笠岡諸島・六島(むしま)は、岡山県最南端に位置する島です。
1月下旬から2月中旬頃、 島の人たちが中心になって植えた水仙が島内のあちこちに咲き誇り、あたり一面に甘い香りが広がります。
六島の南側は、四国。間の海峡は瀬戸内海を横断する大型客船などの重要航路でありながら、潮の流れが速い難所です。
この航路を守るために、岡山県で最初に設置されたのが六島灯台でした。
1月末、島のシンボル、六島灯台と水仙のコラボレーションを見ようと、六島へ渡りました。
概要や見どころを紹介します。六島に移住して6年が経つ六島浜醸造所の井関 竜平(いせき りゅうへい)さんにもお話を聞きました。
笠岡諸島とは
笠岡諸島は、岡山県の南西端の笠岡市沖にある、大小31の島々です。そのうち有人島は、以下の7島。
- 高島(たかしま)
- 白石島(しらいしじま)
- 北木島(きたぎしま)
- 真鍋島(まなべしま)
- 大飛島(おおびしま)
- 小飛島(こびしま)
- 六島(むしま)
大飛島・小飛島をあわせて飛島(ひしま)と呼ばれている
島々への橋はなく、笠岡市の港から船で行き来します。
のどかで落ち着いた雰囲気の島々です。
香川県の丸亀市・小豆島町・土庄町の島々とともに、「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島 ~海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」として日本遺産にも認定されています。
六島とは
笠岡諸島の最南端にあるのが六島です。また、岡山県の最南端でもあります。
湛江(たたえ)・前浦(まえうら)という2つの地区があり、港も2つ。
車道は前浦港周辺の1キロメートルに満たない範囲のみ。あとは歩道となります。徒歩での移動がおすすめです。
六島へのアクセス
笠岡市街地にある住吉港(みなとこばなし)から六島の湛江港・前浦港への船が出ています。
到着までは旅客船で約1時間。
真鍋島航路ではなく六島航路となるので、乗る船を間違えないようにしましょう。
代表的なスポット・六島でできること
岡山県最南端にある、周囲わずか約4.6キロメートルの小さな島、六島の代表的なスポットや特色を紹介します。
六島灯台
六島の南側、瀬戸内海を眺望する丘の上にあるのが六島灯台です。
岡山県で最初に設置された灯台で、初点灯は大正11年(1922年)。
昭和59年(1984年)に改築され、今に至ります。約100年、海を見守ってきました。
平成28年(2016年)、「恋する灯台」のひとつに認定されたロマンチックなスポットでもあります。
1月下旬から2月中旬頃は周辺に水仙が咲き誇るフォトスポット。
ベンチもあるので、ゆったりと過ごすことができます。
六島灯台の北側は標高185メートルの大石山となっており、登山道の入口があります。
水仙ロード
六島灯台周辺だけでなく、島内のあちこちに水仙が見られました。
なかでも広範囲に水仙が咲くのが、前浦港から六島灯台への道中にある水仙ロードです。
六島の家並み、瀬戸内海、細いあぜ道とのコラボレーションが美しい坂。
ベンチや島の人お手製の遊具があり、ちょっとした公園のようになっています。
ひと休みするのにぴったりの場所です。
大鳥神社
前浦港と湛江港のちょうど間、島の北端にあるのが大鳥神社。
祭神は荒神さま。祭りが荒れることを好むといわれており、例祭では島内各所で「よーまっせ!(よう回せ)」の掛け声とともにひたすら神輿を回す「回し神輿」が有名です。
なんと、かつては海の中でも神輿を回していたのだとか。
毎年5月のゴールデンウィークに合わせて開催されていましたが、コロナ禍となり祭りは中止が続いています。
ひじき
豊富なプランクトンと速い潮流によって育まれる海の幸は、魚だけではありません。
島沿岸の岩場に生えるひじきが絶品です。
三宅一二三(みやけ ひふみ)さんがつくる「ひふみちゃん天然ひじき」は、収穫後に鉄釜でゆで、天日干しという手間をかけて完成。
ゆでずに5分ほど水で戻して、ポン酢をかけて食べることができます。
コリコリした歯ごたえ! 磯の香りが口いっぱいに広がって絶品!
「ひふみちゃん天然ひじき」は、 前浦港の近くの工房を訪ねると購入できるほか、笠岡市内の土産店などでも購入できます。
六島浜醸造所
前浦港の近くに平成31年(2019年)にできた六島浜醸造所では、元・地域おこし協力隊の井関 竜平さんがクラフトビールを作っています。
数十年前に存在した六島の麦畑を復活させ、井関さんが生れてはじめて仕込んだことから名づけられた「六島麦のはじまり」、牡蠣の優しいうまみが特徴の「北木島オイスタースタウト」、燻製香と副原料の六島天然ひじきのうまみが味わえる「六島ドラム缶会議」が定番商品。
また、醸造所で作ったビールを飲むことができるバースペースも併設されています。
ビールが飲めない人向けに、コーヒーなどのメニューもありますよ。
ビールは六島浜醸造所のほか、 笠岡市内の土産店などでも購入できます。
実際に六島を歩いてみました
2022年1月末、六島を訪れました。
笠岡市街地にある住吉港を出発する旅客船に乗ります。
新しい船で、外観も中もピカピカでした。
乗船すると、船員さんに「六島の湛江港か前浦港、どちらで降りますか」と聞かれます。
六島灯台に行くには前浦港のほうが近いですが、間違えて湛江港で下船したとしても歩いて行ける距離なので安心してください。
午前8時50分に乗船からおよそ1時間後の午前9時50分、六島の前浦港に到着しました。
最初に目に入るのは「おかえり」という看板。
猫の顔が描かれたブイの置物は、道しるべなど、島内の至る所で見られました。
島の人の手作りなのだそうです。
下船後、港にあるマップを見ていると、島で暮らす女性が「灯台を見に来たの? 灯台の近くにはお手洗いがないから、港かすぐ先の妙音院で借りてね」と教えてくださいました。
さっそく島の人の温かさを感じます。
道しるべと港の待合所でゲットした「むしまっぷ」を手掛かりに、六島灯台を目指して歩いてみましょう。
前浦港から六島灯台までは歩いて15分ほどです。
突然、茶トラの猫が現れて、「ニャーニャー」としゃべりながら道案内をしてくれました。
車が入れないような細い路地を入り、住宅地にある階段を上っていきます。
すると、あたり一面、水仙が咲き誇っていました!
見晴らしがよく、前浦港や瀬戸内海が見渡せます。
水仙は六島のあらゆる場所で見られますが、水仙ロードが一番たくさん咲いていました。
感激したのは、香りです。風が吹くと甘い香りが漂って、まさに薫風!
茶トラくんが「ベンチもあるよ」と得意げに教えてくれました。
その先にはブランコなどの遊具があります。島の人が手作りした公園です。
灯台まではまだ道なかば。のんびり海を眺めて休憩しましょう。
茶トラくんの案内で、やぶのトンネルやあぜ道を進んでいきます。
到着しました! 南に向かって堂々とそびえる白い灯台が、六島灯台です。
周辺にはたくさん水仙が咲いて、水仙と白い灯台のコラボレーションにうっとり。
平日でしたが私のほかに数組のかたが写真撮影に勤しんでいました。
六島灯台がある丘の上からは、島々や四国、行きかう船を眺めることができました。
「どう? いいところでしょ?」と茶トラくんも得意げです。
島の北側、湛江地区にも行ってきました。階段を上って、大鳥神社へ。
海を眺める気持ちのいい神社でした。
細い路地を歩いていると、「ちぇあパーク」という椅子が並んだ小さな公園が。
近くには「島小屋」という民宿もあります。
そして、坂道を降りていくと、湛江港にたどり着きます。
迷子になろうと思っても難しいくらい、小さな島です。潮風を感じながら気ままに歩くことができました。
今は見られませんが、昔は島の斜面一面、麦などの畑だったそうです。
風に揺れる金色に輝く麦の穂と、青い空、穏やかな瀬戸内海。
「またそんな風景を取り戻したい」という思いをきっかけに六島でビールの醸造をスタートさせたのが、六島浜醸造所の井関 竜平さんです。
平成28年(2016年)に大阪から六島へ移住した井関さんに、六島での暮らしや醸造所でのチャレンジについてお話を聞きました。
島の人にお話を聞きました 六島浜醸造所 井関 竜平さん
──井関さんが六島に移住した経緯を教えてください
井関(敬称略)──
僕は大阪で生まれ育ったんですが、祖父母がもともと六島に住んでいて。幼少期から毎年お盆の時期には島に帰ってきてました。
海で遊んだり、親戚の家まわりをして「ただいま」、「おかえり」というやりとりをあちこちでして。
そういうのって大阪にはないじゃないですか。だから、六島で過ごす夏が毎年楽しみでしたね。
高校2年生になってからは帰っていませんでしたが、社会人になってから「大鳥神社の祭りで、回し神輿の担ぎ手が足りない」ということで声がかかり、毎年ゴールデンウィークは六島に通うようになりました。
それまで夏の賑やかな六島しか知らなかったから「ああ、夏以外はこんなに人が少ないんや」と驚きましたね。
印象的だったのが、初めて祭りを手伝いに帰ってきてたときのこと。
島のおっちゃんたちが、すぐそこのドラム缶を囲んでお酒を飲んでいました。
そばを通ると「どこの子や」と。ばあちゃんの名前を出して「はるえの孫の竜平です」というと「おかえりー」と言ってくれて。
忘れかけてた人間味が、雷に打たれたようにピシャーンとよみがえってきました。「あーええなぁ、六島!」って思いましたね。
その頃、僕は大阪で働く営業マン。仕事で何人もの人と話すわけですが、心の通うやりとりではなく、楽しいとは思えない日々だったんです。
そんななか、おっちゃんたちとのドラム缶を囲んだ会話はめちゃくちゃ楽しくて。体温を感じる、人間味のあるやりとり。
あのとき飲んだ缶ビールの味は、今でも忘れません。安酒やのに、めちゃくちゃ、美味しかったんです。
六島ってどんなところ? って聞いたら、「人が困ってる」とか「少子高齢化」とか課題の話ばかりあがりがちです。僕はそれが腑に落ちなくて。
いいところだし、大好きだし。
それを自分なりに答え合わせというか、表現したいな、六島で暮らしながらやりたいな、と思うようになりました。
なかなか移住の夢は実現しませんでしたが、いつかは六島で暮らそうと、サラリーマンを辞めて2年間、高齢化社会で仕事に就けるよう介護を学ぶ専門学校に通っていたころもあります。
大阪で暮らしながら、六島へはちょくちょく帰ってきていて。学生さんのインターンの活動などにも関わらせてもらってました。
そんななか、縁あって地域おこし協力隊に着任できることになり、六島に移住できたのが、32歳のとき(2016年)です。移住したいと思ってから約10年後ですね。
──ビールを作るようになった経緯は?
六島に移住して、何をしよう、というのは決めていませんでした。暮らしのなかで島の人の話を聞きながら、決めていきたいなと考えていたんです。
「おかえり」って言ってくれる人たちが、昔どんな生活をしてたんかな?
いろいろな人に聞くなかで「数十年前、六島では麦・豆・芋をたくさん育てていて、麦畑が広がっていた」と教えてもらいました。
青い瀬戸内海をバックに、金色の麦が揺れてる風景を想像して「とてもきれいだったろうな、復活させたい」と思ったんです。
その麦で何をしよう?と考えたとき、一番に思いついたのが自分も大好きなビールでした。
人づてで紹介してもらった岡山県の吉備土手下麦酒醸造所で学びながらビールを作るようになり、2019年3月に六島で醸造免許を取得。
一からのビール造りは大変でしたが、吉備土手下麦酒醸造所の永原会長が師となって、開業まで共に歩んでくださいました。
師匠にはビールの作り方だけじゃなく、「根本的に誰を喜ばせる商品なのか」、そんな商品の真ん中に宿る大切なものを教えてもらったと思ってます。
令和元年(2019年)8月から、この醸造所兼バーをスタートさせました。旅人や帰省してこられたかたが立ち寄ってくれます。
定番ビールのほか、要望があれば地域のオリジナルクラフトビールも作ります。
オリジナルグラスができまして、目の前の風景を歩く黒猫の「じゃむ」を描いています。
風景、そっくりでしょ? 運が良ければ本当にじゃむがここを横切る姿が見られるんですよ。
いつか、六島の麦、笠岡の今井のホップ、六島の水仙からとった酵母で、「オール笠岡」のビールを作るのが夢です。
──井関さんが感じる六島の良さはどんなところでしょう
井関──
島の人口は少ないのに、大阪にいるときよりも「話している感覚」がめちゃくちゃあるんですよね。
コミュニケーションに人間らしい体温を感じるところが、すっごい好きです。
大阪で暮らしてた頃から、六島は「宝の山」やと思ってます。
人気のない自然、昔ながらの生活様式、人と人との互助関係、コミュニケーション。
そういうのってわずらわしさと表裏一体やけど、欲しているのは自分だけじゃないという確信がありました。
ひとりになりたいとき、僕は灯台に行ってたんです。リュックに忍ばせた缶ビールをひとりで飲んで。戻ったら、いろいろな人が話しかけてくれて。そのギャップがたまらない。
──訪れる人には六島でどんな時間を過ごしてほしいですか?
井関──
六島は、僕のなかでは観光地というよりも人が生活してるところ。
大人数できてわいわいするというよりは、「今、おもんないなー(おもしろくないなー)」というような人がひとりでふらっときて、ひと気のない自然のなかに身を置いたり、運よくドラム缶会議が開催されてたら、島のおっちゃんらに声かけてもらったり。
そんなやりとりを通して、人のぬくもりの本質が垣間見れるような時間が過ごせると思います。
昔の自分もそうでしたが、社会人2~3年目って「このままで人生、いいんかな」って悩むじゃないですか。
そういう人たちに、おっちゃんらと話してもらって「あー、今しょうもないな、違うことしよ」っていう、あかんスイッチを押す場所というか(笑)
生きていく「ほんまの価値」を知れるような島やと思います。
おわりに
一度は見てみたいと思っていた六島灯台と水仙の風景。やっとお目にかかることができました。
かわいい案内人の茶トラ君に導かれ、まるでおとぎ話のようでうれしかったです。
水仙の見頃は2月中旬くらいまでですが、井関さんの話を聞き、季節に関係なく訪れてみようと思いました。
ちょっと緊張しますが、ドラム缶会議にも参加したいものです。