「ジャスト・マム」 クリスティン・ハキム演じる「これぞインドネシアの母親」 【インドネシア映画倶楽部】第35回

Just Mom

母親の子供に対する無尽蔵の愛情と共に、インドネシアでの核家族化の現状を浮き彫りにする。インドネシアの大御所女優クリスティン・ハキムによる「これぞインドネシアの母親像」と言わんばかりの貫禄の演技も堪能できる。

文と写真:横山裕一

母親の子供に対する偉大なる愛情を描いた、涙さそうファミリー映画。インドネシアの大御所女優、クリスティン・ハキムによる「これぞインドネシアの母親像」と言わんばかりの貫禄の演技も味わえる。

物語はすでに大人になった3人の子供を持ち、癌闘病を続ける母親シティを中心に描かれる。すでに家庭を持ち、仕事と子供の面倒に奔走する長女、仕事に没頭する長男といずれも独り立ちしているが、日常の忙しさを理由に母親とは疎遠となりがちである。唯一、養子の末息子が母親と同居し、面倒を見ているが、近く留学の予定でもある。

ある晩、シティは通りの屋台で食べ物を盗んで騒ぎを起こしている女性を見かける。彼女は路上生活者で精神異常もきたしている上、妊娠しお腹も大きかった。シティは騒ぎを収めて彼女を助けるが、彼女への心配が募り、後日彼女を探し出して自宅へ招く。養女として世話することを決めたシティはムルニ(純真の意味)と名づけ、我が子のように愛情を注ぎ始める。子供たちに心配させないため自らの病状悪化を隠しながらも、ムルニが出産する赤ちゃんを楽しみにするシティだったが……。

忙しさにかまけて顔を出さない子供たちではあっても、状況を理解し愛情持って見守る一方で、それだけでは足りないとばかりにムルニに対しても大いに愛情を注ぎ込もうとする母親シティの姿に、「母親」という存在の偉大さを感じずにはいられない作品である。筆者を含めて滅多に母親に顔を出さず、身につまされる鑑賞者も多いだろう。

ただ、この作品で改めて気付かされるのは、大家族が続いていると思われるインドネシアでさえも、近年はジャカルタなど都市部を中心に核家族化が進んできているという事実である。同作品の舞台はジョグジャカルタであり、地方都市でもこうした状況が一般化し始めていることを表している。

筆者と同世代である50代のジャカルタの友人らは5人以上、中には10人兄弟の者もいて長男が親と同居する場合が多いが、彼らの子供は皆2〜3人である。日本でいえば、戦後、1950年代以降に結婚した現在80代以上の世代と同じような状況である。一概に全く同じとはいえないが、約30年のタイムラグでインドネシアも現在の日本と同じような核家族が中心の社会になることが予想される。

子供が親の面倒をみられずに老人だけの世帯が増加したり、子供の兄弟が少ない分、家族や親戚のボリュームが小さくなって、従来の大家族内のゴトンロヨン(相互扶助)も機能しづらくなるだろう。都市部と地方の経済格差から若者の都市流入が続けば、地方の空洞化、高齢化が進み、社会は大きく変わることになる。

中央統計庁などの人口予測によると、2065年にインドネシアの総人口は3億3700万人余りまで増え続け、それ以降は減少傾向になるという。まさに、少子高齢化を含めた現在の日本の姿が、30年のタイムラグでインドネシアでも現実のものとなる可能性を秘めている。社会形成の根源となる家族の在り方について、日本と同じような道を歩んでしまっていいのかどうか。インドネシア政府、学識者は経済ばかりみるのではなく、現在の日本社会の姿を反面教師にしてでもしっかりと見極め検討してもらいたいと思う。

話は大きく逸れてしまったが、本作品は母親の子供に対する無尽蔵の愛情を描くとともに、インドネシアでの核家族化の現状を浮き彫りにもしている作品といえる。それとともに、ムルニのように路上生活者である上に、知識がないばかりに高齢妊娠してしまうケースが現実に多発している問題も取り上げている。

大作や話題作などを手がけるハヌン・ブラマンティオ監督がプロデューサーとして参加しているのも頷けるところだ。最後のスタッフエンドロールでは主要スタッフとその母親の写真が紹介されるところからも、スタッフが如何に母親へ捧げる感謝のメッセージを込めて本作品が制作されたかが理解できる。

繰り返すようだが純粋に母親の愛情、存在の偉大さを感じずにはおられず、久々に離れた母親のことを思い出したい方、ちょっと涙を流したい方、さらにはクリスティン・ハキムの魅力を堪能したい方には是非鑑賞していただきたい。

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