【MLB】“戦力外通告”の瞬間は「逆に実感が沸かず」 筒香嘉智を蘇らせた“3人衆”の存在

パイレーツ・筒香嘉智【写真:Getty Images】

激動の渡米2年目、DFA、トレード、自由契約でメジャー3球団を経験

筒香嘉智外野手は、自他ともに認める「時間の掛かる男」だ。「僕は何でもすぐにできるタイプではないので」とバツが悪そうに笑うが、ありのままの自分を受け入れ、強さに変えている。

器用か不器用かといえば、不器用。その代わり、同じことを何度も何度も繰り返し、丁寧に積み上げていく能力に長けている。その結果が、DeNA時代の2016年に飾った本塁打(44本)と打点(110打点)の2冠であり、現在のメジャーリーガーという立場だろう。

渡米2年目の2021年は、筒香にとってジェットコースターのような日々だった。レイズで開幕を迎えたが打率は1割台に低迷し、5月11日にメジャー登録40人枠を外された。日本では“事実上の戦力外通告”として知られるDFA(Designated For Assignment)だ。その4日後には、ドジャースにトレード移籍。さらに3日後にはドジャースのユニホームを着てスタメン出場した。

6月9日に右ふくらはぎの故障で故障者リスト(IL)入り。その後、傘下3Aオクラホマシティの所属となったが、8月14日には自由契約となり、最終的に腰を落ち着けたのは同16日に契約したパイレーツだった。オフにはパイレーツと1年の再契約を結び、今季もまた黒と黄色のユニホームを身にまとう。

1シーズンでメジャー3球団、マイナー1球団を経験。文字通り“激動”の年となったが、開幕前に本人は何か予見することはあったのだろうか。

「ある程度のいい感覚はありましたが、1年しっかりプレーしたことがない不安はありました。試合での感覚を掴みきれないまま、正直まだ明確なものが見えないままでのスタートでした」

渡米1年目の2020年は、世界中が新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の出来事に翻弄された。メジャーもその例外ではなく、開幕は通常より4か月遅れの7月23日までずれこみ、レギュラーシーズンは162試合から60試合に減少。練習やトレーニング場所に苦慮した選手も多く、その影響からか怪我人が目立った。

新型コロナの影響を受けたのは誰もが同じ。だが、言葉も文化も違う新しい環境に飛び込み、勝負しようという男にとって、その影響は層倍にも感じられただろう。筒香自身は口に出さないが、短すぎた1年目が翌シーズンに与えた影響は大きかった。

ドジャースで出会った打撃コーチ3人衆「真摯に向き合っていただいた」

2年目は開幕から打撃が上がらず、1週間経っても1か月経っても打率は2割を超えない。スタメンから外れることが増えたところで、DFAはやってきた。

「DFAを宣告されたのは球場に行ってから。もちろんビックリしましたが、日本では経験がないことだったので、逆に実感が沸かなかったというのが一番です。ただ不思議と、もうレイズではプレーできないという認識はあっても、野球ができなくなるという感覚はありませんでした」

選手が頻繁に移籍するメジャーでは、トレードやDFAされた選手に対して「これで正式なメジャーリーガーになったな」と声を掛けることがある。筒香もその後、ドジャースでマイナー所属となったり、自由契約になったりしたが、「不思議と慣れると言いますか、いいのか悪いのか、もうビックリすることはなかったですね」と笑いながら振り返る。

目まぐるしい1年の中でも「人生の中でかなり大事な時間になったと思います」と話すのが、ドジャース傘下3Aオクラホマシティに所属した3か月だ。レイズでは「なかなか自分のスイングができない感覚があった」という筒香はここで、自分の基本に立ち返ると同時に、メジャーでプレーする本当の意味を知った。

レイズでは自分の打撃感覚を大切にしながらも、メジャー流に順応するため周囲のアドバイスに耳を傾けた。だが、言葉の壁もあり、感覚的な摺り合わせが十分にできなかったのだろう。試行錯誤を繰り返すうちに「自分の感覚にないスイングが身についてしまっていた。今思うと『それは打てないよな』というのはあります」と話す。

ドジャースではまず「日本時代のスイングに戻そう」と声を掛けられた。

「初めてチームに合流した時、日本時代の映像を用意して下さっていて、まずはこれに戻そうと。基本軸は日本でのスイングに置きながら、戻す過程でプラスαを加えていこうという話でした」

このプロジェクトで大きなカギを握ったのが、ブラント・ブラウン、ロバート・バンスコヤック、アーロン・ベイツの打撃コーチ3人衆だ。元プロ選手のブラウン氏とベイツ氏に対し、バンスコヤック氏はプロ経験はないもののJD・マルティネス(現レッドソックス)を開花させたコーチとして名高い。

「本当に真摯に向き合っていただきました。すごく3人のコミュニケーションが取れていて、誰か1人ではなく3人全員と会話しながら上手く取り組めたイメージです。悪いスイングとなった要素を1つずつ取り除き、ベイスターズ時代のスイングに戻す作業の中で、いろいろな発見がありました。それが今度はプラスαとして加わり、日本の時のスイングとは似ているようで、実はちょっと違う要素がいっぱい入ったメジャー版になりました」

経験して分かったメジャーと3Aの差「気持ちが分かった」

結局、ドジャースでは復活の糸口を掴みながらも、再びメジャーの舞台を踏むことなくパイレーツへ移籍。だが、そのパイレーツでは出場43試合で打率.268、8本塁打、25打点という結果を出したのだから、ドジャースで過ごした3か月の重みが窺い知れる。

マイナーを経験し、人として視野が広がったことも良かった。元々マイナーを経験する覚悟を持ってメジャー移籍したが、「日本では3Aは限りなくメジャーに近い場所というイメージだと思いますが、全く逆。僕がいた頃の2軍よりも全然過酷な状況で、これは見た人にしか分からない。すごく価値ある大きな経験になりました」と話す。

チャーター機で移動するメジャーに対し、マイナーでは民間機を利用。直行便で2時間の距離も、経費削減のため乗り継ぎ便で6時間というのは普通の話。機体トラブルで午後6時の到着予定が深夜3時半を過ぎたこともある。

「飛行機やバスが遅れて、満足にアップもできないままに試合開始はよくあること。移動も食事も日本の2軍がどれだけ恵まれているか。メジャーに昇格した選手がマイナーに戻らないように、必死で結果を残そうとする気持ちが分かりました」

そう話しながらも、どことなく嬉しそうな表情を浮かべるのは、辛くても日本では味わうことのできない新しい発見がたくさんあったからだろう。

3年目の今季は労使交渉のもつれによるロックアウトが長期化し、スプリングトレーニングの開始が遅れる可能性もある。それでも「オフの手応えは昨年とは全く違いますね」という筒香は、いつでも渡米できるように着々と準備を進めるだけだ。

「1年目はコロナで少し特殊なシーズンになり、昨年はいろいろな経験をさせていただいた。今年もまた全く違うシーズンになると思うので、僕自身非常に楽しみです。同時にもちろん不安もありますが、昨年感じていた自分自身に対する不安よりも、これから臨む試合に対する不安の方が強い。だからこそ、自分の引き出しを増やしながら準備をしています。1年契約ですし、1年間メジャーでプレーし続けて、終わった時に本当にいいシーズンだったと言えるようにしたいと思います」

時間は掛かるが丁寧に積み上げる、その姿勢は変わらない。2年の積み上げを経て、3年目にはどんな実を結ばせるのか。2022年バージョンの筒香に期待したい。(佐藤直子 / Naoko Sato)

© 株式会社Creative2