【日曜論説】「ごみ」を考える 論説委員・高見公子

資本主義からの「卒業」

 1981~2002年に放送された「北の国から」は圧倒的な存在感を示したテレビドラマだった。古里北海道に戻ってごみ収集の仕事に就いた、吉岡秀隆さん演じる純が「ごみ」から見える世相を捉えたシーンがいくつかある。

 1998年の「時代」編では、「流行の最先端だった電化製品が出され始めた」「使えなくなったから捨てられるのではなく、時代に遅れたから放り出されるという哀れな品々…」と伝えた。ごみは時代を映し、人の生き方や暮らしぶり、地域柄まであぶり出す。

 県内の家庭から出されるごみは40万トン前後。県民1人1日当たりだと671グラム(2019年度、生活系ごみ)で全国平均を上回る。

 日本の温暖化対策は国際的に周回遅れだが、それでも人々の環境意識は近年ぐんと高まった。環境教育が進み、グレタ・トゥンベリさんら若い世代の訴えに触れる機会が増えたためだろうか。

 記者自身、年初の目標を徹底的なごみ減量と決めた。物を買わない、生ごみの堆肥化などあらゆる方法を試すが、プラスチック類の包装がなかなか手ごわい。

 時を同じくプラ対策として、自家菜園の品種を増やし自給率を上げた知人女性がいる。その効果は家計に優しい、食材に愛着が生まれる。加えて「購買欲が下がり、どっぷり漬かっていたお金中心の生活から抜け出せた」。次世代のためにと一人で始めた行動は、貨幣経済からの卒業という思いがけないプレゼントをくれたという。

 話題の経済思想学者斎藤幸平さんは、地球を救うには、経済成長に貪欲な資本主義からの根本的な転換が必要だと「脱成長」を訴える。エコバッグもマイボトルも、さらには企業や政府がSDGs(持続可能な開発目標)の行動指針をなぞることも現実逃避であり、現代版「大衆のアヘン」であると言って衝撃を与えた。

 地球温暖化対策は表面的な行動変容のみで太刀打ちできるような簡単な問題ではなく、経済成長の罠(わな)から離脱しない限り実現できないという警告だ。知人女性の「卒業」実践も、その一つとして大きな意味がある。

 既存の経済システムの変換というと大仰だが、実は各人の行動の積み重ねが変革を促すものだ。資本主義の恩恵を被ってきた先進国の人々が「卒業」に向けたさまざまな事例やヒントを共有し、価値観と生活を変えるときだろう。

 県内でごみ収集に携わる友人が言う。「人は、人畜無害では生きられない」。図らずとも周囲の人間関係や地球環境に影響を及ぼす人間という存在。環境危機は「身の丈を知り謙虚に生きよ」という伝言に思えてならない。地球のために起こす行動の原点にしたい。

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