片桐仁「河童百図」に驚愕…近代日本画ゆかりの地・茨城で出会った奇才とは?

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週土曜日 11:30~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。11月20日(土)の放送では、「茨城県近代美術館」で茨城県ゆかりの日本画家を紹介しました。

◆岡倉天心の師匠、近代女性画家のパイオニアも茨城県出身

今回の舞台は、茨城県水戸市にある茨城県近代美術館。そこは日本三名園のひとつ、偕楽園から続く仙波湖のほとりに位置する水と緑に囲まれた美術館です。

館内に入ると皇居新宮殿の建設に関わった建築家・吉村順三による広々としたエントランスが出迎えてくれます。片桐は「こんな広い吹き抜けの美術館は初めて。すごいな……ちょっとした体育館くらいある」とその造りとスケールに早くもビックリ。

片桐は、そんな茨城県近代美術館で2021年夏に開催されていた所蔵作品展「日本の近代美術と茨城の作家たち 夏」へ。そこで知られざる近代日本画ゆかりの地・茨城県を名だたる画家の作品とともに紐解きます。

同館の学芸員・永宮勤士さんとともにまず鑑賞したのは、幕末から明治にかけて活躍した近代女性画家のパイオニア、南画家の奥原晴湖の「富貴飛燕・芙蓉翡翠」(1895年)。

南画とは、中国の南宗画にルーツを持つ、江戸から明治にかけて流行した山水画のひとつで、多くは詩が添えられ、詩・書・画を一体として味わえるのが特徴です。

晴湖は古賀藩士の娘として生まれるも、画家を目指し上京。上野にアトリエを構え、南画の画家として人気を博します。35歳にして春暢家塾を開き、最盛期には門人およそ300人。生徒のなかには岡倉天心もおり、片桐は「大先生だったんですね。岡倉天心の師匠!」と驚きます。

しかしその後、西洋画の写実的な潮流により晴湖、そして南画の人気は低迷。50代になると東京を離れ、その頃に描いたのが本作です。片田舎で自由気ままに画室を構えて制作を続け、表現が進化。より繊細かつ色鮮やかな花鳥画となっています。

◆大観、春草らが切磋琢磨した近代日本画版「トキワ荘」

晴湖の門下生だった岡倉天心は、明治の半ばに美術団体「日本美術院」を設立。また、東京美術学校の校長を務め、そこに一期生として入学したのが横山大観でした。その大観の作品「樹下美人」(1912年)を前に、片桐は「晴湖の次の時代の日本画ということですね」と感慨深そうに語ります。

これは、日本画壇で注目を集めていた大観44歳の頃の作品。彼はインドを訪れ、帰国後はインドの印象に基づいた仏教をテーマにした作品や女性像を数多く描いていますが、大観の出身は現在の茨城県水戸市。水戸藩士の長男として生まれました。

そして、上京後に東京美術学校に入学し、日本美術院にも参加。その後、天心と行動をともにし、1906(明治39)年には天心の発案により気鋭の画家4名とともに現在の北茨城市である五浦に移住。日本美術院研究所で創作活動に打ち込みます。この逸話に、片桐は「日本画トキワ荘ということですね!」と興味津々。

大観は明治期、ぼかしを多用した表現「朦朧体」を推し進めますが、当初は周囲の理解が得られず批判の的に。しかし、五浦で西洋の写実的表現に近い要素を取り入れるなど徐々に改良。これはその頃、徐々に大観が評価されていく節目の時期にあたる作品です。

五浦に移った画家のなかには大観の盟友であり、天心に「本当の天才」と言わしめた菱田春草も。ここにはその春草の「猫に烏」(1910年)も展示されています。対角線上に猫とカラスが描かれたこの作品は、春草晩年の傾向である「琳派」の要素がちらほら。

琳派とは、安土桃山時代に俵屋宗達らが創始し、尾形光琳らが確立した流派で、非常に装飾的かつデザイン的。片桐も春草の作品を見て「デザインが大胆。あえてここだけに絵を配置し、空間を持たせるという」と舌を巻きます。

また、春草ならではの表現も。「(猫の)ふわふわ感がすごい。耳や足の輪郭はあるのに、ボディは輪郭がない。花びらの描き方と明らかに違うし、烏ともまた違いますね……烏は墨でマットにベタっとしていて」と片桐。春草は五浦で画業をともにした大観、下村観山、木村武山らと明治後期から大正にかけ、琳派の表現を追求。しかし、その生活も長くは続かず、春草は病のため1年足らずで東京に戻ることに。そして体調を崩し、「猫に烏」を描いた翌年には亡くなってしまいます。

◆茨城が産んだ奇才、河童で知られる小川芋銭

五浦で大観と春草らが近代日本画を盛り立てる一方で、牛久市では個性的な作家が活躍。それが牛久藩士の子として生まれた日本画家、小川芋銭です。芋銭はもともと挿絵画家として活動し、後に日本画へ。同郷の大観に認められ、世に名前が知られます。

そんな芋銭の代表作が「河童百図」。そこにはさまざまな河童伝説が描かれていますが、水戸浦の伝説を描いたのが「河童百図『水戸浦の産』」(1937年)。そこに描かれた河童の姿に片桐は「僕らの知っている河童とは全然違いますけどね。犬感がすごい(笑)。四つん這いで歩いているし、亀の甲羅があり……ほぼ亀」と思わず笑みがこぼれます。とはいえ「他の99枚も見てみたいですね」と興味を掻き立てられた様子。

他方、「これも同じ小川芋銭ですか!? めちゃくちゃ上手い!」と片桐が目を丸くしていたのは「安計呂の夢」(1925年頃)。

「河童百図」とは違い、色彩豊かな美しい作品となっていますが、制作されたのは「安計呂の夢」が先。これは大正時代に描かれ、日本画家として走り出した頃の作品。かたや「河童百図」は昭和、晩年の作品で、芋銭は独自の世界観で河童や物語を描いていました。

茨城県近代美術館を巡った片桐は、「明治、大正、昭和に至っていくなかでの芸術家の動き、西洋美術はわかりやすく、日本美術となるとよくわからないんですけど、横山大観は朦朧体と揶揄された後に弱点を克服したとか、そういう話を聞くと、いろいろと物語がわかって楽しかったですね」と茨城ゆかりの日本画家たちの作品を堪能。

さらには、小川芋銭についても言及。彼の印象がとても強かったようで「晩年にみんな力が抜け始め、もう評価を気にしなくなる瞬間っていいですよね。血の滲むような苦労をし、そこでホッと力が抜ける感じがいい」と片桐。「近代の日本画を牽引してきた茨城県ゆかりの作家たち、素晴らしい!」と絶賛しつつ、知られざる日本画ゆかりの地・茨城に盛大な拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、木内克の「エーゲ海に捧ぐ」

茨城県近代美術館に展示されている作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものからどうしても見てもらいたい作品をアンコールで紹介する「今日のアンコール」。今回、片桐が選んだのは、木内克の彫刻「エーゲ海に捧ぐ」(1972年)。

「金箔がインパクトありますよね。手がない、このトルソを見せたいんでしょうね」とさまざまな角度から作品を眺めつつ、片桐が注目したのは、この作品の近くの床についた傷。「東日本大震災のときにこれが倒れた跡らしいんですけど、これをあえて残すことで震災を忘れないようにしているそうです」とその跡に思いを馳せます。

最後はミュージアムショップへ。その佇まいに片桐は「手作り感溢れていていいですね。お祭りみたい!」と満面の笑み。店内に飾られた非売品のインスタレーションを楽しみ、さらには「独自性がすごいですね」と至るところを物色。

なかでも「渋いな~」と唸っていたのは、河童などがモチーフとなった所蔵品でできたオリジナルのクリアファイル。その後も「家庭科室や美術室とかを学園祭があるから、売るものを並べたような感じ」とミュージアムショップを楽しそうに闊歩する片桐でした。

※開館状況は、茨城県近代美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週土曜 11:30~11:55<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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