日本二十六聖人の道踏破 京都-長崎890キロ 「宗教とは何か」探す旅 長与の大山八郎さん

聖トマス小崎像を背に記念撮影する大山さん=広島県三原市(大山さん提供)

 1597年1月から2月にかけ、日本二十六聖人が京都から殉教地の長崎の西坂の丘まで歩いた道を、カトリック信徒で長崎県西彼長与町高田郷の大山八郎さん(71)が、昨年11月8日から12月18日まで41日間かけて踏破した。総距離は約890キロ。「当時の26人の気持ちを想像しながら歩いた。険しい道もあり、苦しくもあったが、達成感は大きい」と話している。
 大山さんは約30年前、日本二十六聖人記念館の初代館長、故結城了悟神父の著書「長崎への道~26聖人の殉教史」を読み、いつか足跡をたどりたいという思いが芽生えた。
 先祖は長崎市外海地区の隠れキリシタン。遠藤周作の小説「沈黙」の舞台として知られ、当時の信仰には関心が高かった。ただ、幼い頃に洗礼を受け、自らの意思でなかった。「宗教とは何か」。ずっと心の中に疑問があり、旅を通してその答えを見つけたいと思っていた。
 26人の足取りが記された本と約60枚の地図のコピーを携えたが、京都市内の出発地点に立つ石柱を見つけるだけでも一苦労した。26人は1月3日に京都を出発し、約1カ月後の2月5日に西坂の丘で殉教した。当初は聖人と同じペースで同じ距離を歩こうとしたが、20~30キロも歩くと膝が痛くなり、足の親指の爪ははがれ、両足が腫れた。2足用意したスニーカーはどちらも履けなくなって、一足新調した。ペースを落としたが、毎日8時間以上歩き、宿に着くころにはくたくたに疲れたという。
 広島県三原市の三原城跡には聖トマス小崎像があった。彼はまだ14歳だった。この地で家族に宛てた手紙を書いたとされる。残虐な仕打ちを受け、それでも母に心配しないように伝えた彼のことを思うと、涙が込み上げてきた。広島市ではカトリック幟町教会を訪ね、日本二十六聖人記念館の前館長、ドメニコ・ヴィタリ神父と再会した。

二十六聖人が歩いた山道。倒木が行く手を阻んだ=広島県東広島市八本松町の大山峠(大山さん提供)

 道中の大半は旧街道で、人気のない峠も多く、何度か道を間違えた。土砂災害で道が失われているところもあった。道中、雨が降ったのは4日間だけだった。真冬の峠道、ぬかるむ地面…。26人は足先がしもやけや凍傷などにならなかっただろうかと考えた。山口市の山間部では、近くに住むめいが子どもを連れて激励してくれ、うれしかった。
 九州に入り、西坂の丘にたどり着くと、横一列に聖人が並ぶブロンズ像前で、日本二十六聖人記念館長の金亨郁神父や妻、妹らが出迎えてくれた。金神父は「神のご加護があり、無事に帰って大変うれしい」と祝福してくれた。

ゴールして日本二十六聖人記念館長の金神父と記念写真に納まる大山さん=長崎市西坂町(大山さん提供)

 30年来の念願をかなえた大山さんは「26人はきっと励まし合いながら歩いたことだろう。命懸けで信仰を貫いた彼らは聖人にふさわしい」と思った。
 今回の旅は、苦しみ半分、楽しさ半分だったという。「道中、『家族みんなの平穏な日々が続きますように』などと祈ることで毎日、神と会話ができた。宗教を持っていて良かった」。そんな思いをかみしめている。


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