今季限りで勇退へ プロ野球オリックスの宮内義彦オーナー

記者会見するオリックスの宮内義彦オーナー=1月21日、京セラドーム

 プロ野球オリックスの宮内義彦オーナー(86)が、今季限りで勇退すると発表した。

 昨季、チームは25年ぶりにパ・リーグ制覇、日本シリーズでは惜しくもセ・リーグのヤクルトに敗れて日本一の夢は叶わなかったが「一つの区切りはできた」と退陣を決めた。

それでも最後の1年を前に「(選手が)何が何でも日本一で、もう一回胴上げしてやろうと思ってくれないかな」と“最後のお願い”も忘れない。名経営者でも、胴上げの歓喜と感触は格別のようだ。

 現役最年長のオーナーである。1988年に阪急を買収して「オリックス・ブレーブス」が誕生する。以来、33年に及ぶ野球との関わりは濃密なものだった。

 95年には阪神・淡路大震災に直面。一時はプロ野球開催すら危ぶまれる中で「がんばろう KOBE」を合言葉に地元に寄り添い、リーグ制覇を成し遂げた。

 2004年には近鉄球団の経営難に端を発した球界再編問題が起きた。この時は近鉄を吸収合併して「オリックス・バファローズ」が誕生する。

当時の野球界は「セ高パ低」。人気も観客動員も苦戦するパ・リーグの多くの球団が経営面で問題を抱えて、1リーグ制まで模索されていた。

だが、オリックスと近鉄の合併で穴が開いた空席に楽天球団が誕生。05年にはダイエーに代わってソフトバンクが球団経営に参画、現在のパ・リーグの隆盛はこの当時がターニングポイントと言っていい。

しかし、強豪チームだった阪急を引き継ぎ、名将・仰木彬監督の下で連覇を成し遂げた96年を最後にオリックスは「冬の時代」に迷い込む。

オーナーとしても面白くない暗黒期だ。自らが野球を愛し、経営者になってからも「財界人野球」などでマウンドに立つほどのスポーツマンだからなおさらだ。

ある年のキャンプ視察では「もっとクレージーにやれ!」と猛練習の指令を出したかと思えば、近年には「冥土の土産がないまま、閻魔さまに会うのは非常にまずい」と泣き言が飛び出した。我慢の限界を迎える寸前にチームは夢を叶えた。

オーナーとは文字通り球団の所有者。過去にも個性豊かな人たちがその座に就き、選手や監督と劣らぬ球団の顔として話題を振りまいてきた。

古くは大映や大毎を束ねた永田雅一氏、豪放磊落な物言いで「ラッパオーナー」と呼ばれた。

ワンマン型では巨人の渡辺恒雄元オーナーが有名だ。先の球界再編時に経営者と選手会側が激しく対立。この時「たかが選手ごときが」という渡辺発言がファンの反発を買い、1リーグ制への機運がしぼんでいったと言われる。

「カネは出しても口は出さない」と言われていた西武・堤義明前オーナーも、内実は秘書を通じて各試合のイニング毎にゲーム内容を報告させていた。本業では冷静な経営者でも、子どものように夢中にさせる魅力が野球にはあるようだ。

誰よりも野球に情熱を傾けてきた宮内オーナーは、一方で残り少なくなった任期を前に、経営者としての視点も忘れない。

「これからは余暇社会になっていくし、野球ビジネスには大きな将来がある。ネット社会の中のプロスポーツは、今よりもっと大きなエンターテインメントになると信じている」

少子化による競技人口の減少や野球中継がテレビの地上波から消えていく中で、球界全体の危機が叫ばれて久しい。だが、パ・リーグではネットを使った「パ・リーグTV」を配信して新たなファン層の開拓に成功している。

若者には「eスポーツ」も人気コンテンツとして定着。時代に即した球団づくりと経営によって、まだまだ発展の余地はあると宮内オーナーは言う。

キャンプイン目前の1月下旬、12球団選手の“大トリ”でオリックスの山本由伸投手が契約を更改した。

年俸は2億2000万増の3億7000万円(推定)。チームの大エースは投手タイトルを総なめにしてリーグのMVPにも輝いている。優勝することで、その価値はさらに跳ね上がる。

「今年もいい成績を残して、去年達成できなかった日本一を成し遂げたい。そして、宮内オーナーをもう一度胴上げしたい」と山本は言う。

親の心を孝行息子は知っている。この秋に名物オーナーが再び宙に舞ったら、これ以上の花道はない。

荒川 和夫(あらかわ・かずお)プロフィル

スポーツニッポン新聞社入社以来、巨人、西武、ロッテ、横浜大洋(現DeNA)などの担当を歴任。編集局長、執行役員などを経て、現在はスポーツジャーナリストとして活躍中。

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