ミニシアターの草分け「岩波ホール」が7月に閉館へ… 込められた思い

50年以上にわたって数々の名作映画を上映してきた東京・千代田区の岩波ホールが閉館することを発表しました。小さな劇場には多くの思い出と熱い気持ちが詰まっていました。

岩波ホールは1月11日、7月29日で閉館することを発表しました。発表に対し、劇場を訪れた客からは閉館を惜しむ声が数多く聞かれました。ミニシアターの草分けとしてこれまで多くの人にさまざまな映画の魅力を伝えてきた「岩波ホール」の誕生は、今から54年前にさかのぼります。映画館のロビーに貼られた無数のチラシは、このホールの歴史を物語っています。

1968年2月、神田神保町の古書店街に多目的ホールとして幕を開けた岩波ホールは、岩波書店の創業者・岩波茂雄さんの息子、岩波雄二郎さんが千代田区から「文化的な場所を作ってほしい」という要望を受けて作られました。開館当時のことを雄二郎さんの娘で現在の支配人・岩波律子さんは「1973年ぐらいまでは日本映画特集やフランス映画特集をやって、講座付きだった。講座用に椅子の背に折り畳みの机を付け、ノートを取れるようになっていた」と話します。

その岩波ホールが大きな転換を迎えたのは1974年、総支配人の高野悦子さんが「エキプ・ド・シネマ」という日本ではあまり取り上げられない国内外の映画を上映する活動を始めたことでした。岩波さんは「世界各地で『絶対にこれは表現したい』と、ほとんど命懸けで映画を作る人たちがいた。私たちが世界に対して目を開かれたように、皆さんにも目を開いてもらいたいと思った」と語ります。

岩波ホールに44年間勤め、宣伝や企画などを担当した、はらだたけひでさんは、その作品選びには強い思いが込められていたと語ります。はらださんは「国の人々の思い・歴史・文化といったいろいろなものを1本の映画は背負っている。それらの思いを真正面から受け止め、日本で紹介する責任の重さを感じながら、どういうふうに日本で工夫して紹介したらいいのか、そういうことを繰り返してきたつもり」といいます。

"世界各国の名作を届けたい”という強い思いで運営を続けてきた岩波ホールですが、この数年は逆境に立たされていました。新型コロナの影響による休館に加え、昔からのファンも高齢になり、劇場に来ることを控えるようになってしまったといいます。

閉館の決定を受けて、はらださんは改めてこの劇場が好きだということを気付かされたと話します。そして、幕引きまで残りおよそ5カ月となる中、岩波支配人は「最後まで素晴らしい映画を届けたい」と話しています。

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