日本初のキックボクシングジムから生まれた日本チャンピオン斗吾選手の確固たる信念

キックボクシング日本チャンピオンの斗吾選手(斗吾選手 提供)

日本発祥のキックボクシング。今回は、キックボクシング日本チャンピオンの斗吾選手にインタビューを行ない、キックボクサーとしての功績や選手としての想い、今後の目標や展望についてお伺いしました。

ある選手に憧れキックボクシングの道へ!

ーー本日はよろしくお願いします!早速なのですが、自己紹介からよろしいでしょうか?

改めまして斗吾と申します。神奈川県相模原出身です。幼少期からお話しすると、小さい頃から身体は大きく、整列すると常に一番後ろにいる子どもでした。ただ、逆に性格は内気で(笑)

そんな中、友だちに誘われて、「空手道場」の体験に行ったのが格闘技との出会いです。ジャッキー・チェンのファンだったので、格闘技が子どもながらに好きでした。
やってみたらもの凄くおもしろく、即入門を決意したのが小学校4年生のときです。

ーー最初は空手から始められたんですね!そこからなぜキックボクシングに?

空手は、小学校4年生から中学3年まででした。中学に入ったときに空手部がなかったので陸上部に入ったのですが、膝にコブができてしまって「運動しすぎ!」と怒られて(笑)
そこから2〜3ヶ月は陸上も続けていましたが、その後は空手一本に打ち込むようになりました。ちなみに、小学6年生と中学1年生の時に空手の全国大会で優勝出来ました。
そんな中、中学3年に上がった頃にたまたま出会ってしまったのが、ピーター・アーツ選手でした。試合を見て、身体が大きい相手との体格差を感じさせない姿に憧れを抱きました。中学を卒業してすぐにキックボクシングのとある道場にいき、また即決で入門したんです。

ーー相変わらずの行動力と即決ですね(笑)なぜその道場を選んだんですか?

ピーター・アーツ選手と同じくらい当時のK-1のスーパースター、魔裟斗選手が大好きだったので、魔裟斗選手が練習している「伊原道場」が代官山にあるということを調べて分かるとすぐに「ここだ!」と決めました。
その当時、僕は神奈川県の愛川町というところに住んでいたので片道2時間弱かかる場所でしたが決心は揺らぎませんでした。

ーー憧れの魔裟斗選手とは、ご一緒に練習していたんですか?

当時、プロは地下1階、アマチュアは1階で練習だったので直接は一緒に練習していたわけではありませんが、地下に行ったときの熱気は別格でしたね。プロの雰囲気を肌で感じ取れたのは大きかったです。
入門して間もなく、16歳でプロデビューもできました。16歳で入門は結構いましたが、プロデビューまでできたのはなかなかいないですね(笑)
けれど、そんな自分にひとつの転機が訪れたんです。

救われた伊原会長の言葉。日本チャンピオンになることだけを目指した日々

ーーどのような転機だったのですか? 

プロデビュー戦負けちゃったんです。そして、なんと二戦目も。かなりショックで半年間学校も休みがちになってしまうほどでした。「あ〜俺って向いてないんだな」って思いましたね。そんなとき、突然、伊原会長が車で後楽園ホールに連れて行ってくれたんです。そのときに伊原会長が言ってくれたのが「俺がお前をチャンプにさせたる」という一言でした。
一気に救われたのと同時に、目標が明確になったんです。そこからは学校にもちゃんと通って、練習もして、それがきっかけとなって3戦目でようやくプロ初勝利を飾ることができました。あの言葉がなかったら、これまで17年も続けることができなかったかもしれません。

ーー10年以上も続けられているのはすごいことだと思います。

日本ランキング第1位になってから、5年待ってから日本チャンピオンになれたんです(笑)道場の先輩が日本チャンピオンだったのですが、同じ道場に所属している選手とは本来できる防衛戦とかできないんですよ。
それでも所属を変えずに王座決定戦に挑める日を待ち続けて、ようやく5年後に当時の第2位の選手と戦って3ラウンドKOで勝利することができました。伊原会長と一緒に大号泣した日のことは今でも忘れられません。
周りの応援してくれる方を裏切れない気持ちと自分の何か達成するまで諦めない性格のお陰で、「どうしたら日本チャンピオンになれるか」ということだけしか考えていなかったです。
けど、そのせいか高校卒業の時には1単位だけ足らず、当時の担任の先生が校長先生に「次の試合勝ったら特別に1単位お願いします」と一緒に頭を下げに行く提案をしてくれたのも頑張れた一つだと思います。

ーーご自身とそして周りの方の支えがあってこそなんですね。それだけ夢中になれるキックボクシングの魅力はどこにあるのでしょう?

よく言っているのが「リングに上がってスポットライトを浴びて、みんなが注目してくれている中で勝利する瞬間」はもう忘れられないですね。元々内気な性格だったからかもしれません(笑)

インタビューを受ける斗吾選手

恩返しのため、目標は世界チャンプ!引退後に見据えるキャリア

ーー斗吾選手が考える今後について教えてください!

引退するまでには世界チャンプになりたいと思っています。また、それがいつになるかはまだですが、30歳を超えてから引退は考えるようになりました。ある先輩選手もおっしゃっていたのですが、「試合に出るのも、引退を決意するのも勇気が必要」です。
世界チャンプになる道筋は見えています。世界のベルトで狙っているのは「WKBA」です。
そもそも世界ランキングってないんですよね。キックボクシングの世界の道筋は、まず「勝ち続けないとチャンスがない」。 しっかりと伊原会長にも恩返しがしたいです。
ちなみに、キックボクシングって日本発祥なんですよ。野口修さんがキックボクシングの生みの親で、亡くなってからその意思を引き継いだのが「伊原会長」なんです。なので、伊原道場は日本で初のキックボクシングジムなんですよ。

試合中の斗吾選手(左)(斗吾選手 提供)

ーー伊原会長改めて恩師でもあり、偉大な方なんですね。世界チャンプになってから引退ですか?また、その先のキャリアもすでにお考えなんですか?

世界チャンプを取ったときの自分の素直な気持ちに聞いてみてから決めると思うのでまだ正直わからないですね(笑)
ただ、引退後はすでに考えています。元々トレーナーとしての技術を身に付けたくて、Fincのトレーナーにも応募しました。今もパーソナルトレーナーとして江戸川橋や銀座などで活動しているのですが、それも今後「自分がボクシングジムを持って選手を育成したり、キックボクシングジムだけど、パーソナルでボディメイクなどもできるジムを持つ」目標があるからです。

ーー現在は、パーソナルトレーナーとしても活動されているんですね!

ジムを作りたいのは自分が教えるのが好きなのもありますし、今もお客さまの変化を垣間見られるのはとても嬉しいです。全ての経験がキックボクシングにもつながっていて、日々新しい発見ばかりで余計に楽しいですね。

ーーありがとうございます。最後に、「プロスポーツ選手を続けていくための心得」を頂戴できますでしょうか?

目標を必ず持って、考えながら一直線に走ることだと思います。がむしゃらだけでなく、しっかりと考える。また、空手の言葉で自分が大事にしているのは、「頭は低く、目は高く」です。偉そうにするのではなく、高い目標を持って、取り組み続ける姿勢を大切にしたいですね。

インタビュー後の斗吾選手

取材後記

約1時間のインタビューの中で斗吾選手の人間らしい人柄や、とても内気とは思えない熱い想いと芯の強さを感じました。気になる斗吾選手について、今後のキャリアも注目したいと思います。

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