“新人特別賞”を生んだライバル物語 ドラ1の両投手を引き寄せた「運命」

近鉄、巨人、横浜で活躍した阿波野秀幸氏【写真:小林靖】

1987年、阿波野秀幸氏と西崎幸広氏の活躍でリーグ会長特別賞を新設

昨年のセ・リーグは新人選手の当たり年だった。記者投票の末、最終的には広島の栗林良吏投手が最優秀新人に選ばれたが、同等の成績を残したと見なされる選手に与えられる新人特別賞にはDeNAの牧秀悟内野手、ヤクルトの奥川恭伸投手、阪神からは佐藤輝明外野手、中野拓夢内野手、伊藤将司投手の計5選手が輝いた。

パ・リーグを見ても最優秀新人のオリックス・宮城大弥投手に加え、日本ハムの伊藤大海投手が新人特別賞を受賞。両リーグ合わせて6人に新人特別賞が授与されたのは過去最多でもあった。

かつてはリーグ会長特別賞という名称だった“新人特別賞”が誕生したのは1987年のこと。近鉄にドラフト1位入団した左腕・阿波野秀幸と、日本ハムにドラフト1位入団した右腕・西崎幸広の両投手が大車輪の活躍。阿波野が32試合に投げて22完投(3完封)、15勝12敗、防御率2.88とすると、西崎は30試合に投げて16完投(4完封)、15勝7敗、防御率2.89と甲乙つけがたい成績を残し、投票権を持つ記者たちを悩ませた。

結局、投球回(阿波野249回2/3、西崎221回1/3)と奪三振数(阿波野201、西崎176)で上回った阿波野が最優秀新人に選出されたが、西崎の成績も表彰に値するものとリーグ会長特別賞を新設、授与された。

文字通りの“好敵手”としてしのぎを削った2人だが、初めて知り合ったのは1986年、第15回日米大学野球選手権に向けての大学代表選考会だったという。

「あの年の大学代表には、ニシ(西崎)の他にも石井丈裕(元西武)、猪俣隆(元阪神)、あとは西岡(剛・元ヤクルト)もいて、プロに入ったらいいライバル関係になるんじゃないかと思っていました」

そう振り返るのは、昨季まで中日で投手コーチを務めていた阿波野氏だ。「ニシ以外はみんな体格もいいし、プロでも活躍しそうだなっていうボールを投げていたんですよ」と言葉を続ける。

「でも、僕とニシは体の線が細くて、右左の違いはあるけど、なんとなく同じような体の使い方をしていて似ているなと。遠征先で一緒に出掛けたこともありました。4年生の秋、僕たち亜細亜大は東都で優勝できなかったけど、ニシの愛知工業大は愛知大学リーグで優勝して明治神宮大会に出た。僕は引退していたので応援に行って、ロッカーをのぞき込んで手を振ったら『お、入ってこいよ!』って言うんです。僕らの大学だと試合前のロッカーなんてピリピリ感が強烈で、部外者なんて入れるもんじゃないのに『かまへん』って(笑)。結局優勝するんですけど、強くてもこんなに伸び伸び楽しそうに野球をしているチームがあるんだって驚きましたね」

通算50勝を挙げた日と4年目を終えた通算勝利数は全く同じ

こんな和やかなやりとりをする2人が、その翌年には新人王争いで日本を沸かせるなんて、当人同士も想像していなかっただろう。互いにドラフト1位指名され、大きな期待を背負いながらキャンプを過ごし、先発ローテーションの一角として開幕を迎えた。初めて経験するプロの世界。任せられた先発マウンドでチームを勝利に導くべく、必死に腕を振り続けた。

「無我夢中でやっている1年目でもニュースや新聞は見ますから、ニシが夏場にかけて調子を上げてくるのが分かるんですよ。やっぱり力を出してきたなと思ううちに、2人の成績が拮抗してきた。入団して3、4年目までは『投げ合いたい』と思う、本当にいい存在でいてくれました。ただ、初めて投げ合ったのも確か3年目。理由はお互いの監督に聞かないと分かりません(笑)。当時は予告先発がなかったので、いつ投げるのか、そこをよく取材されました」

成長や好成績の原動力としてライバルの存在が挙がることは多いが、阿波野氏にとって西崎氏は向上心を掻き立てられる存在だったのだろうか。阿波野氏は「間違いないですね」と力強く言い切る。

「お互いにそういう存在でいたいなという気持ちはありました。どちらかが結果が出なくて2軍にいるというのではなく、1軍でしっかり競い合いたいなって。それはおそらく、大学代表の頃からの流れだと思います。アメリカ遠征は一緒に練習しましたし、何か通じるものがあったんでしょうね」

デッドヒートを繰り広げたルーキーイヤーばかりか、その後も2人は通算50勝を同じ1990年5月20日に飾ったり、デビューから4年目までの通算成績が同じ58勝だったり、不思議と重なる部分が多かった。

「運命を感じますね。1998年の日本シリーズ、僕は巨人から横浜へ、ニシは日本ハムから西武へ移籍した年で、両チームが日本シリーズで対戦するわけです。この時、ニシはクローザーで僕はセットアッパー。ルーキーの時とは立場も役割も全然違うけど、同じ第3戦に登板する。なんだか面白いなって思いましたよ」

互いの野球人生にさらなる深みを与えてくれたライバルの存在。運命が引き寄せた2人の出会いが野球の歴史をも変えたのだから、まさに事実は小説よりも奇なり、なのかもしれない。(佐藤直子 / Naoko Sato)

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