岸田首相、韓国と展望無き「歴史戦」へ 「佐渡金山」世界文化遺産に推薦、続く「戦後最悪の関係」

By 内田恭司

記者団に「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録を推薦すると表明する岸田首相=1月28日夜、首相官邸

 岸田文雄首相は韓国との「歴史戦」に踏み出した。「佐渡島の金山」(新潟)を世界文化遺産に推薦する方針を決め、2月1日、国連教育科学文化機関(ユネスコ)に登録申請したのだ。だが、反発を強める韓国が主張を譲るとは考えにくく、展望や勝算はまったく見えない。新たな対立の火種が加わったことで、「戦後最悪」の日韓関係に終止符が打たれる日は、さらに遠のきそうだ。(共同通信=内田恭司)

 ▽政権基盤の安定を優先

 「ことし申請を行い、早期に議論を開始することが登録実現への近道であるという結論に至りました」。1月28日夜、岸田首相は記者団に、ユネスコへの推薦を決めた理由について説明した。

「佐渡島の金山」の推薦決定を受けて、新潟県佐渡市役所に掲げられた垂れ幕=1月28日夜

 決定までには曲折があった。推薦に向けた日本の動きが伝わった昨年末、韓国は「韓半島出身者が強制労働させられた現場だ」として、推薦しないよう要求した。韓国は、2015年に世界遺産となった「明治日本の産業革命遺産」の登録にも同じ理由で難色を示していただけに、今回は日本側から強い反発を招く。

 安倍晋三元首相は「歴史的事実に基づき、しっかり反論すべきだ」と、政府の姿勢を批判。高市早苗自民党政調会長も「日本の名誉に関わる問題だ」と述べ、2月1日の期限までに推薦手続きを進めるよう求めた。

 こうした声を受け、見送りに傾いていた首相は最終的に推薦を決断した。党内最大派閥の安倍派を率い、保守層に強い影響力のある安倍氏らの支持を失えば「今夏の参院選を前に政権基盤が揺らぎかねない」(自民党関係者)と判断したのだ。

自民党安倍派の会合であいさつする安倍元首相(中央)=1月27日午後、東京・永田町の党本部

 ぎりぎりまで検討を続け、最後は安倍氏らへの配慮から方針を転換したわけだが、そもそも首相が推薦に慎重だったのはなぜなのか。

 通常国会の施政方針演説で首相は「わが国の一貫した立場に基づき、適切な対応を強く求めていく」と述べ、韓国には毅然とした姿勢で臨む考えを示していた。だが、政府関係者によると、首相の本音はあくまで「対話」であり、それ故に佐渡金山問題では韓国の主張を汲む形で、見送る方向で検討を進めたのだという。

 ユネスコは推薦に際し、周辺国との話し合いを求めており、歴史問題を理由に佐渡金山に反対する韓国と対話をしなければ、登録は見通せないとの判断があった。それと同時に、実は日韓関係の改善を求める米国の強い意向もあったのだ。

 ▽検討されていたシナリオ

 政府関係者によると、日米はバイデン政権発足以降、日米韓の連携強化の重要性を改めて整理してきた。安全保障分野では、核・ミサイル開発に固執する北朝鮮への対応で連携が不可欠なのは当然として、最優先課題の中国対応で、サムスン電子など先端半導体産業を持つ韓国を、日米主導の経済安保の枠組みに引き入れることは極めて重要になる。

「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録の推薦を表明する岸田首相=1月28日夜、首相官邸

 「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)の推進や「台湾有事」への対応でも、米国の同盟国である韓国が足並みをそろえるのが望ましい。

 つまるところ、世界における「有力なミドルパワー」で、先進民主主義国家の一員である韓国とは連携をさらに深める必要がある―というのが日米の共通認識なのだ。

 だが、文在寅政権下では日米韓の連携強化は進まなかった。昨年6月の米韓首脳会談以降も進展は乏しく、韓国は経済安保やFOIPで「構想外」の存在になりつつある。

 だからこそ今後、日韓、日米韓の連携を強化するため、これ以上の日韓関係の悪化をくい止め、関係改善に乗り出すことが必要となっているのだ。

 外務省関係者によると、こうした認識に基づき、岸田政権内では関係改善へのシナリオが検討されていた。有力だったのは、3月の韓国大統領選を終え、5月頃に予定される新大統領就任式に要人を派遣し、直後に岸田首相が電話会談をするプランだ。

 ここで両首脳は「未来志向」の関係を構築する必要性を確認。関係改善と対話を進める方針で一致するというものだ。今年前半にも来日するバイデン大統領が韓国も訪れるなら、首相が同時に電撃訪韓する案も取り沙汰されていた。

 ▽革新政権なら険しさ増す

 だが、このシナリオを練り直す必要が出てきたことで、岸田政権はこの先、どういう筋書きを描こうとしているのか。

相川鶴子金銀山遺跡の「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」=新潟県佐渡市

 政府は、佐渡金山の登録実現を含め、韓国との「歴史戦」に臨む特別チームを、外務省出身の滝崎成樹内閣官房副長官補をトップとして官邸に設置。韓国側と集中協議する方針だが、大統領選後にどのような政権ができるかで対応も変わり得る。

 大統領選は与野党の2大候補が接戦を繰り広げているが、官邸には、最大野党「国民の力」の尹錫悦前検事総長が勝てば「協議は可能」との分析が上がっているという。尹氏は保守系で、日韓関係改善と日米韓の連携強化を掲げている。

 超党派の日韓議員連盟の幹部は「佐渡金山問題は『意志に反して戦時徴用された朝鮮半島出身者がいた』と言及するところから始め、落としどころを探るべきだ。産業革命遺産でも戦時徴用の問題に誠実に対応する必要がある」と話す。

 徴用工問題では「賠償金を韓国政府が事実上肩代わりする韓国案で進めれば、まとめられるのではないか」と指摘する。慰安婦問題を巡っては、岸田首相が外相時代に日韓合意をまとめた際に、日本の首相が元慰安婦と面会するという案があったが、当時の安倍首相が反対して立ち消えになった。これを岸田首相が実行したらいいと提案する。

 しかし、尹氏が勝ったとしても、必ずしも関係改善に道が開くわけではない。韓国内で歴史認識は「国論」化されており、対日世論の厳しさは変わらない。李明博政権と朴槿恵政権は保守系だったが、それでも両国関係は大いに揺さぶられた。

韓国最大野党「国民の力」の大統領候補、尹錫悦氏

 世界でリベラルの潮流が強まる中、現代における人権思想の到達点から過去の植民地支配を断罪する動きは広がっており、日本だけが例外にはなり得ない。

 外務省幹部は「過去の時代的背景を基に、植民地支配を正当化するかのような日本の保守派の主張は、国際場裏では理解されなくなっている」と話す。革新系与党「共に民主党」の李在明前京畿道知事が勝てば、「歴史戦」の険しさは間違いなく増す。

 ▽登録を逃せば首相の失点に

 結局のところ日本は、請求権問題の解決をみた日韓請求権協定と、「未来志向」の日韓関係を規定した日韓共同宣言を基礎にして、韓国を説くしかない。

 だが、それは徴用工問題や慰安婦問題では賠償に応じず、佐渡金山を含めて強制労働は無かったとの立場を貫くことであり、韓国の主張との距離は大きい。日韓双方が未来志向で一致点を見いだすしかないが、これまで乗り越えることはできなかった。

 そう考えると、岸田政権が目指すことになる佐渡金山の23年の世界遺産登録は、現時点で見通しは全く立たないと言っていい。だが、登録を逃せば確実に岸田首相の失点となり、政権運営に一定の影響を与える事態にもなりかねない。

 「タスクフォースで韓国との歴史戦に挑む」と言えば聞こえはいいが、何の成果も上げられないまま、「戦後最悪」の日韓関係を続けるのか、それとも打開への糸口を見つけ出し、日韓関係を新しい次元に引き上げるのか。どちらにしても、首相の指導力と、外交的な構想力が問われるのは間違いない。

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