「フォトコピー」 大学内のサスペンスドラマ、性暴力事件とMeToo 【インドネシア映画倶楽部】第37回 番外編

Penyalin Cahaya / Photocopier ※Netflix配信

ジャカルタのある大学の演劇部内で起きた性暴力事件をめぐるサスペンスドラマ。現代の大学生らしく、主人公はデジタル機器を駆使して孤独な調査を進める。しかし、全ての努力が無になってしまい、主人公が開き直って取るラストシーンの行動が見どころだ。

文・横山裕一、写真・Netflix提供

劇場で公開されておらず、ネットフリックスのみで配信公開されている作品だが、2021年インドネシア映画祭(FFI)の長編映画カテゴリーで、全17部門のうち最優秀作品賞や監督賞など12部門までを独占した話題作でもあるので紹介したい。

「フォトコピー」より(Courtesy of Netflix)

ネットフリックスでの作品タイトルは「フォトコピー」であるが、印象深いラストシーンを考えると「コピーする者」という方が内容的にも原題訳にも近くなるかと思われる。これから鑑賞する方もこれをキーワードにご覧いただきたい。

物語は演劇部コンテストに優勝し、京都で開かれるアジアコンテストへの切符を手にしたジャカルタのある大学の演劇部内で起きた性暴力事件をめぐるサスペンスドラマ。演劇部でウェブサイトを担当する大学1年生のスルヤニは優勝パーティーで多量に飲んでいないにも関わらず泥酔してしまう。翌朝、気がつくと自宅で寝ていて前夜の記憶がない。両親の食堂経営では学費が賄えないため奨学金の面接に行くが、何故か泥酔した姿の写真がソーシャルメディアで拡散され面接官にも周知のもととなり、奨学金受給を却下されてしまう。

どうしてこんなことになってしまったのか。飲酒による泥酔で記憶もない。友人に聞くと前夜はオンラインタクシーに乗せられ帰宅したという。ふと気がつくと昨夜のままの服装なのに下着Tシャツのラベルが喉元にあり、いつの間にか後前に着ている。何かあったに違いない。スルヤニは周囲の冷たい視線の中、一人調べ始める。そして、アザのある自分の腰の写真の存在を知り、密かに裸体撮影されていた事実が明らかになる……。

「フォトコピー」より(Courtesy of Netflix)

本作品はインドネシアでも多発している女性に対する性暴力、セクシャルハラスメントがテーマになっている。訴えた被害者の側が理不尽にも疎外感を受けるケースも多い。2017年、ロンボク島の高校で女性教師が校長から受けたセクシャルハラスメントを訴えたものの、証拠である電話の録音会話を別の者がソーシャルメディアで拡散したことから、逆に被害者教師が校長に対する侮辱罪で禁固刑を受けた例もある。この事件ではその後被害者救済のための世論の高まりを受けて大統領特赦が下されたが、社会的立場の低い者が被害者となりやすく、証明の困難な同問題は現代社会に根付く暗部でもある。

作品の主人公スルヤニも、初めは泥酔の原因は飲酒を強要されたものであるという身の潔白を明らかにする目的だったが、知らぬ間に裸体撮影されていたことを知り、孤独な調査を続ける。ここで特徴的なのは現代の大学生らしい、というよりは現代社会ならではの方法で、スマートフォンやパソコンといったデジタル機器を駆使しているところだ。

泥酔時写真の撮影時間の確認、オンラインタクシー乗車当時のルートと所要時間の確認など。圧巻は違法行為でもあるが、大学のコピー屋で演劇部の学生らが持ち込んだパソコンや携帯電話から内容をプリントアウトする際に、そのデータをハッキングし、証拠探しと犯人の特定を試みている。

デジタル機器は21世紀の現代社会において、仕事、生活、娯楽と各個人になくてはならないものになっていて、まさに現代を象徴するものであり、本作品はデジタル社会を端的に表現したものでもある。デジタル音痴を自認する筆者でさえ、スマートフォンを片時も離せない生活をしている。便利な世の中になったものだが、時にこれなしでは何もできなくなっている自分に無力さも感じる。

本作品にはないが、近年のインドネシア作品ではソーシャルメディアのチャット会話をコンピューターグラフィックスでスクリーンに表し、鑑賞者に読ませるシーンが非常に多用されている。これは日本を含め世界的な傾向でもある。勿論、電話よりもチャットが多用される現代社会を忠実に表した現象ではあるが、古くからの映画ファンの身としては、映像表現、構成の巧みさを期待しているだけに、味気なさを感じてしまう。本作品ではポイント部分だけのデジタル画面を実写撮影する表現である。

本作品は物語の面白さだけでなく、見どころは各シーンの心情や状態を様々な色彩の光で画面全体が表現されているところだ。「何かが起きたはずだ」とコピー屋の2階で主人公がハッキングするシーンは、先行きが見えないことを表すかのように薄暗い。主人公が本来、簡単には昏倒するまで泥酔しないことを証明するために友人と酒を飲み続けるシーンでは徐々に酔って海に漂うかのように薄暗い中にブルーライトが画面全体を彩る。コピー屋が停電した際には、真実を映し出すかのようなコピー機の放つダークグリーンの色調の画面となる。また、時折挿入されるデング熱予防のための住宅街での消毒煙霧の散布では、徐々に画面が煙で白くかき消されていき、物語の謎が深まっていくのを暗示している。終盤、消毒煙霧の中、車のテールランプが消えていくシーンは真実が遠ざかるようでもある。画面全体の色彩を巧みに表現する作品としては、同じシーンを様々な思惑に伴った色で再現されていく、中国・チャン・イー・モウ監督の任侠映画「HERO」を思い出させる。

「フォトコピー」より(Courtesy of Netflix)

本作品の監督は29歳のウレガス・バヌテジャ氏で、初の長編作品でインドネシア映画祭をほぼ総なめにしている。しかしそれ以前の2016年、短編作品ながらインドネシア人としては初のカンヌ映画祭での受賞を獲得するなど、実力の高さはすでに評価済みで、今後も有望な若手監督である。

前述のようにデジタル機器、データが鍵となる内容であるが、全ての努力が無駄になってしまい、主人公が開き直ってとるラストシーンの行動が非常に印象的で見どころでもある。最後はデジタルではなく、マニュアルな手法がとられるところも感情を持った人間的な解決法で、見ていて気持ちがいい。デジタルへの依存に対するアンチテーゼも意図されていたのかもしれない。

例年、インドネシア映画祭で最優秀作品賞の受賞作品は1月前後に劇場で記念公開されるが、本作品は劇場公開されていない。コロナ禍に制作され、活動制限下での興行収入面を考慮して、世界中でより広く鑑賞できるネットフリックス配信での契約を選んだということだ。事情はよく理解できるが、前述のように色彩を巧みに使った映像構成など、スクリーン大画面でより魅力を感じられる作品だけに、劇場で鑑賞できないのは残念でもある。とはいえ、面白い作品であることは間違いなく、機会がある方は是非とも鑑賞していただきたい。

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