「安定した低空飛行をつぶされた」 引きこもり18年、母と姉を殺害した男の言い分

千葉地裁で判決理由を聞く男=イラスト・永井なずな

 千葉県流山市の自宅で引きこもり生活を18年間続けた41歳の男は、2020年大みそかの夜、母=当時(72)=と姉=当時(42)=を殺害した。法廷では終始淡々とした様子で、マスク越しでも分かるほど表情を一切変えず、どこか人ごとで諦めにも似た無気力さを漂わせた。男が凶行に至った原因は何か。千葉地裁で1月28日まで開かれた計4回の公判証言から浮かび上がったのは「安定した低空飛行だった引きこもり生活をつぶされた」という理由だった。(共同通信=広根結樹)

 ▽「昔から小ばかにされていた」

 男は姉と妹の3人きょうだいで、両親に育てられた。母は子育てを機に編集関係の勤め先を辞め、在宅で校閲の仕事を始めた。デザインの仕事をする姉は同僚と婚約し公私とも充実。明るく社交的で、言いたいことをはっきり言う性格だった。

 一方、男は幼少期から周囲との違和感を抱いていた。母と姉についても、昔から小ばかにされ、否定されたと話し「連携して神経を削ってきた」と千葉地裁の法廷で振り返った。

 検察官に「言いがかりではないか」と疑問を呈されると「ネガティブな削りをされてきた」と反論した。

男が18年引きこもり生活を送った家=千葉県流山市

 流山市で過ごした小中高時代を通し、周囲にはなじめなかった。大学進学を機に、晴れて東京で1人暮らしをスタートさせたが、次第に「無理だな」と思うように。3年次に進級できず、退学して実家に戻り、引きこもり生活が始まった。

 ▽生活費はお年玉の3万円

 実家に戻ってからは、「嫌みが多くて苦手」な母と、「空気のような存在」の父と、祖母との4人で暮らした。仕事は約4カ月間、倉庫作業をしただけ。眠くなったら寝て、目が覚めたら起きる。2階の自室から1階に行き、母が用意した食事を持って自室に戻り、食べた。友人はおらず、家族との会話もない。家族と一緒に食事をしたのは18年間で1、2回だけだったという。

 生活に必要な費用は、両親から毎年もらうお年玉、計約3万円。たまに散歩に出かけた。それ以外は自室にこもってインターネットで動画鑑賞。「引きこもって以降は声を上げて笑うことはなかった」

 男は、自分の引きこもり生活についてどう考えていたのだろうか。「17歳以降つらかった。落ち着いてきて『ずっと引きこもりでまあいいか』と思い始めた。安定した低空飛行だった」と振り返る。「さえないけどそれでいいかなと思っていた」。

 ▽姉をハンマーで殴っても両親は通報せず

 では、つらさを感じたと主張する17歳の時に何があったのか。それが、姉への不満が決定的になったと振り返る「17歳のハンマー殴打事件」だ。高校3年の受験期、自室で勉強していると壁1枚を隔てた隣の部屋から“騒音”が響いた。その正体は、姉が布団を収納する際に扉を閉める音や、テレビを見る笑い声だった。

男を審理した千葉地裁の法廷

 騒音に悪意がないと分かっていたつもりだが、積み重なるうちに怒りがこみ上げたという。「姉は何をしても怒られず、それが受験期まで続くのか」「(私の)受験期くらい(静かにしてほしい)」

 「ぷつっと切れた」。姉をハンマーで殴った。姉は救急搬送されたが、両親は警察に通報せず、刑事処分を免れた。以降の人生は頭も体もずっと重く「消化試合みたいな感じ」だった。

 ▽自分に矛先が向いていると感じた

 自分の中でいったんは落ち着いたかにみえた「低空飛行」だったが、20年5月に耳にした三つの言葉で“墜落”が決定的となる。自室から1階に飲み物を取りに行った時のことだ。年に1、2回帰省する姉と、母との会話が耳に届いた。「何もしない、優柔不断、勇気がない」

 姉の婚約者に対してか、父にか、それとも自分にか…誰に向けた言葉かは分からないが、関係なかった。男は自分に矛先が向いていると感じた。

 「流れ弾に見せかけた狙撃」と思い込み、怒りを覚え「何もやらなければ、言われた言葉通りになる」と考え、ついに殺意が芽生えたという。

 殺意はその後、打ち消したこともあったが、消えては生まれるを繰り返した。7カ月後、貯金したお年玉で事前に用意した柳刃包丁を手に凶行に及ぶ。

 ▽「自分を心配していた気持ちは届いていた」

 犯行当日の20年12月31日、夕方に目覚め、姉が帰省していることに気付いた。午後8時半ごろ、父がトイレに立ったタイミングでリビングに行き、「メイン(ターゲット)」だった姉を殺害し、母も殺害。その後、近くの河原で首などを切りつけて自殺を図ったが死ねず、近くの交番に出頭した。「恨むところまでは普通。殺すのは『ないよな』とは思ってる。でも、自分が死ぬならセットでありかな」

男が母と姉を殺害後に出頭した交番

 一方、公判では本音や葛藤をうかがわせる姿も垣間見えた。引きこもり生活の息子を18年間、世話した母。毎日食事を作り、食器洗いや洗濯もしてくれた。時には「そろそろ働いたら」と将来を案じ、引きこもりの支援団体に相談することも。「両親は自分を心配していた。気持ちは届いていた」と明かした。

 大学入学以降、1人暮らしになっても週1回は帰省していた理由を裁判官から尋ねられると「なんで帰ってたんだろう…。姉がいると嫌だったけど、ずっと1人だと会いたかったんですかね」と答えた。

 ▽裁判長「命を奪う理由にならない」

 裁判員からは「もし結婚して自分と同じような子どもが生まれたら、どう育てたか」との質問が飛んだ。「ストレートな愛情表現を心掛けたい」とし「母は嫌みが6~7割で、ストレートに言ったら負けと思っているぐらい」。愛情に飢え、承認欲求が満たされなかった男の本音が見えた。

 証人として出廷した妹は男を「優しい」と言い、「母は兄を『勉強ができる』『機械が得意』と褒めていた」と明かした。

 千葉地裁の岡部豪裁判長は22年1月28日、懲役30年の判決を言い渡した後、終始男の目を見ながら説諭した。

判決後に説諭した岡部裁判長(右から2人目)ら

 「生きづらくても傷ついても、命を奪う理由にはならない。命の尊さが理解できていないのでしょうか」とまず問い掛け、こう続けた。「父や母、その先にも両親がいて、先祖はどこまでも続く。途切れることなく命のバトンをつないできた。1人でも命をつなぐことに失敗したらあなたはいない」

 ▽貴重な人生、いつまで無駄に

 さらに「生きづらさがあり、頭も体も重かったかもしれない。だったらより良い人生にすればいい。貴重な人生をいつまで無駄にするつもりですか」とただした。

 判決が確定すれば刑務所での生活が始まる。裁判長は「他の人から話を聞いてみてください。どれだけ自分が恵まれ、愛されてきたか、どれだけ人生を粗末にしてきたかが分かる。その時初めて殺害した罪深さ、家族のありがたさが分かる」と強調。「そういう気持ちになることを祈っている。慣れない生活で体を壊さないよう、がんばってください」と結んだ。

 審理した裁判官や裁判員の思いは届いたのか。男は表情を変えることなく、法廷を後にした。

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