時を超えてリバイバルヒットの兆し! "稀代のディーバ" 江利チエミ、没後40年の節目に待望のサブスクリプション、海外配信がスタート!

近年続くシティポップを先頭にした70~80年代邦楽ブームは、松原みき「真夜中のドア」、竹内まりや「プラスティック・ラブ」、などを始めとする楽曲がグローバルチャートで上位を獲得し世界的なヒットになるなど、過熱する一方だ。 そんな中、シティーポップムーブメントに続くか!? と期待されているアーティストがいる。それは“稀代のディーバ”、江利チエミ。戦後の動乱期に華々しく登場し魂の歌声で観客を魅了し続けた一方、自身は苦難の人生を歩み45年という短い生涯を駆け抜けた伝説の歌手だ。 現在ヨーロッパを中心に江利作品のDL数が急増するなど注目が高まっており、ブームを予見するような興味深い動きが続いており、先述のシティポップ同様に逆輸入のリバイバルヒットが期待されている。 そんな中、彼女の没後40年の節目に待望のサブスクリプション解禁と海外配信がスタートした。 雑誌等でも特集が組まれるなどリバイバルヒットの兆しが見える中のタイムリーな解禁に、益々期待が膨らんでいる。 江利チエミは昭和27年、戦後GHQの占領が終わろうかという頃に今もなお愛される名曲「テネシーワルツ」でデビュー。40万枚を超えるヒットを記録しその後もヒットを連発、瞬く間に国民的歌手になり、あの美空ひばりも認める歌手に成長していった。 また卓越した音楽性でラテン、キューバン、民謡、歌謡曲、演歌、ジャズ、ゴスペルなど様々なジャンルを自由に行き来し、日本全国の有名民謡とラテンジャズを融合させるなど、エキゾチックかつ洗練されたアレンジで今もなお色褪せない名曲群を誕生させた。 流行中のシティポップもアメリカのR&B・ソウル・AORなどの影響を受けて発展していったが、江利チエミこそその元祖といえる存在の一人だろう。 今回の初解禁曲の中には隠れた名曲も数多くあり、一例として1971年リリース、「旅立つ朝(あした)」を紹介したい。 村井邦彦作曲。編曲はサイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」ストリングスアレンジで知られるジミー・ハスケル。ドラムにはあの山下達郎が「最も尊敬するドラマー」と評するハル・ブレインなどの他、このレコーディングのために集められた今となっては貴重な有名プレイヤーたちが出会い誕生した珠玉の傑作。この楽曲は当時「ニュー・ゴスペル・ロック」のキャッチで売り出された江利作品の中でもポップス色が強い作品で、超一流の参加ミュージシャンが織りなす浮遊感のあるサウンドと、デビュー20年を迎え風格すら漂いながらも自然体でオリエンタルな江利の歌唱とが絶妙に絡み合っている。全体的には明るくポップなソフトロックの雰囲気だが、ポップさの中に共存するドープさが見え隠れする江利渾身の一曲。 この楽曲を含めた珠玉の楽曲がお手軽に聴けるようになったこの機会に、年月を経ても色あせない江利チエミの世界を全リスナーに体感していただきたい。

2月13日(日)配信 江利チエミアルバム3タイトル

『テネシー・ワルツ~江利チエミ ベスト・ポップス~』、『黒髪』、『チエミ・オリジナル』 ※詳細はこちら。

江利チエミ プロフィール

東京都台東区生まれ(1937年1月11日〜1982年2月13日、享年45歳)。12歳から進駐軍のキャンプを回る歌手としてキャリアをスタートし、1952年、15歳で「テネシーワルツ / 家へおいでよ」でレコードデビューすると、美空ひばり、雪村いづみらと共に“3人娘”の一人として一世を風靡。史上初めて歌手兼司会として紅白歌合戦に出場。当時の連続出場最多記録かつ史上最多出場記録(16回)も記録し、司会をつとめた第14回紅白の歴代最高視聴率81.4%は現在に至るまで破られていない。また、女優として約50本の映画に出演し、TVドラマ『サザエさん』は代表作となった。プライベートでは俳優の高倉健と結婚するが、1971年に離婚。1982年2月13日逝去。

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