<金口木舌>掃苔で知る琉球史

 墓巡りのことを、苔を掃うと書いて「掃苔(そうたい)」という。琉球・沖縄史研究者の仲村顕さんは掃苔家として歴史上の人物らの墓を訪ね歩き、本紙に連載した

▼国頭村辺戸に、村が文化財に指定する「義本王の墓」がある。義本は舜天王統第3代の王で、居城は浦添城。墓が義本のものだとすると、なぜ100キロ以上離れた国頭村にあるのか

▼義本は1249年に即位したが、飢饉や疫病が国を襲ったという。英祖を摂政に任命して政治を行ったところ、たちまち厄災がやんだとされる。義本の在位は11年

▼自ら徳がないことを悟り、英祖に王位を譲ったとされる。その後の三山統一や第二尚家の誕生を考えると、禅譲が平和裏に行われたというのはにわかに信じがたい。グスクを去った義本はどんな思いで遠く離れた国頭に行き着いたのか

▼2013年に義本王の墓の室内から甕(かめ)に入った人骨5~6体と装飾品などが見つかった。義本王のものかは分かっていないが、歴史上の人物に畏敬の念を抱き、琉球史の一幕に思いをはせながら掃苔するのも一興だ。

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