ホンダのモータースポーツDNAに変化なし。“新生HRC”から感じられるレース活動への期待感

 年が明けた1月12日のこと。Twitterを眺めていたら元ニッサンGTチーム総監督、現ニスモ・アンバサダーの柿元邦彦さんが、当日の日本経済新聞の紙面について「ホンダがモータースポーツ系を1社に統合! 手強そうだが、負けないぞ」とつぶやいていた。

 すでにホンダは昨年10月の段階で四輪、二輪のモータースポーツ活動を完全子会社の「ホンダ・レーシング(HRC)」に統合することを発表していたが、日本経済新聞はなぜかこのタイミングでそれについて記事を掲載しており、柿元氏はその記事を受けてツイートしたものだった。

 2日後の14日にホンダは2022年度のモータースポーツ活動について記者発表会を開く予定になっていた。そこでは四輪モータースポーツ活動がHRCに統合されることを含めて、あらためて何らかの説明があるものと期待していたので、ニスモ・アンバサダーである柿元氏の「手強そうだが、負けないぞ」というツイートは、妙に心に響いた。

“ニッサンのニスモ”が、“ホンダのHRC”を意識しはじめたことが分かって、あらめて“新生HRC”の位置づけが、より鮮明に見えてきたような気がしたからだ。

■ホンダモータースポーツの“顔”

 ホンダは昨年10月に、四輪モータースポーツ活動をこれまで二輪レース活動を行ってきた子会社のHRCに統合すると発表している。

 これを聞いたときには、昨年の『auto sport』本誌(No1562 12~15ページ)のレポートでも言及したけれど、モータースポーツ活動を本社とは別の会社に分離すれば『持続性が高まる』というポジティブな見方と、『モータースポーツ活動を切り捨てやすくなる』というネガティブな見方の両方ができると感じた。

 1970年代に入って石油危機があり排ガス規制が強まった際、日本の自動車メーカーは社会的要求に応えるため、ある意味時代に逆行している(と当時は思われていた)モータースポーツにおける活動からあっさりと手を引いた。その結果、国内モータースポーツは大きな構造転換を迫られることになった。

 いま、世界が直面している脱炭素社会への課題の重さは、そのころの比ではない。企業の存亡を賭けて大きな問題に取り組まなければならない時代、良識ある自動車メーカーが不採算性の高いモータースポーツ活動を切り捨てても不思議はない。ホンダが四輪モータースポーツ活動を子会社のHRCへ統合すると聞いたとき、僕が不安に感じた理由がここにある。

 だがHRCへの統合を発表した際、渡辺康治ブランド・コミュニケーション本部長は「もともとHRCが設立された際の定款(ていかん:会社を運営していくうえで必要とされる基本的な規則のこと)には二輪だけではなく四輪のレース活動も行うと書かれており、単に四輪の統合が遅れただけで、未来に向けて専門会社にモータースポーツ活動のノウハウを蓄積するとともに二輪/四輪の両方の活動を通してホンダのレースブランドを打ち出していくための前向きな決断である」と説明してくれた。

 非常に説得力ある言葉に、そのときの僕はとりあえず安心したが、その直後に2021年シーズンは終わってしまい、新しい動きは見えないままのシーズンオフだったので、どこか気持ちがすっきりしない状態で今回のモータースポーツ活動記者発表会を迎えたのだった。

2022年ホンダモータースポーツ活動計画発表会に登壇した渡辺康治ブランド・コミュニケーション本部長
会場内に展示された新HRCロゴのホンダNSX GT3

■社長の口から語られたモータースポーツへの積極的な姿勢

 記者発表会では冒頭、三部敏宏社長がスピーチに立ち、「ホンダは創業期からレースとともに育ち、レースを通じて人と技術を磨いてきた会社であり、そのレーシングスピリットは現代に生きる私たちへも変わらず伝承されている」と語ったあと、「モータースポーツは“ホンダカルチャー”の大きな結晶のひとつであり、それを忘れることなく今シーズンも多様なカテゴリーのレースにチャレンジしていく」と宣言した。

 さらに、HRCについては「今シーズンからは、これまで二輪レース活動を運営してきた株式会社ホンダ・レーシングに四輪レース活動機能を追加することによってホンダのモータースポーツ体制を強化する」とし、「二輪と四輪の分野でそれぞれが持っている技術・ノウハウの相互連携と運営の効率化を図ることで、より強いレースブランドを目指してモータースポーツ活動に取り組み、“ホンダのDNAであるモータースポーツ”を将来に向けて確実に継承していくための強い基盤を築く」と宣言した。

 内容自体は渡辺本部長が昨年語ったことをなぞったものだったが、社長の口からモータースポーツに対する積極的な姿勢が語られたので、HRC統合についていまに至るまで続いていた、そこはかとない不安感はやわらいだように感じた。

 これまでホンダの四輪モータースポーツ活動の体制には一貫性がなかった。本田技術研究所の有志が課外活動としてレーシングカー開発を行うというかたちであったり、それを研究所が業務として支援するというかたちであったり、無限(M-TEC)の活動を研究所が支援したり、研究所主体の開発体制としてHRD(ホンダ・レーシング・デベロップメント)という組織が設立され、それを本社が支援したりなどと、少なくとも外部からは、良く言えば柔軟な、悪く言えばとらえどころのないかたちで進んできた。せっかく蓄積したノウハウが、プロジェクト終了のたびに散逸しがちだったのも当然だ。

 今回、HRCというモータースポーツ専門の別会社にまとめることによって、四輪モータースポーツ活動を通して得られた知見はHRCに蓄積されていくはずだ。これまではどこを向いているか分からなかったホンダのモータースポーツ活動に“顔”ができることは対外的に大きな意味があるだろう。

2022年ホンダモータースポーツ活動計画発表会に登壇した三部敏宏社長

■『学校』と『淘汰』のジレンマ

 HRCについての説明と並び、今回の記者発表では非常に興味深い発表が行われた。それが人材育成体制の刷新だった。F1にたどりついた角田裕毅を例に取るまでもなく、ホンダはこれまで人材育成に力を入れて数多くの有力ドライバーを世に送り出してきた。だが、その『人材育成プログラム』はよくよく眺めてみると、必ずしも整ったものではなかった。

 一般にホンダの四輪レーシングドライバー育成プログラムと理解されている流れは、SRSに入校してスカラシップを得た選手がホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)にステップアップして経験を積み、さらに上位カテゴリーへ進出するというものだが、SRSは『鈴鹿サーキット・レーシングスクール』という名称で分かるように、もともとは鈴鹿サーキットが事業として運営するレーシングスクールである。

 つまり、鈴鹿サーキットが運営するレーシングスクールの成績優秀者をホンダが運営する育成プログラムが受け入れて、その後の活動を担当するという複雑な構造だった。いわば合弁事業だったのである。

 この結果、『学校』として経営する必要があるSRSと、『淘汰』を通して有力選手を作らなければならないHFDPのあいだには、近年ホンダの関与が大きくなっていたとはいえ、齟齬(そご)が生じることもあった。

 ところが、今回はレーシングスクールレベルから一貫した『ホンダの育成プログラム』と位置づけ、これまで鈴鹿サーキット・レーシングスクールとして運営されてきたSRSの名称を『ホンダ・レーシングスクール(HRS)』へと変更し、若手育成プログラムのさらなる強化を図るとされた。これもまた活動をHRCに統合することと並んだ『ホンダのモータースポーツ』に一貫性を持たせるための決断なのだろう。

 これにともない、今回発表された四輪モータースポーツ活動体制も、未来に向けたホンダの姿勢を感じさせるものになっていた。最もそれを感じたのは、すでに各方面で話題になっている松下信治の位置づけだった。

 松下に関してはホンダ内部にもさまざまな意見があると聞くが、これまでのホンダであれば相反する意見のそれぞれに忖度し、無難な結論が出されていたのではないかと思う。つまり“出戻り”は見送られたに違いない。だが、今回は思い切った起用がなされた。これはHRCやHRS同様、全体を統一するための強い意思が働いた結果であるように見える。

 2021年の活動発表は新型コロナ禍を受けてオンラインで行われたが、2年ぶりに開かれた今回の活動体制発表会は、単に2022年シーズンの体制発表にとどまらず、今後のホンダがどんな姿勢でモータースポーツに取り組むかを明らかにした、意味の深い場であったように思った。

 新生HRCに関しては、社内的な人事のタイミングもあるようで、具体的な体制面については発表されなかった。しかしホンダのHRCは、モータースポーツ専門会社として四輪レースの世界にも乗り込み、ニッサンのニスモ、それから若干立場は違うとは言えトヨタのTOYOTA GAZOO Racingと戦うことになる。新型コロナウイルスが今シーズンにどんな影響をおよぼすことになるのか見えなくはなっているけれど、その不安を補って余りある期待感を覚えたのであった。

※この記事は本誌『auto sport』No.1569(2022年1月28日発売号)からの転載です。

2022年ホンダモータースポーツ活動計画発表会での四輪ドライバー集合写真
『auto sport』No.1569の詳細はこちら

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