【在宅医・佐々木淳】あの事件に思うこと

 在宅医が猟銃で殺害されるという事件から3週間。
在宅医療や介護の現場では、要介護高齢者やその家族によるセクハラ・パワハラなどは日常的だ。もしかしたら自分だったかもしれない・・そんな思いを抱いた専門職も少なくないのではないか。

 在宅診療を受けてきた92歳の母親。容疑者である主介護者の66歳の息子は、老衰の母親に対し経管栄養をするよう医師に要望、主治医がそれに応えないことに対し、医師会などにたびたび苦情を伝えていたという。在宅での死亡診断の翌日、主治医を自宅に呼び出し心肺蘇生を要求、それを拒んだ医師に対し発砲したとされる。

 事の真相は当事者にしかわからない。しかし、この事件から何を学ぶべきか、一人の在宅医として考えてみたいと思う。

 在宅医療の現場で、本人や家族の怒りに向き合うことは少なくない。期待していた人生を病気に奪われる。そのことを受容するのは容易ではない。自分や家族の生命に関わる悪いニュースを聞かされたとき、最初は誰もがその事実を認めようとしない。

 しかし認めざるを得ない状況となると、否定が怒りに変わることがある。「なぜ自分の家族だけがこんな目に!」 医療介護専門職は患者や家族からそんな感情がぶつけられることが少なくない。

 その後、「あの医者が末期だというのは誤診ではないか」「実は治療法は他にあるのではないか」と他の打開策を探ろうとする。高額な自由診療やサプリメントなどを試そうとする人もいる。しかし最終的には、いずれも自分の運命を変えるものではないことを突き付けられ、多くの人は落胆する。抑うつ的になり、適切な状況判断ができなくなる人もいる。中には自殺を試みようとする人もいる。

 これらの紆余曲折を経て、現実を受容し、「残された時間を前向きに生きよう」、「病気になって初めて命の大切さ、家族の大切さに気がついた」と、厳しい状況の中にも希望と感謝を見出すことができる人もいる。特に人生の最終段階の支援に関わる在宅ケアチームは、患者や家族が表出する「怒り」に対し、それが自分に向けられたものであったとしても、単にクレームとして処理することはしない。これは受容に至るプロセスであると考え、援助の対象として認識する。そして、自分たちの力で自らの支えに気づき、穏やかさを取り戻してもらえるよう、丁寧に対話を重ねていく。

 病院からの事前情報では困難事例とされていたものの、在宅療養に移行した後は大きな問題なく最期まで穏やかに支援が継続できた。そんな経験をしている在宅ケアチームも多いと思う。しかし中には、その怒りがその人固有の人格に起因するケースも存在する。思い通りにいかないと感情を抑制しようとしない。相手を支配しようとする。無理難題を要求する。それに丁寧に対応していると、徐々にエスカレートしていく。このようなケースも、もちろん支援の対象であることは間違いない。

 しかし、在宅ケアチームだけでそれを担うことはできない。本人に課題意識があるのであれば、専門的支援につなぐことができる。しかし、そうでない場合には、在宅ケアチームの関わりだけで、この家族を幸せにすることは決してできない。支援者側も疲弊し、最終的には不幸を増やしてしまう。

 在宅療養支援を中断しなければならないのは本当に心苦しいが、長い年月をかけて形成されてきた家族固有の価値観は外部からの介入では簡単には変えられない。状況によっては、被害者が出る前に撤退するしかない。

 その怒りが支援の対象なのか、それとも撤退すべき相手なのか。その見極めは容易ではない。実際に一定期間関わってみて、判断することになる。

 私もこれまでに2人、こちらから主治医を辞退した患者・家族がいる。撤退には勇気が必要だ。自身の専門職として力不足を正当化しているのではないか、そんなことを、関わりを終えた後も反芻し続けることになる。

 それでも、僕には診療を引き継いでくれる医師・在宅ケアチームがいた。そうでなければ、医療・ケアの中止により、患者を見殺しにすることになる。撤退はできなかったかもしれない。

 殺害された在宅医は、おそらくとても責任感の強い人だったのだと思う。もともと在宅医療資源が不足している地域、自分が撤退したら、他に誰も支援する人はいない。息子への対応は困難だが、患者である母親が不利益を被らないように努力しなければならない。そう考えたのではないだろうか。

 容疑者となった66歳の息子が、母親の死を受け入れることができなかったのは確かだ。もっと丁寧に対話を重ねていれば、経管栄養をもってしても母親の運命を大きく変えられないことを受け入れてもらえただろうか。あるいは、彼のリクエスト通りに経管栄養を導入していたら、母親の死を少し先送りすることはできたかもしれない。それで「やれることはやった」と納得ができただろうか。

 おそらく、経管栄養をしたとしても、しなかったとしても、彼が母親の運命を受け入れることはできなかったのではないかと思う。母親が亡くなり、本人は「この先いいことがないと思った、自殺をしようと思った」と述べている。数年前に転居してきた親子二人だけの世帯、地域住民とはほとんど交わりがなかった。彼にとっては母親がすべて、母親にとっても彼の存在がすべてだったのかもしれない。地域で孤立を深めていく中で、唯一の拠り所となっていた母親の存在は非常に大きかったと思う。

 母親が衰弱していく、死が近い、その状況を受容ができないままに母親が死亡し、怒りと落胆と抑うつがコントロールできなくなってしまったのかもしれない。彼自身も苦しんでいたことは間違いない。

危険な患者・利用者からはさっさと撤退すべき。
確かにその通りかもしれない。

 しかし、決して彼だけが特別なモンスターというわけではないだろう。「家族の主介護者」として以外の居場所や役割を持たず、地域から孤立している家庭は決して珍しくない。

 「8050問題」が地域の新しい課題として認識されて久しい。十分な地域社会の支援が得られないままに「9060問題」に、そして90と60のつながりが強制解除された結果が今回の事件だとするならば、それは単なるモンスターペイシェントの問題ではない。

 コロナ禍で増加する自殺も、経済的困窮というよりは孤立や孤独に起因するものが目立つ。この領域における政策的支援を急ぐべきだ。そして、この事件のもう1つの課題は、個人の犠牲に依存する地域医療の実態だ。

 殺害された鈴木純一医師は、この地域の在宅医療の大部分を担っていたとされる。特に困難ケースについては、鈴木医師以外はほとんど対応できなかったと聞いている。

 支援を担う専門職が、引継ぎ先を見つけることができずに、やむなく関わりを継続していることもある。専門職を「良心の呪縛」から解き放すためにも、地域ごとにこのような事例を引き継ぐ仕組みを作るべきではないだろうか。行政(地域包括支援センターなど)に精神科医や公認心理士、社会福祉士・精神保健福祉士、弁護士などによる地域リエゾンチームを配置するなど、具体的・実効的な対応を検討すべきと考える。

 地域の在宅医療の最後の砦として、一人の医師が24時間働き続ける。この事件が起こらなかったとしても、この地域における在宅医療提供体制は、いずれ維持が困難になっていたかもしれない。たくさんの地域医療機関があるにも関わらず、地域のニーズに応え切れていない。これはこちらの地域だけの課題ではない。在宅医療を含むかかりつけ医の機能不全も、このコロナ禍で顕在化している。

 誰もが納得できる人生を全うするために。この事件を通じて、在宅医療やケアの質だけでは解決できない大きな問題が存在することを改めて認識し、それにしっかりと向き合っていく必要があると思う。

佐々木 淳

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長 1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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