スポーツをゆがめる中国に五輪開催の資格なし|古森義久 「日中友好、新型コロナ、ウイグル・ジェノサイド否定、パンダ親善大使、核先制不使用……国家ぐるみの虚偽(フェイク)が白日の下にさらされる」――産経新聞ワシントン駐在客員特派員の古森義久氏だからこそ書けた秘密主義国家が最も隠したい真相情報と米中対立の内幕『中国、13の嘘』が発売中! 今回は本書から、彭帥さんをめぐるバッハ会長の欺瞞を公開!

米下院がバッハ会長を名指しで非難

中国にとってスポーツと政治という課題がいかに醜くからみあい、ゆがめられることがあるか。

その側面を象徴したのが中国人女子テニス選手、彭帥さんをめぐる奇々怪々な出来事だった。同時に国際オリンピック委員会(IOC)という組織がいかにだらしのない態度をとるかもこの事件で明るみに出た。

事件の端緒は2021年11月2日だった。舞台は中国のインターネットの投稿サイト「微博(ウェイボー)」である。

中国で最も有名な女子テニススター、彭帥氏が中国共産党幹部だった元副首相の張高麗氏に肉体関係を強いられたことを、彭氏本人が告白する書き込みが載ったのである。

いま35歳の彭氏は、2006年の中国選手権で女子シングルス、ダブルス、混合ダブルス、団体で四冠の女王に輝いた。173センチの長身からの高速サーブで、2013年の全英選手権、2014年の全仏選手権を制した。ダブルスの世界最高ランク一位の記録を有し、中国で最も有名なアスリートの一人だった。

この事件は国際的な波紋を広げ、アメリカ議会下院本会議は12月8日、中国政府とともに、国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長を名指しで非難する決議を全会一致で採択した。

「IOCは自らの人権誓約に逸脱した」とするこの決議は、バッハ会長とIOCが女子選手へのセクハラや人権弾圧の疑惑に関連して中国当局のカバーアップ(隠蔽工作)に加担したと糾弾した。

アメリカの政府や世論を代弁する議会の、IOCとの全面対決の姿勢は、こんごのオリンピック運営にも大きな影響を与えそうだ。同決議案は下院外交委員会のジェニファー・ウェックストン議員(民主党)とマイケル・ウォルツ議員(共和党)によって共同提案され、外交委員会を経て、本会議で一気に可決された。

彭氏は当初、中国内の会員制交流サイトに投稿し、かつて自分が張氏に性行為を求められて困惑した状況を告白の形で書いた。その後、反響が国際的に広まると、メッセージは削除され、彭氏自身が現在は元気であり、過去には性的暴行はなかったという趣旨のメッセージを流すようになったが、当局に強制されて発信している疑いが濃い。

バッハ会長の動きは中国当局の隠蔽工作への協力

こうした状況のなか、IOCのバッハ会長が彭氏とテレビ電話で話したという発表が11月21日、IOC当局によって行われた。発表によると、三十分間の通話で彭氏は「北京の家で安全かつ元気に暮らしている」と説明したという。

しかし彭氏の所在はなお隠されたままの状態で、中国当局の公式発表をあえて承認する形となったバッハ会長の行動には国際的な批判が噴出した。

アメリカ議会下院の決議はバッハ会長のこの動きを厳しく非難し、IOCが中国政府に対して彭氏の本当の現状を公表するよう求めることなどを要求した。

決議は以下の骨子を述べていた。

•彭選手の11月2日の当初の投稿メッセージは張元副首相から明らかに性的暴行を受けたことを意味したが、その直後から中国当局はそのメッセージを削除し、彭氏も消息不明となった。

•「世界女子テニス協会(WTA)」は11月14日、中国政府に彭氏に関する完全な情報開示を求め、同時に納得できる回答を得るまでは中国ではWTA主催の試合は実施しないという抗議の方針を発表した。

•WTAは11月17日、彭氏本人からだとされる「私は暴行されたことはない」とか「私はいま無事でいる」という趣旨のメッセージを受け取ったが、その内容には客観的な根拠はなく、中国当局が工作している疑いが強いと言明した。

•ホワイトハウスのサキ報道官と国連人権委員会のスロッセル報道官がともに11月19日、「彭氏は実際には失踪状態にあり、中国政府が関与している疑いが強いため中国政府に対して事態の解明を求める」という声明を発表した。

•ところが11月19、IOCは「バッハ会長が30分にわたり、彭氏と直接にビデオ電話で話しあい、彭選手が無事でいることを確認した」と発表した。だがこのビデオ電話には中国当局の代表も加わっていることが報じられた一方、どんな状況でバッハ・彭間の会話が交わされたが不明のままである。このバッハ会長の動きは中国当局の隠蔽工作への協力に等しい。

彭帥選手とバッハ会長のテレビ電話会談。習近平のプロパガンダに加担するIOC会長。(IOCのHPより)

中国の独裁に従うIOC会長

同決議は以上の現状認識を示したうえで議会下院としての反応を次のように宣言した。

•IOCのバッハ会長の言動は明らかに中国政府の人権抑圧に協力して、スポーツ選手である彭氏の権利の迫害に加わることに等しいため、アメリカ議会としてこれを非難する。IOC全体とバッハ会長がともに中国政府に対して彭氏に関する情報を完全に開示することを要求すべきだ。

•IOCは独自に彭氏の安全と自由を確認するための調査を実施すべきだ。同時にアメリカ政府や国連もこの事件をスポーツ選手たち全体の人権や自由への迫害として調査をすべきである。また彭氏がこんご望むならばアメリカへの移住を認める。

同時にこの決議が明示したのは中国という独裁国家が、スポーツやスポーツ選手をも平然と政治的な抑圧の対象にする実態だった。そしてその中国の独裁に国際オリンピック委員会の会長が唯々諾々と従うという実態も浮き彫りとなった。

スポーツを政治から切り離すことはできない

オリンピックのボイコットで歴史に特筆されるのは、1980年のモスクワ五輪である。アメリカ、日本など西側諸国の多くが全面ボイコットをした。

その理由はソ連軍によるアフガニスタンへの侵攻だった。1979年12月末、ソ連軍の大部隊がアフガニスタンに侵入し、首都カブールを襲って、国家元首を殺害した。その後、ソ連軍はアフガニスタン全土の軍事占領を図り、攻撃を続けた。

この軍事侵略に抗議して、アメリカや西側陣営の多くの国が、ソ連が首都モスクワで開催する1980年のオリンピックに「ノー」を突きつけた。このとき日本側ではボイコットへの反対の声もあがった。その主張の趣旨は「スポーツと政治は別」ということだった。

だがこの点について当時、私が強い印象を受けたのは、アメリカの大物上院議員でオリンピック参加歴のあるウィリアム・ブラッドレー議員の言葉だった。

「スポーツを政治から切り離すことは、酸素を空気から切り離そうとすることに等しい」

民主党上院議員のブラッドレー氏は1980年のモスクワ五輪への、明確なボイコット論を主張して、その理由をこう説明した。同氏はその後、中国が五輪を開催することにも人権弾圧を理由に反対した。

ブラッドレー氏は政界入りする前、全米で超人気のバスケットボール選手で、1964年の東京オリンピックにはアメリカ選手団主将として参加し、金メダルを獲得した。そんな輝かしいスポーツ歴の政治家が、政治こそスポーツを含む人間のすべての行動にかかわるのだから、スポーツだけを政治から完全に切り離すことはできない、と説く言葉は重みをもって長く引用されてきた。

日本の論議でも参考となる言葉ではないだろうか。

© 株式会社飛鳥新社