『メルセデス・ベンツCLK-GTR』128日間で作り上げられたGT1スペシャルモデル【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、『メルセデス・ベンツCLK-GTR』です。

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 ポルシェ962Cを“GTカー”へと仕立てたダウアー962LMが1994年に、1995年にはマクラーレンF1 GTRがル・マン24時間レースを制し、スポーツカーレースの主流がグループCカーからGT1と呼ばれるGTカーに移行していった1990年代中盤。

 この“GT1の時代”の1996年、ポルシェ911(993型)のスチールボディを流用しながらも大きくモディファイしたGT1規定合致のレーシングカー『ポルシェ911GT1』が登場すると、戦いの流れは一気に過激化していった。

 そんな時代の最中、ポルシェ911 GT1がデビューした翌年の1997年、FIA-GT選手権に投入されたメルセデス・ベンツのGT1マシンが、今回紹介する『メルセデス・ベンツCLK-GTR』だ。

 メルセデスはGT1に参入する直前の1996年まで、ドイツ・ツーリングカー選手権(DTM)が国際選手権化した国際ツーリングカー選手権(ITC)を主戦場としていた。

 しかし、ITCは1996年限りで消滅。戦うフィールドを失ったメルセデスは、1997年にBPR GTグローバルシリーズがFIA選手権化(FIA GT選手権)することに着目し、急遽専用車両の開発を決定したのだった。

 ただ、計画の決定が1997年のFIA GT選手権の開幕4カ月前のことだったため、新しいマシンの開発は急ピッチで行われることとなる。

 搭載するエンジンは、V型8気筒ターボのM119というグループCカー用をコンバートする方法もあったが、ホモロゲーション用のロードカーを生産することにも考慮された。

 最終的に重量が重くサイズが大きいという難点はあったが、600ps級のパワーを発揮する6.0リッターV型12気筒のM120が選択された。シャシーは、エンジン重量のデメリットを少しでも補うため、カーボンコンポジット構造のモノコックを採用した。

 先にデビューしていたポルシェ911 GT1が量産ボディを流用していたことを考えると、このレース専用カーボンモノコックは、かなりのアドバンテージとなったことだろう。ボディカウルは空力を考慮して、マクラーレンF1 GTRを購入し、テストを重ねながら形状を決定した。

 市販車であるメルセデス・ベンツCLKからフロントグリル、前後ライトなどを流用して、市販車のイメージを与えるという条件もクリアしつつ、ローフォルムなスペシャルGT1マシンを、わずか128日間という短期間で作り上げたのだった。

 ちなみに、このメルセデス・ベンツCLK-GTRのロードカー。1997年のFIA GT選手権は、ル・マン同様1台のホモロゲーションモデルがあれば参戦することができたのだが、メルセデス・ベンツCLK-GTRは、旧規定をちゃんと満たす台数を1998年~1999年に生産した。生産台数はプロトタイプを除き、ロードスターモデルも加えて26台だったとされる。

 メルセデス・ベンツCLK-GTRは前述の通り急造だったため、開幕戦ホッケンハイムでは、ギリギリのところで組み上がったという段階だったが、それでもポールポジションを獲得する。

 しかし決勝では1台がブレーキトラブルでリタイア、もう1台もギヤボックスのトラブルに悩まされて、なんとか完走を果たすという結果に終わった。

 その後、初期トラブルを徐々に克服していったメルセデス・ベンツCLK-GTRは目覚ましい活躍を見せ、シリーズ11戦中6勝をマーク。チームチャンピオンおよびドライバーズチャンピオン(ベルント・シュナイダー)の両タイトルを獲得するに至ったのだった。

 そして、このメルセデス・ベンツCLK-GTRの登場以後、GT1はさらにGTカーとは名ばかりのスペシャルマシンたちによる戦いへと発展していくのであった。

車両の左右に男女のモデルイメージを配するCLKスポーツウェアのカラーリングが話題となった12号車。1997年、鈴鹿1000kmではクラウス・ルドビク/ベルント・マイレンダーがステアリングを握り、ポールポジションを獲得した。
1998年、CLK-LMが登場してからも走り続けたCLK-GTR。この年のCLK-GTRはブルーを基調としたOriginal-Teile(純正部品)カラーになっている。

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