権力監視型の調査報道とは」【1】

調査報道とは何か。とくに「権力監視型」の調査報道とは何か。どんな事柄を指針にして、どう進めたら良いのか。この記事はそうした疑問に答えるため、日本記者クラブ主催・第10回記者ゼミ(2015年11月27日、日本プレスセンター)で行われた講演を加筆・再構成したものだ。主に新聞社・通信社の若手、中堅記者にを対象にして「何をすべきか」「何ができるか」を語っている。6年前余りのものだが、権力チェックを志向する取材記者にとって、今でも十分に役立つはずだ。それを5回に分けてお届けする。第1回は「端緒が全て」を軸に。(フロントラインプレス代表・高田昌幸)

◆調査報道は「評論」ではない。「事実の検証」だ

皆さんは経験も積んでいらっしゃる記者なので、「調査報道とは何か」は省き、「いったい、われわれに何ができるか、どういうことができるか」を中心に話をしたいと思います。

「調査報道とは何か」を飛ばすと言いましたけれども、一点だけ強調しておきたい。私の言う調査報道、権力監視とは、評論ではない。例えば、「安倍政権はけしからん、こうこうすべきだ」というのは、私に言わせれば評論です。評論は大事なので、いろんな意見をどんどん報道すべきだと思います。

しかし、きょうお話しするのは、基本的にファクトの世界です。記者が何か事実をつかんで、その積み上げによって、世の中に隠れていることに疑義を唱えていく。そうした取材・報道は評論ではありません。

記者会見で安倍さんが言ったことに対し、「あなたは間違っている」と言うのは評論です。そうではなく、実際のファクトをつかみ、「言っていることと、やっていることが違いますね」「あなたが話したことは虚偽ですね」と。あるいは「これを隠しているでしょう」と。それが権力監視の調査報道だと理解してください。評論的な批判記事が調査報道ではありません。反権力の評論が調査報道ではありません。

もう一つ。現行の記者クラブ制度について、です。私は非常に批判的で、本も論文も書いています。あるいは「記者室と記者会見の完全開放を求める会」をフリー記者らと一緒につくって、このプレスセンターで「記者クラブを開放しろ」という記者会見をやったこともあります。「記者室と記者会見の完全開放を求める会」という集まりで、私が世話人。実質的な元締めでした。労働組合としての活動は別にして、現役の新聞記者でそんなアクションを起こした人はいないでしょう。各社の編集局長らへのアンケートも行い、結果も公にしました。北海道新聞の平社員にそんなことされて、面白くなかったでしょうね。

◆「発表報道」VS「調査報道」

しかし逆説的かもしれないけれども、私は、記者クラブそのものは大事だと思っている。なぜかというと、記者クラブ、記者室は建物の中にある。権力機構の中枢部に記者が活動できるスペースがあります。警察なら、警察署の中にある程度入っていけます。外務省だったら、外務省の建物の奥深くに日常的に入っていくことができる。その一点です。

そういう意味で、記者クラブや記者室の存在自体は非常に大事であろうと。記者クラブ問題が主題ではないので、これ以上は語りませんが、ポイントは、そこで何をしているか。記者が何をやっているかということです。

元NHK社会部記者の小俣一平さんが『新聞・テレビは信頼を取り戻せるか』(平凡社新書)という本を最近書かれています。古いところでは、岩瀬達哉さんは『新聞が面白くない理由』(講談社)を1998年(2001年に文庫化)に書かれています。岩瀬さんの本によると、発表報道及び発表の加工報道の割合が、当時7割から8割。小俣さんの本によると、発表報道の割合はやっぱり同じ程度だったということです。

要するに、発表報道ではないものを記者クラブを拠点にして、どうつくっていくか。そこを考えたほうがいい。そこが出発点ではないか、と。少しイメージしていただければわかると思います。例えば、外務省の密約問題を取材しようと考えたときに、外務省の建物の中に拠点があって取材ができる場合と、外務省の門の外にいて「誰かに会わせろ」と叫んでいる場合と、どちらが肝心な情報源にアクセスしやすいか。一概には言えませんけれども、大ざっぱに言えば、最初から権力機構の中にいたほうがやりやすいはずです。そういう点からも、権力監視は日常取材の延長線にあると。そんなイメージを持っています。

◆調査報道は「端緒がすべて」

ここからが本題です。

調査報道、つまり権力監視はどうやればできるのか。統一的なノウハウはありませんけれども、一定の類型、一定のパターン、一定のやり方はあるだろうと。それが30年近くの記者生活の結論です。

「調査報道で一番大事なことは何ですか」という質問をよく受けます。答えは「調査報道は端緒が全て」です。当たり前ですけれども、取材は全て、何かのきっかけがあってスタートします。取材して、記事を書く。取材を重ねて、裏をとって記事を書く。一般の取材でも、取材はきっかけが全てです。調査報道も同じです。何か世の中でおかしいことが起きている、何か外務省で、財務省で変なことが起きている、その端緒をどうやってつかむか。それが全てだと思います。これができるかできないかが、決定的な分かれ道です。権力監視の報道ができるためには、端緒をどうつかむか、だけです。

◆端緒のつかみ方、いくつかの基本

では、端緒のつかみ方には、どういうものがあるか。

一番大事なのは「日常の取材先から、記者個人が『内部告発先』として認識してもらう」ことです。そのために普段、記者クラブを拠点に建物の中に縦横に入り込んでいるわけです。ここにいる記者のみなさんも、ふだん、いろんな場所をベースに取材をしていると思います。そういう日常の取材先から「この記者であれば、この情報は伝えても大丈夫だろう」「どうしても外に訴え出たい内容がある。この記者にだったら言っても大丈夫」、そういうふうに思ってもらえるかどうか。つまり、「内部告発を行う相手としてこの記者は適切である」と思ってもらえるかどうか。それが最初のポイントだと思います。

デジタル技術の進展により、暗号化されたメールの送受信も可能になりました。特別の機能やアプリを使って内部告発のメールを送ることができます。テクノロジーがさらに発達すれば、完全に自分の身元を秘す形でできるでしょう。あるいは、今でもそうであるように、手紙や電話でも一定程度は身分を隠して内部告発はできると思います。

しかし、これは、ひたすら内部告発を座って待っている状態ですね。言葉はヘンですけれども、内部告発はその記者1人ひとりが誘い込むことができます。そして、私の経験上、重要な内部告発は、本当に大事な内部告発は、1対1の関係で行われる。1対1の関係というのは、日常的につき合っているAさん、Bさん、社長さん、部長さん、そういう人のことを言っています。

◆開発業者の資金を役場が管理 その端緒は?

資料として配った「中富良野町に裏会計」をごらんになってください。これは相当前の、1993年の記事です。古くてごめんなさい。私が取材しました。リゾートで有名な北海道の中富良野町というところで、町役場がリゾート業者から巨額の現金を預かって、役所の収入役とか町長とか、幹部らが使っていたという話です。民間業者の金を役場が扱っていた。開発業者のために地権者との交渉などを役場が事実上代行してしまっていた。そのための必要経費などです。この一報のときは3770万円預かっていた。しかも収入役が役場の公印で預かっていた。

この報道の端緒は何だったか。

実は、お金を預かる側にいた役場の人です。当事者の1人です。町長も助役も収入役も各課長ら、みんなが関わっていたのですが、その中に「こんな違法なことを後任者に引き継いでいいのかどうか」と、ものすごく悩んだ人がいました。悩みながら、結果的に引き継いでしまった。けれども、本人は思い悩んでいた。

私は、中富良野町に別件の取材で通っていたことがありました。それで、その方の自宅で「お久しぶりです」と話して、帰ろうとしたら、「朝一番でもう一度自宅へ来てくれ」と。翌朝行ったら「こんなことが役場で起きている。何とか頼む。情けないけど、俺の力ではどうしようもない。私の見るところ、君は信用できそうだ。取材には表向き、俺はもう答えられないけど頼む。今後は知らんぷりする。連絡もしないでくれ」と言って、資料の束を渡されました。読めばわかる、と。

それで取材を始めた。約束を守って外で当人と顔を合わせても、相手はそしらぬふりをする。わざと。小さい役場です。みんなが何となく、取材に聞き耳を立てている。

◆不正融資の端緒は「内部告発ならこの記者に」と思ってもらえたこと

それからもうひとつ、破綻した北海道拓殖銀行の関連記事をみてください。
拓銀は1997年に経営破綻しました。これは経営破綻した直後の記事です。拓銀はその後、いろんな不正融資が表に出てくるんですが、その皮切りに近い記事です。同僚と取材しました。

私は北海道新聞時代、社会部に在籍する前、経済部で主に銀行を担当していました。だから地元の銀行を中心に多くの知り合いがいた。拓銀が破綻に向かう混乱の中、内部文書が流出するようになってきた。本来は流出するはずもない内部文書も、です。銀行からのリーク合戦みたいなものもあった。その流れの中で、不正融資の資料も取材チームの手に入るようになってきた。

なぜ内部文書が入手できたか。やはり、日常的な取材が基礎だと思います。経済部で銀行を担当していたときに、毎日のように役員や幹部を夜回りしたり、すすきので付き合ったりしていた。経済部の時が一番、夜回りしました。そういう積み重ねがあって、「こいつだったら信用できるんじゃないか」「内部告発するなら高田だ」と思ってもらえたんじゃないか、と。拓銀関連の不正の報道は延々と続くんですが、そういう経緯があって、生のペーパーも手に入ってくるようになってきたということです。これが1対1の意味ですね。

◆「クリーンな人」以外とも付き合ったほうがいい

端緒をどうつかむか。その2番目は「素性が悪いと思われがちな人とも意識して付き合う」です。皆さん、ふだん取材先ではいろんな方とお付き合いしていると思います。その中で、本当に権力の中枢に入って何かをひっくり返すような調査報道、その端緒をどこでつかむかということで言えば、この2番目、「素性が悪いと一般的に言われる人とどう付き合うか」も大きなポイントだと思います。

日常的な取材は通常、いわばクリーンな人とのお付き合いでしょう? 身分のはっきりしている、官僚とか、市長さんとか、何とか財団の理事さんとか、非常にきれいな方とお付き合いすることが多いと思います。しかし、そういうところからは、なかなか本当の端緒というのはつかめないんじゃないか。

街金業者と付き合ったことがある人、いますか。あと、手形のパクリ屋みたいな人とか。ああいうところはものすごく情報が早い。どこかの企業が潰れかけているとか、どこかの政治家に変な金が渡されたとか。何か裂け目があると、すぐそこに手を突っ込んでいって金をむしりとろうとしているような人たちなわけです。アングラ経済人みたいな。

そういう人たちの輪の中に入る。そういうところによく警察の二課の人とかいるわけです。ああ、二課もそういうところからも情報をとろうとしているんだな、というのがまた見えてくる。

あと、情報誌の世界。有名だった「現代産業情報」、あれは後に「アングラ」とは言えないぐらいメジャーになっていたと思いますけれども、いわゆるアングラ系の情報誌とか、一昔前で言うと、総会屋系の情報誌、そこに書いている人たち。とにかくそういう人と付き合う。

◆「元幹部」「元議員」「元社長」…「元」が役立つ

それから「二課のネタ元」、贈収賄事件を扱う捜査二課と同じことをしても、僕らは仕方ない。だから、二課がどこから情報をとっているかを探って、そこに当たる。あるいは、民間の信用調査機関、帝国データバンクとか、東京商工リサーチとか、あの人たちはどこから情報をとっているのかを考えて、そこにこっちが情報をとりに行く。データバンクの情報員から情報を間接的に得るのではなく、こっちが彼らの情報源を見つけ、直接そこへアクセスしにいく。そこを大事にする。

「元職」もすごく役に立つと思います。例えば、政治家の元秘書とか、あるいは企業の元役員とか、原発の関係でいえば電力会社の元役員とか。元職とふだんから交流しておく。元政治家でもいいです、元市長でもいいです。「元」が大事です。現職ばっかり行かない、これをぜひお勧めしたいと思います。

◆「男には死んでも言えないことがある」というコメントを載せた

参考資料の中に「忠別ダム用買収解決資金」という記事があります。1997年の北海道新聞1面です。見出しの「旭川開建」は旭川開発建設部と言って、北海道開発庁の出先です。

記事の内容を簡単に言えば、こういうことです。国営の忠別ダムの建設に絡んで、水没予定地を国が買収できなくなった。地主に値段を吊り上げられた。買収予定地の真ん中に土地を持っていたんですね。こういうのを地上げ業界で「ふんどしを踏む」と言うそうです。

忠別ダムの場合、ふんどしを踏んだのは、地元の暴力団関係者です。着工予算もついたのに、用地が買収できない。そういう事態に陥ったときに、まだ入札公告もしていないのに、事実上3年も前から談合で受注が決まっていた大手ゼネコン側、つまり大成建設ですが、そこに対して「民間の大成建設に買収してもらって国に安く転売してもらおう」という話が浮上した。

ゼネコンも一流企業ですから、自分では手を汚したくないので、一次下請けに裏金をつくらせます。総額6億円です。そしてフィクサーみたいな人物も介在し、一次下請けの関係先が問題の土地を買って、国に安く転売した。その差額は着工後、ダムの設計変更でちゃんと取り戻す。そういう仕組みだったのです。この一次下請けは、後に、政治家・小沢一郎氏の政治資金事件「陸山会事件」に絡んで有名になる水谷建設です。

そのときに、6億円のお金をデリバリーする場面があったんですね。ゼネコンの幹部と一次下請けの幹部、元の土地所有者、国の役人。それらが札幌のホテルの一室に集まり、6億円、ボンと動かします。そこに、関係者の口止め役として、本州の暴力団幹部もいた。その幹部は6億円のうちから億単位の金を持って行く。そういう事件だったんです。これはその後、国会でも出ました。でも、真相は闇から闇です。

この関連記事は何本も書きましたけれども、誰も事実関係は公式に認めませんでした。公式には、です。こっちは絶対の確信がありました。関係者からほとんど全てを聞き出していた。その内容が正しいかどうか同僚記者と組んで3~4カ月かけて取材する。そういう流れでした。結果として、事実関係は当初の取材のとおりでした。

では、端緒は何だったか。これらの工作に関わった人が周辺にしゃべり、それが「アングラ情報」として出回っていました。それをつかんだわけです。逆に言うと、そういう地下水脈みたいな人たち、そこと接点を持ち、継続的に接触していなければ端緒はキャッチできなかった、ということです。

実は30年間の記者生活の中で一番記憶に残っているコメントが、この記事の中にあります。記事の最後のほうに、旭川開発建設部の幹部のコメント。何度も取材に行って合計で十数時間の取材のあげく、彼は言った。「男には死んでも言えないことがある」。言い逃れできなくなった相手の最後のせりふがこれでした。

=つづく(第2回は2月1日公開予定)

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