畳縁(たたみべり)を知っていますか?
畳縁とは、畳の両端の縁(ふち)についている布。
倉敷市に、畳縁の生産量日本一の会社があります。
それが、明治25年に創業した髙田織物(たかたおりもの)株式会社。
日本の伝統的な建材である畳を支える存在でありながら、常に挑戦を続け、世間からの注目度が高まっている会社なのです。
道なき道を切り開いていく、髙田織物を取材しました。
畳縁とは?
畳縁とは、畳の両端についている織物です。
機能的に、畳縁には主に3つの役割があります。
1つ目は、畳の部材をひとつにすること。
畳は、稲藁(いなわら)などで作られる畳の芯である「畳床(たたみどこ)」に、い草を編んだ「畳表(たたみおもて)」をかぶせ、長辺に「畳縁」を縫い付けて作られます。
2つ目は、痛みを防止し保護すること。
畳は使っているうちに、畳表の角の部分からほころび傷んできます。
ささくれを防いでくれるのが、畳縁です。
畳縁のある畳は、縁無しの畳より、長持ちするのです。
3つ目は、畳と畳の隙間をしめること。
お部屋に畳を敷き詰めるときに隙間を微調整してキュッとしめ、隙間に埃が溜まりにくくなります。
機能的な役割だけではありません。部屋の装飾としての大きな役割も果たしています。
畳縁が変わると、部屋の雰囲気が大きく変わるのです。
畳縁の歴史
畳縁はいつからあるのでしょう?
奈良時代から現代まで
現存する最古の畳は、奈良の正倉院に保管されたもの。
奈良時代に、聖武天皇がベッドのように使用していたと考えられています。
この畳にも、縁が使われているのです。
しばらくの間、畳の縁には、広幅の生地を裁断してあてがっていました。
今のように細幅の織物を使うようになったのは、明治時代の終わりごろ。
畳が一般的になってきたことから、畳専用の布として細幅の畳縁が作られるようになりました。
昔は綿糸で作られていましたが、現在は、ポリエチレン糸などの化繊や艶つけ加工を施した綿糸などを組み合わせ織られています。
岡山と畳縁
岡山で畳縁が作られるようになったのは、大正10年頃。
関東大震災(大正12年)から復興していく過程において、「岡山の畳縁は品質が良い」と評判が広がっていったそうです。
昭和の戦後復興でも需要が高く、岡山の畳縁は全国で使われました。
2022年現在、畳縁の8割を岡山県で生産しています。
そしてその約半数である全国シェア4割が、髙田織物製なのです。
なお、畳表の原料となるい草も、明治時代から昭和初期にかけて岡山が生産量日本一でした。
筆者は「い草栽培が盛んだから畳縁も盛んになったのだろう」と考えていましたが、実は関係ないそう。
干拓地である倉敷では土壌に塩分が多く稲を育てるのが難しかったため、江戸時代から綿花とい草が栽培されていました。
綿花の紡績が発展し、繊維産業のひとつとして畳縁の生産につながっています。
結果として、たまたま畳に関するい草も畳縁も岡山が産地になったようです。
髙田織物の歴史
髙田織物(たかたおりもの)は、明治25年に織物会社として創業しました。
はじめは、呉服や茶道具に使う真田紐(さなだひも)や帯地などを作っていたそうです。
明治から大正になるころ、人々の装いが変わり、これまで製造していた商品の需要が減ってきます。
昭和初期、地域の人の助言も受け、織物の設備や原材料を活かせる事業として始めたのが、畳縁製造でした。
昭和30年代後半に、髙田織物は業界で初めて、柄の入った畳縁を開発します。
髙田織物は畳縁の認知拡大・価値拡大に努め、2014年に直営店「FLAT」を開店しました。
現在は約1,000種類の畳縁を製造・販売しています。
多様な取り組みや畳縁への思いを、後半のインタビューでたっぷり紹介しますね。
直営店 FLAT
2022年現在、髙田織物は以下の2店舗を運営しています。
たくさんの畳縁を見る機会は貴重ではないでしょうか。
FLATには、カラフルで多様な畳縁が並んでいます!
筆者は初めてFLATを訪れたとき、ビビットな色やモダンな柄のものなどの畳縁を目にして、「こんな畳縁があるなんて!」と驚きました。
ポーチ・カード入れ・ご祝儀袋・ヘアアクセサリーなど、畳縁を使った小物もたくさん。
ハンドメイド素材としても、購入できます。
自分好みの小物を作るのも楽しそうですね。
古くから日本に根づいた、サステナブルな畳
近年は、琉球畳などの畳縁を使わない畳が増えてきました。
縁のない畳は見た目がすっきりしますが、畳が痛みやすく、高価で、畳床が薄く踏みごたえが硬いものが多いそうです。
また、寿命も短いのだとか。
髙田織物株式会社・代表取締役の髙田さんは、「日本では元々、自然の中にあるものを取り入れて、四季の中で呼吸をするような家を作ってきた」と言います。
1,000年以上前から使われてきた昔ながらの畳は、い草を織って畳表を作り、藁(わら)を圧縮して畳床にしていました。
畳縁を使って畳表と畳床を縫い合わせて作った畳は、糸を切るだけで簡単に畳表をはがせます。
そのため、畳表が傷んできたらはがして裏返し、裏側もしっかり使い、使い終わったらい草を土に返してきました。
畳の芯である畳床は、補修をすれば何十年も使えるそう。
畳表と畳縁だけ新しいものに替える「表替え(おもてがえ)」もできるので、さらに資源を有効活用できるのです。
しかし、畳縁を使わない畳の中には、畳表と畳床を糊でつけているものも多くあります。
はがせないため、畳表の表面が傷んだらすべて捨てるしかありません。
部材を縫い合わせて使う縁のある畳は、資源を有効に使える、環境にやさしい建材といえるでしょう。
限りある資源、まだ使えるのに捨てざるを得ないのはもったいない、と筆者は思います。
明治25年の創業から現代に至るまで、どのような思いで畳縁を作っているのでしょうか。
髙田織物株式会社の代表取締役、髙田尚志(たかた なおし)さんに話を聞きました。
インタビュー
「黒か茶色の無地」から、多彩な畳縁に
──髙田織物さんが、初めに柄のある畳縁を作ったと聞きました。
髙田(敬称略)──
畳縁のメーカーは、多いときには100社ぐらいありました。
けれど100社がみなずっと、「黒と茶色の綿素材で無地の畳縁」ばかり作っている時代がけっこう長かったんですね。
それでは安さだけを求められるようになるので、他社との差別化を図っていきたいと考えました。
昭和30年代後半に、髙田織物が畳業界で初めて、柄の入った畳縁を開発したんです。
ただの副資材から、付加価値商品に。
畳縁を、「意匠性を持ったお部屋の雰囲気を左右するもの」というポジションに変えていきたいなと。
しだいに、他の会社も同じように柄物を作るようになりました。
「こんな畳縁だったら、もう少しお金を払ってでも使いたいな」と思っていただける、デザイン性のあるものになってきたのが、今の畳縁の位置づけだと思っています。
──なぜ昔は、黒と茶色の無地の畳縁ばかりだったのでしょうか?
髙田──
畳職人さんが「黒と茶色だけで十分」と考えていたのだと思います。
商品を開発して畳屋さんに見本帳をお届けしても、畳屋さんが「そんなのは使えないでしょう」と、畳を実際に選んで使う人であるエンドユーザーには見せない。
だから認知されませんでした。
──作っても世の中に届かなかったのですね。
髙田──
そうですね。
モノを作る方針には、2通りあると思うんです。
ひとつは、自分たちが作りたいから作る、業界の価値観を変えていくため、挑戦していくための商品。
もうひとつは、お客様のご要望に合わせる、マーケティングによる商品。
畳縁は、そもそもお客様の要望がまったくなかったんですよね。
今でも、畳縁が選べることを知ってるかたはそんなに多くはありません。
畳の価格の決め手になるのは畳表と畳床。
「畳縁は安いに越したことはない」という感覚があります。
けれど、こだわって作った高価格帯の畳縁がまったく受け入れられないかというと、ゼロではありません。
お客様から良い反応をいただけますし、少なからず使っていただけます。
なので、プロモーションのしかたを変えました。
畳屋さんが見本帳を見せにくいのであれば、その先の人に直接見ていただこうと。
展示会に出て行き、設計事務所とか工務店さんとかインテリアコーディネーターさんにも見本帳を直接ダイレクトメールで送ったんです。
すると「こんな畳縁があるんだ、素敵だ」と、少しずつ認知が高まって。
うちの畳縁を指名で使っていただけるようにもなってきました。
畳屋さんにも喜ばれるために。直営店FLAT
──順調に拡大していったのでしょうか?
髙田──
畳屋さんから「新しい商品を作るのをやめてくれ」と大きな反発もありました。
畳業界の商習慣で、オーソドックスな畳縁は10畳分である1反が最小注文単位です。
珍しい畳縁を使うとなると、送料や手数料もかかるし、1軒で6畳だけ使う場合は1反注文すれば4畳分余ってしまいます。
また、「畳1畳いくら」という売りかたをしていて、畳縁が変わっても畳の売値は変わらなかったんですね。
すると、仕入れる畳縁の価格が上がれば、畳屋さんの利益が減ってしまいます。
畳屋さんにとっては、良い畳縁を勧めた結果、お客様は喜んでいるけれど自分は損してるっていう図式になり、困ってしまう。
それもこれも、当時は畳縁が、お客様に満足してもらうための付加価値商材、利益が取れる商品の位置づけではなかったからです。
「エンドユーザーが喜んでくれるならいいじゃん」という見かたもあるかもしれません。
けれど、協力者である畳屋さんがきちんとお代をいただけるようにしなくてはいけないと思いました。
それでエンドユーザーに畳縁を見てもらえる直営店「FLAT」を作ったんです。
エンドユーザーに畳縁との接点を
──直営店は、畳屋さんのことを考えてのものでもあるのですね。
髙田──
エンドユーザーにとって、畳を新しくする機会は数えるほどしかありません。
一般的には、5年で畳表を裏返し、裏側をもう5年使って合計10年くらいで畳表の寿命を全うします。
家1軒につき6畳1間で一生のうちに3回畳を変えたとしても、一生で18畳のお付き合い。
これだけでは、いつまでたっても畳縁の認知が進むはずがありません。
また、どんなにお客様が喜んでくれる価値が高い畳縁を作ったとしても、畳屋さんが「お客様に見せよう」と思ってくれないと、私たちも気持ちよく作れません。
それまで畳縁は「畳について初めて価値があるもの」だったけれど、畳縁そのものが素材としてだけでも価値を持つような提案ができないかな、と思いました。
もし「畳縁はこれくらいの単価の織物なんだ」って認識が広がれば、畳屋さんもお客さまに畳縁を見ていただきやすくなるんじゃないかと思ったんです。
素材としての畳縁の可能性
──FLATでは、さまざまな形で使われている畳縁を見られます。
髙田──
昔から用途開発には関心があり、ギフトショーなどの展示会にも出展してきました。
畳縁は、アイロンはかけられないけれど折り目はつきやすい。洗濯はできなくても、水が染み込みにくい糸で織っている。
足元で使うものなので、耐久性はある。
小物など、洗濯を必要としない用途だったら使えます。
ただ、幅が80ミリメートルしかない畳縁で何を作るかのアイデアは、みなさんの中であまりなかったので、それはネックでした。
髙田織物のある児島地域は、繊維の街。シニアを中心に、ミシンを踏む仕事に就いていたかたが多くいらっしゃいます。
地域のかたがたに畳縁を使ったハンドメイドコンテストを開催すると、ものすごい作品がきたんですね。
手芸の先生がたにも作品を作ってもらったり、手芸向けの出版社さんとタイアップして畳縁を使ったハンドメイドBOOKを何巻も出版したりもしました。
また、それまで、畳に使えない2メートル未満の畳縁は、捨てるしかありませんでした。
しかし2メートル未満の畳縁でも、素材としてお店に置けばお客様は関心を持ってくれます。
──ハンドメイド素材としては、充分使える長さですね。
髙田──
そのうち、「こんなにかわいい畳縁があるんだったら、家の畳縁もこれにすればよかった」ってかたや、家の畳に使う畳縁を見るためにFLATを訪れるかたも増えました。
認知が進めば家で使おうって人も増えますし、素材として使ってみようっていう人も増えますし。
さまざまな角度から、畳縁の価値と認知の向上を図っています。
ポップカルチャーを作っていく
髙田──
畳は日本の文化に深く根付いていて、トレンドや流行り廃りではなく、ある程度普遍的なものです。
いいものだから続いてきていると自覚もしています。
私たちは、伝統文化を守るというよりも「ポップカルチャーを作っていく」という視点で事業を行なっているんです。
畳を「かわいいから欲しい」とか「好きだから使ってみたい」とか、そんな存在にするためにひとつの価値を与えられるものが、畳縁なんじゃないかなと思っています。
動物柄の畳縁にして幼稚園に納めると子どもたちはめちゃくちゃ喜びますし、中華料理屋さん向けの畳縁とか、いろいろあるんですよね。
昔は、畳縁を選ぶことは一般的ではありませんでした。
でも、今の職人さんや設計士さんにとっては、畳縁は選ぶのが当たり前になってきています。
そうなると既存品では足りないってかたも出てきて、特別注文のマーケットも急拡大しています。
コラボなどの取り組み、何を作るかよりもどう作るか
──『鬼滅の刃』の商品も作られていますね。
髙田──
畳縁と、置き畳を販売しています。
この畳縁の柄だからこそ、キャラクターを彷彿とさせる置き畳になる。
畳縁の意匠性がもたらす価値、「畳縁があることが価値」という考えかたを広めていきたいと思い、タイアップをさせていただきました。
作品人気はあんまり狙ってなくて、ただ自分が好きで作りたかったから作っただけだったんですけど。相当反響いただいたので、ラッキーだったなと思っています。
──障がいのあるクリエイターとデザイナーと企業がチームとなり商品を制作していく「デザイン・ゴールズ」に参加されたのは、なぜでしょう?
髙田──
商品開発の流れに関心がありました。それぞれの得意分野を活かして面白いものができるんじゃないかなと。
クリエイターに障がいがあるからではなく、デザインとして素晴らしいから使っています。
うちはお客さんに喜んでもらって商品が動くし、クリエイターには、作品を使用する対価(ロイヤリティー)が入る。良いものを作るのがいいことかなと思いました。
何を作るかも大切なんですけれど、「どう作るか」をより大切にしています。
たとえば、仕入先さんとの関係だったりとか、社員さんの就業環境とか。
働きやすさは、地方でものづくりをしていくうえでは欠かせない要素だと思っているので。
地域との関わりと認知の拡大
──地域との関わりは変わってきましたか?
髙田──
髙田織物は、社会活動を熱心にやっています。会長も、長らく児島商工会議所の会頭をしていました。
とはいえ、私が大学を卒業して倉敷に戻ってきた2004年には、畳縁のことは誰も知らなかったんです。
行政も地域の人も、岡山県も倉敷市も児島の人でさえも、ほとんど認知していませんでした。
東京にあるアンテナショップ「とっとり・おかやま新橋館」がオープンした2014年にも、取扱商品の選定で畳縁は選考から漏れたんです。
岡山県として畳縁が県の産業という認識があまりなく、相当悔しい思いをしたんですね。
なんとか食い下がって、小さな販売スペースを確保した結果、売上もあり固定客もついて、今ではアンテナショップ内で売れている商品ナンバーワンになっています。
そうなると、県の関係者や都心のバイヤーさんの目にも留まりますし、そこから始まったお付き合いもたくさんありました。
今では、岡山県のPR用冊子の表紙デザインが畳縁になるほど、特産品としてフィーチャーされています。
──取り組みが実って、認知が変わってきたのですね。
髙田──
伝統のアップグレードというか、必ずしも常識を常としないというか。
私は六代目なんですけれども、六代目として創業するくらいのつもりでやっています。
児島の産業は、栄枯盛衰の歴史の繰り返しです。
児島は足袋の生産から始まり、足袋を使わなくなるとその技術を使い詰襟を作って、学生服になって、少子化の影響で学生服も少なくなると、ワーキングウェアやデニムに変わっていって。
デニムも海外の安い商品の台頭でどんどん厳しくなったけれど、それぞれにブランドを作り世界に打って出ています。
畳縁の未来
髙田──
畳縁も歴史としては長いんですけれども、今は過渡期だと思っています。
畳も持ち家の比率も少なくなり、縁のない琉球畳が増えてきている。
それでも畳を作る大義って何なんだろう? あるいは畳縁以外でも、我々が細幅の織物を織る技術を使ってどう世の中の役に立てるのか? という視点を常に持っているつもりです。
やっぱり柔軟でなければいけないし、チャンスに気づいて行動に移せるかが大切。
大手の企業さんみたいに予算が潤沢にあるわけではない分、インパクトを残して効果を極めていく必要があります。
今は、畳の一部ではなくて畳縁として独自の取り組みをすることが増えてきています。
その取り組みによって、結果として畳に帰ってきてくれるのであれば二重丸ですね。
──会社の姿勢として、新しいことにチャレンジをしていこうという考えがありますか?
髙田──
ありますね。
産前産後休業・育児休業を取る社員も多いんですけど、彼/彼女らが戻ってきたときに、浦島太郎状態になるような変化があってほしいと思っています。
モノを作るときに大切にしてることは、びっくりさせるとか面白いとか、そういう視点です。
「伝統産業なのにこんなのが生まれてきた」と思えるモノを、あえて意識して作っています。
そういったモノづくりがないと楽しくないよね、と思っていますね。
──今後の夢や目標はなんですか?
髙田──
2025年までに、国民の10人に1人が「畳縁って知っていますか?」って聞かれたときに、「黒とかのやつですよね」じゃなくって「最近いろいろありますよね」とか、「いろいろな使いかたしますよね」とか答えるようなところまで、認知を獲得することです。
今はコロナ禍で厳しい世の中ですけれど、2022年の2月にフランスの展示会出展も予定していました。中国とか台湾とか海外向けの展開も考えています。
黙ってて売れる素材ではないので、どうやって畳縁を伝えていけるかが課題ですね。
畳縁のことを知ると、楽しい
生活のなかで畳縁を意識することは、少ないかもしれません。
しかし、畳縁は、きっと想像以上に多彩で楽しい世界。
筆者は数年前から、FLATのおかげで「畳縁って面白いなあ」と感じています。
そして取材を通じて、髙田織物さんの志や取り組みにとても感銘を受けました。
好みのインテリアにできたり、気分を変えたり、新しい素材として出会えたり。
80ミリメートルの織物がもたらす可能性に、期待しています。
多様な畳縁の世界を、覗いてみてください。