【かお】「音楽で生きたい」。上京したのは18歳。シャンソン喫茶「銀巴里」で日野皓正、山下洋輔らと腕を磨いた。ジャズ界のレジェンドは今、88歳。円熟のギターがしみる

演奏する中牟礼貞則さん

〈出水市出身。88歳のギタリスト、中牟礼 貞則(なかむれ・さだのり)さん〉

 ギターに情熱を注ぎ続け、今年3月で89歳になる。しかし演奏は今も衰えを見せない。第一線を走り続ける日本ジャズ界の“レジェンド”は、後輩から「ムレさん」と呼ばれ慕われる。

 1933年、鹿児島県旧高尾野町(現出水市)生まれ。転機は終戦間もない45年だった。中学1年の時、ラジオから流れる進駐軍放送で初めてジャズに触れた。「世界にはこんな音楽があるんだ、と感動した」

 当時、高尾野へ移転していた旧制七高の生徒2人が自宅に下宿。うち1人が持っていたクラシックギターを借り、夢中で弦をはじいた。「音楽の世界で生きたい」。思いは募り、高校を卒業した18歳で上京した。

 周りの音楽仲間はみな大学に通っていたため、1年後の52年に青山学院大へ入学。「仕送りは一切なく、米軍キャンプで演奏し、学費や生活費を稼いだ」

 同年にプロデビューし、銀座のキャバレーや新橋のガード下で演奏を重ねた。銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」では毎週金曜のセッションにも参加。高柳昌行(故人)や日野皓正、山下洋輔らと腕を競った。

 それから約70年。1月16日にあった4年ぶりの鹿児島公演では、ベーシストの金澤英明さんと約40人のファンを魅了した。「古里での演奏はやっぱりうれしい。自分らしい演奏をこの先も届けたい」と語る。

 訪れる土地での散歩が趣味。4年前の公演で鹿児島県北部の伊佐に滞在した際「道に迷い、人の敷地で泥棒と間違えられた」と苦笑い。横浜市で1人暮らし。

1月、4年ぶりに鹿児島で公演。「古里での演奏はやっぱりうれしい。自分らしい演奏をこの先も届けたい」と語る中牟礼貞則さん
中牟礼貞則さん

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