【読書亡羊】エピソードで綴る生きた「防衛省」の物語 辻田真佐憲『防衛省の研究』(朝日新書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

防衛省・自衛隊の歴史を「物語的」に読ませる

防衛省・自衛隊について腰を据えて学ぼうと思い立ったことがある。憲法や安全保障について語るなら知っておくべきだという点もあったが、もう一つ理由があった。

筆者(梶原)の家系は父方も母方も、いわば「自衛隊家系」。祖父や父が任務に精を出していた時代の背景や組織の概要を知り、弟や従弟が直面するこれからの防衛省・自衛隊の課題を考えてみたいと思ったからだった。

いざ、とばかりに既刊の一般書はもちろん、学術書にまで手を出したが、ほとんど頭に入らなかった。前提知識のない専門用語や人名が多く、文字を追うだけで精いっぱいだったのだ。

今回、辻田真佐憲氏の『防衛省の研究 歴代幹部でたどる戦後日本の国防史』(朝日新書)を読んで、大きく息を吸い込んだ。この本を読んだ後なら、もう一度、あの学術書にもチャレンジできるのではないか。

というのも、本書は警察予備隊の初代長官である増原恵吉から、つい三年前まで統合幕僚長を務めた河野克俊まで十名以上の幹部たちの足跡と人柄を綴りつつ、その幹部たちが作り上げてきた防衛省のこれまでの歩みと、防衛省を襲った社会的事件を物語的に解説することに成功しているのだ。

人物の解像度が上がるとともに、彼らが手がけた防衛政策、そしてその背景にある国際情勢がすんなりと把握できる。

デストロイヤーと酒乱

人物にスポットを当てた、いわば「列伝」形式で読む防衛省・自衛隊、というわけだが、どの人物についても資料を渉猟し、実にエピソードフルにまとめている。

例えば「天皇」と呼ばれた海原治。カミソリ後藤田の後を継いで、自衛隊の前身である警察予備隊を所管する保安庁の安保課長についた。その後、第一次岸内閣下で「国防の基本方針」の原案を起草。剛腕で知られ、ヘリ空母の導入をつぶしたこともある。

掲載されている顔写真だけでも、海原が「デストロイヤー」と呼ばれるに足る、圧倒的迫力が伝わる。だが怖いのは顔だけではない。

海原はトイレに行くふりをして自室に戻り、よく整理されたファイルから(会議に臨席している対立相手の)攻撃材料を仕入れてきて、反撃してくることがあったという。
(マルカッコ内は筆者補足)

一方、いかにも官僚フェイスなのが「KB個人論文」で知られる防衛省きっての理論派、久保卓也だ。

基盤的防衛力構想を練り上げた功労者だが、中学時代は「覚えた単語の辞書の頁を食べてしまった」と揶揄されるほど勉強熱心。一方で大人になってからは酒乱だったといい、誰しも一面的には語り得ない人間味があることを教えてくれる。

無味乾燥に思える防衛省という一行政機関だが、国際情勢や世論の動きの影響を受けるのはもちろん、実際には意外なほどに「その時、そのポジションにいた人物の考えや決断」の影響を色濃く受けていることがわかる。

「田母神事件」は何を投げかけているか

著者の辻田氏は自らの価値判断をほんの少し、盛り込みながらも、各人に対する断定的評価をなるべく避け、そこから抽出される問題点を指摘するにとどまっている。「議論のためにまず共有されるべき土台」を本書によって提供することを強く意識しているからだろう。結論ありきが多い防衛省・自衛隊をめぐる論調において、こうしたスタンスは貴重だ。

そうした辻田氏の試みに、この書評の最後の部分で応えてみたい。

現在に通じる問題として取り上げたいのは、ともに制服組で「問題発言」により要職を解かれるに至った栗栖弘臣と田母神俊雄だ。

栗栖の場合は「いざというとき動けない自衛隊」の法体系の問題。そして田母神の場合は「自衛官の歴史観・思想問題」。発言の性質は違うが、いずれも「自衛隊と国民、そして政治が向き合うべき、今なお残されている解決すべき課題」を突きつけている。

中でも後者については田母神(と最終章の河野)に関する記述の末尾に、戦前戦中の歴史に関する作品を手掛けてきた筆者らしく「歴史観」に関する問題意識が垣間見える。田母神の「歴史論文」の程度はお粗末なものである、との秦郁彦氏の言を引いてもいる。

それが大きな課題であることは承知の上で、あえて田母神事件とそれに付随する問題が投げかけた「歴史的事実の真偽」を超えた論点を指摘したい。

それは、「なぜどの国にも相応の正義があり、他国に移住することも難しくないこの時代に、あえて『日本』のために命を懸けるのか」を考えざるを得ない、自衛官側の精神や自衛隊そのものの存在意義にさえに及ぶものだ。

「読んで終わり」ではなく、その先へ

自衛隊は確かに、国民の高い信頼を得るようになった。だが一方で、愛国心を警戒するあまり、この「なぜ」の答えを災害派遣やPKOなどの国際貢献の任で「代替」させてきたことが新たな問題を生み出している。それは現役幹部自衛官からも指摘されるところだ。

「軍隊ならざる軍隊」としての自衛隊の歩みがそうさせた面は大いにある。

辻田氏の問題意識は、筆者のような保守(右派)側も共有すべきだろう。氏の指摘に、一部からはともすれば「自虐史観的」などという反発もあるかもしれないが、批判する「だけ」では何の意味もない。

戦後の防衛省・自衛隊の歩みを知り、これからを考える一冊目として、本書はさまざまな材料を提供してくれる。「読んで終わり」ではなく、その先に議論の扉を開きたい。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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