「パプア人警察官ティカム」 パプア州警察が制作、監督、出演までを手がける 【インドネシア映画倶楽部】第38回

Tikam Polisi Noken

パプア州警察本部長プロデュース、同警察本部人事局長が監督、警察関係者多数が出演と、パプア警察総動員の作品だ。「パプア部族の交戦的なところばかりが強調されている」との批判もある。警察は作品内のように、平和的な解決をあくまでも目指す努力を続けてもらいたいと切に願う。

文・写真:横山裕一

警察による警察のための警察の映画、とまでいったら怒られてしまうかもしれないが、パプア州警察本部長プロデュース、監督は同警察本部人事局長、さらに出演も地元俳優以外に警察関係者多数とパプア警察総動員の作品。

2019年11月公開作品で国家警察制作の刑事アクション映画があったが(インドネシア映画倶楽部 第16回「ただの人として」ご参照)、制作側は監督、俳優陣ともにいわゆる「映画人」で全て固められていたのに比べると、今回は内容を含めて手作り感にあふれている。それだけに警察の映画に対する意図も随所に見受けられる。

物語はパプア州山岳地帯のある部族集落が別の部族集団に襲われ、皆殺しにされるシーンから始まる。両親も殺され、唯一逃げのびた7歳の少年ティカムはその後不良少年グループと行動を共にするが、ひょんなことから国軍から派遣されていたジャワ人夫妻に引き取られる。子供のいなかった夫妻は自分達の子供としてティカムを育てるが、ある日、養父が武装集団との交戦中に死亡。「自分達のパプアを守れ」との亡き養父の教えを胸に、ティカムはジャヤプラの警察学校を経て警察官となる。

折しも交通事故で死亡した運転手の所属部族、ワロ族が相手の運転手の部族に仕返しをしようと動き出し、双方の部族が弓矢、槍で武装対立し、街は緊張が走る。警察はティカムを含めた3人の警察官にワロ族の説得に向かうよう命じる。実はこのワロ族はかつてティカムの集落を襲った部族、実の両親を殺害した仇でもあった……。

地元報道などによると、本作品は実際に起きた事件をもとに制作されたということで、「パプアの民族の伝統習俗でもある、頻発する部族間の対立や抗争などの改善」を目的にしたものだという。おそらくはこの仲介に入り、平和的な解決を試みる警察活動に対して、地元パプア住民、さらには他地域の国民の理解を得るためでもあるとみられる。

部族間対立以外にも、パプアでは依然、独立運動が続いていて、武装勢力による警察や国軍との衝突も多く発生している。政府は2021年4月末、パプアでの独立派の武装勢力をテロ組織に認定して警察の対テロ特殊部隊を派遣するなど、事態は改善していないのが実情だ。

作品内の主人公ティカムのように、コミュニケーションを図りやすくするために地元パプア住民が警察官となり部族間の対立の仲介役を実際に果たしているケースも多いとみられるが、治安当局とパプア武装勢力との衝突の報道が度重なるなか、本作品がどこまでプロパガンダ効果を上げられるかは今後の反応を見守りたいところである。

一方、地元有力紙テンポのネットニュースによると、人権活動家がソーシャルメディアを通じて、「パプア部族の交戦的なところばかりが強調されている」と本作品を批判している。作品が警察の側から描かれていて、パプア住民目線でどこまで描かれているかが問われ、今後議論を呼ぶ可能性も孕んでいる。

作品では格闘シーンもあるが、なぜか模範演技のように見えてしまうところ、また主人公は槍や矢をかいくぐる一方、主人公が槍を投げると百発百中すること、さらには主人公が拳で一撃しただけで部族住民が死んだように倒れて動かなくなってしまうことなどは……あえて目をつぶるとして。

また、警察官としての心構えなどがセリフとして盛り込まれていたり、警察学校入学に不合格だった受験生の苦情に対し、担当官が「今の警察は内部で不正はない」と説明するなど、警察制作映画らしい警察側の主張も随所に見られる。

パプア州警察本部には本作品の制作だけで満足するのではなく、作品内のように平和的な解決をあくまでも目指す努力を続けてもらいたいと切に願う。自らの命の危険をも脅かす現場であることは理解できるが、武力だけの措置は事態を困難にしてしまうことは東ティモールやアチェ、そして現在のパプア問題が明らかにしていることでもある。

制作目的や背景、さらに言えば警察が制作する映画のあり方などさまざまな点を見極める上で非常に興味深く考えさせられる作品であり、インドネシア情勢に興味を持つ方はある意味必見の作品だと思われる。

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