田澤純一が感謝する松坂大輔との出会い 引退試合で感じた“去り際の美学”

レッドソックス時代の田澤純一(左)と松坂大輔【写真:Getty Images】

横浜で生まれ育った田澤に衝撃を与えた横浜高の春夏甲子園連覇

2021年のシーズンをもって“平成の怪物”松坂大輔氏がユニホームを脱いだ。横浜高校時代からスーパースターとして突っ走ってきた右腕は、引退するその日まで数多くの人々に影響を与える存在だった。いや、引退してもなお、変わらぬ存在であり続けるだろう。

高校時代、西武時代、メジャー時代、日本復帰後……。どの時代の松坂に触れたかで、その印象は変わってくるはずだ。1986年に横浜に生まれ、横浜で育った田澤純一にとって、松坂氏は文字通り“憧れの人”だった。

「僕は横浜が地元なので、小学6年の時に横浜高校で甲子園春夏連覇した松坂さんは憧れの人。イチローさんや上原(浩治)さんと一緒に野球ができたことも財産になりましたが、横浜生まれの僕にとって松坂さんは特別でした」

田澤は2009年からレッドソックスに所属し、メジャーのスプリングトレーニングに参加していたが、第2回WBCの日本代表メンバーだった松坂氏はチームに遅れて合流した。そのため、開幕前に共有できた時間は多くない。

余談ではあるが、この年からレッドソックスに斎藤隆氏(現DeNAチーフ投手コーチ)も加入。1998年の横浜ベイスターズ優勝の立役者もまた、田澤にとってはスーパースターだ。その斎藤氏のキャッチボール相手を務めることになった田澤は緊張しきりで「イップスになりそうです」と小声で呟いていたことも、今となっては懐かしい。

この年、開幕を傘下2Aで迎えた田澤はしっかりと成績を残し、夏には有望株が集うマイナーの球宴、フューチャーズゲームに出場。そして、8月には待望のメジャーデビューを果たした。そこで再び、松坂氏と時間を共有することになる。

「そもそも僕自身、1年目でメジャーに上がれるとは思っていませんでした。メジャーに上がれれば、松坂さんや(斎藤)隆さんと一緒にプレーできることは分かっていたけれど、どこまで自分が成長できるかがカギだったので、一緒に過ごす時間ができて良かったです」

昨季は台湾・味全でプレーした田澤純一【写真:Getty Images】

万全ではない姿を見せた引退試合に「覚悟がいったと思います」

その翌シーズンに田澤はトミー・ジョン手術を受け、リハビリに専念。すると2011年には今度は松坂氏がトミー・ジョン手術を受けることになった。田澤がリリーバーとしてメジャーに定着した2012年、松坂氏は8月下旬にメジャー復帰し、ここで再び一緒にプレーした。

同年オフにフリーエージェントとなった松坂氏はインディアンスに移籍したため、2人が1年を通じて同じチームで戦い続けることはなかった。それでも何度か食事に誘われ、同席する機会に恵まれたというが、グラウンドを離れても松坂氏は「人柄が素晴らしく、人間的に大きな人です」と憧れが揺らぐことはなかった。

2021年10月19日。松坂氏の引退試合を、田澤は台湾で見た。明らかに状態が良くない肩肘で、最速118キロという山なりのボールを投げる姿を見て「本当にすごい人だ」という想いを新たにした。

「最後、引退試合であの投球を見せたのは、僕はすごいと思いました。絶対に痛いはずだし、球速も出ない。あの姿を見せるのは覚悟がいったと思います。だからこそ、あの姿を見せて引退した松坂さんは、本当にすごいと思います」

松坂氏と出会えたことは「僕の野球人生における財産の1つ」だという。憧れの人から受け継いだ財産を、今度は次の世代に引き継げるよう、田澤もまたマウンド上で腕を振り続ける。(佐藤直子 / Naoko Sato)

© 株式会社Creative2