NY地下鉄の最古参引退、ファン興奮

 【汐留鉄道俱楽部】ヒット映画「スパイダーマン:ホームカミング」(2017年公開)に姿を見せた米国ニューヨーク地下鉄の1964年登場の最古参車両「R32」が2022年1月9日にラストランを迎えた。「葬式鉄」と呼ばれる退役を惜しむ愛好家向けに、ラストランまで計4日にわたって引退記念運転が開催された。新型コロナウイルスワクチンの追加接種を受けた私も駆け付けたが、「本当に走るのか」という一抹の不安を抱いていた…。

 今ではニューヨーク地下鉄を席巻しているステンレス製車両の先駆けとなったのがR32で、銀色に輝く車体を持つため「ブライトライナー」の愛称が付けられた。まるで湯たんぽのように凸凹があるステンレス外板で覆われた無骨な外観が特色だ。日本初のオールステンレス車両となった東京急行電鉄(現東急電鉄)の初代7000系に技術を供与したかつて存在した米車両メーカー、バッドが製造した。運行する都市圏交通局(MTA)によると、ステンレスの採用で1両当たりの重量は約31トンと当時の車両より約1・8トン軽かった。

ニューヨーク地下鉄のR32の先頭部=2021年12月26日に筆者撮影

 左右非対称になった先頭部には、正面から見て左側に狭い乗務員室があり、乗客は真ん中の貫通扉の窓まで近づけるので前面展望を楽しむことが可能。この構造を持つニューヨーク地下鉄車両で最後の車両だった。もっとも、元車掌の男性は「次の停車駅のプラットホームが乗っている乗務員室の反対側だと、通路を通って反対側の乗務員室に移ってドアの開閉をしなければならず、面倒だったので好きな車両ではなかった」と打ち明ける。

 引退記念運転は21年12月19日から毎週日曜に催され、私は2日目の12月26日に訪れた。しかし、MTA側は初日に一部の心ない乗客がいすの一部を壊したと憤慨し、「もしも係員が運転を取りやめる必要があると判断した場合は直ちに運行を中止し、それ以降の運転も全て取りやめる」と警告した。

 訪れた日はニューヨーク中心部マンハッタンの南部にある2番街駅から北部ハーレム地区の145番街駅までF線、D線を通って北上後、同じ行程を南下して計4往復する計画だ。私は2番街駅を午前10時に出発する最初の電車を逃したため、もしも最初に往復した際にトラブルが起きた場合は運転中止となって“即刻引退”してしまうリスクを抱えていた。

 最初の1往復は2番街駅まで無事折り返してきた。正午出発予定のR32に乗り込もうとすると、男性係員が車内で「全員降りてくれ!」と声を張り上げている。「またトラブルが起きたため運行を終え、回送になってしまうのか」と悪いシナリオが頭をよぎる…。

 数分後、利用客が乗り込むのが見えた。どうやら2番街駅でいったん下車するように促しただけらしく、胸をなで下ろした。最も北側に止まっている先頭車両に乗り込み、目玉の前面展望を楽しむチャンスをうかがった。

先頭部の貫通扉窓から前面展望を楽しめるが、この日は手前に規制線が張られていた(上)、コルゲートに覆われた無骨な外観に似合う3段式の側面表示

 だが、車内に足を踏み入れると貫通扉の手前には規制線が張られ、既にその後ろに沿って10人余りがカメラを握りしめながら陣取っている。日本では車両引退や路線廃止の際に大勢の鉄道ファンが駆け付けて別れを惜しむのが恒例行事になっているが、それに引けを取らない米国人の「葬式鉄」パワーに恐れ入った。

 ソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の確保)のために最前部に並ぶことはあきらめ、一番前の客室扉の後ろにあるロングシートに腰掛けて貫通扉の窓をのぞくことにした。

 走り始めた次の瞬間に前後の揺れが起き、乗客が一斉に後ろへのけぞった。これは搭載した制御機器の抵抗制御の弱点と言えよう。ただ、うなりを上げるように響くモーター音に、車輪が線路の継ぎ目を通るきしみ音が重なった走行時の音色は絶妙なハーモニーを奏でており、実に味わい深い。

 セントラルパークに近い59番街コロンバスサークル駅まで各駅に止まった後は急行運転となり、7駅を通過してハーレム地区の125番街駅へ向かう。発車する際の加速はたどたどしいが、スピードを上げて通過用の線路を駆ける時は余裕さえ感じさせる力走だ。125番街駅に到着後は次の135番街駅も通過し、145番街駅に滑り込んだ。

 警備のためにMTAの職員が各車両に張り付いて目を光らせていたが、見たところ愛好家たちはマナーを守り、幸いトラブルは起きなかった。制服姿のニューヨーク市警の警官がホームに立っているのには驚愕したが、よく見るとR32の前で記念撮影をしていた。

 既に引退したR32の一部の車体は大西洋に投げ込まれ、魚が生息するための人工魚礁に活用された。だが、今回走った引退車両については「一部の車両はニューヨーク交通博物館で保存、展示する」(関係者)という。銀色に彩られたステンレス製車両の「いぶし銀」の魅力で引き続き人間をひきつけることになりそうだ。 

☆大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)共同通信ワシントン支局次長。R32はニューヨーク支局駐在時に好んで乗っていた車両だけに、引退にはひときわ感慨を覚えました。

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