忘れまい〈18〉日常のありがたさ痛感 節電ダイヤ

 その瞬間はJR横浜駅の構内にいた。一瞬、立ちくらみかと思ったが、近くにいた女性の悲鳴で地震だと知った。西口に出ると、不安そうな表情を浮かべる大勢の人々。公衆電話には長蛇の列。異様な空気が漂っていた。

 ようやくつながった本社への電話で「西口のマンションが倒壊しそうとの情報がある」とデスクに取材を指示された。現場へ向かうと、隣のスーパーの前で地面にひび割れが入っていた。

 写真を撮り、被害の状況を送稿。その間は必死だったが、一連の作業が終わると、電車が止まり、帰宅できない現実にがくぜんとした。鉄道網が寸断される事態など想像したことがなかった。

 鉄道はその後も混乱を極めた。この記事に添えた写真は、東日本大震災直後の週末が明けた2011年3月14日午前の京急線横須賀中央駅だ。

 京急によると、東京電力による計画停電で同日は午前11時半〜午後4時半まで金沢八景−浦賀間と久里浜線で運転を見合わせ、午後には一時的に全線をストップ。翌日以降も計画停電に振り回され、通勤などに影響が広がった。日中の本数を一部減らした「節電ダイヤ」が終了したのは、半年後の9月23日だった。

 電車が定時運行し、電気や水が使える。普段は意識することがない「日常」の営みが、実は当たり前ではないと痛感させられた。震災から5年−。あらためてそのことを心に刻んでおかなければと思う。

© 株式会社神奈川新聞社