「しょうがいか(が)あります」弟を死に追い込んだ2枚のメモ 自治会相手に訴訟を起こした兄が判決を選んだ理由

自宅で男性の遺影に手を合わせる兄=2022年1月、大阪市

 2019年11月、大阪市の市営住宅の一室で精神障害を抱える男性=当時(36)=が自ら命を絶った。残されたのは、亡くなる前日、自治会の役員選出を巡って書いた「しょうがいか(が)あります」から始まる2枚のメモ。「弟はなぜ死を選ぶまで追い込まれたのか」。訴訟を起こした兄(42)への取材と、法廷での証言で浮かび上がったのは、障害を無理に告白させる行為が人の尊厳を著しく傷つけるとの感覚が住民らに欠如していたのではないか、との疑念だ。面倒で逃れたい自治会活動の過程で起きた悲劇を追った。(共同通信=助川尭史)

 ▽「班長できないなら自治会入れない」

 男性は3人兄弟の末っ子。幼い頃は4歳違いの長男の兄と近所の公園に出かけたり、スーパーファミコンで一緒に遊んだりした。高校卒業後、就職した会社を人間関係のトラブルを理由に退職して以来、家族以外の人と関わることを極端に恐れ、「誰かに悪口を言われている」と交友関係を一切絶って引きこもるようになった。統合失調症と診断を受け、障害者手帳(2級)を交付された。

 一時は再就職も考えたが、障害を明かして雇ってくれる会社はなかった。30歳になった13年、家族で今後を話し合い、両親も高齢になる中、男性は家を出て障害年金と生活保護を受けながら近所で1人暮らしをする結論を出した。「不安もありましたが、弟が自立する意思を尊重したかったんです」。兄は当時をそう振り返る。

 新生活を始めたのは実家から徒歩3分ほどの市営住宅だった。引っ越しを終え、自治会長にあいさつに行った時のことだ。兄が「弟は障害があり、住民との交流が必要な自治会活動はできない」と話すと、年配の男性会長はけげんな表情で「できないんやったら自治会には入れへんね」と突き放すように言った。

 

男性の氏名だけが削られた住戸配置図(モザイク処理しています)

 自治会に入れなかった男性はゴミ捨て場が使えず、居住者を示した住戸配置図からは氏名が削られ、回覧板も回ってこなかった。共益費も集金ルートから外され、年に1度、自ら役員の家のポストに入れていた。

 ▽「弟は村八分の状況に追い込まれた」

 家族以外との交流は、精神科への通院とケースワーカーとの面会だけだった。夕方になるとゴミ出しのため実家に戻り、家族とご飯を食べる日々。唯一の趣味はテレビのバラエティー番組を録画して見ることだった。

 男性は、障害があることを他人に明かすことも極端に嫌がった。気晴らしにと兄が映画に誘っても「障害者と思われたくないんや」と割引が適用される障害者手帳は見せず、必ず正規の料金で見た。「弟は村八分のような状況に追い込まれていました。障害者に対する世間の目を痛感してしまったのだと思います」

 市営住宅で暮らし始めて5年余りがたった19年11月18日。ドアポストに、共益費の徴収やゴミ捨て場の管理を担当する班長を決めるくじ引きを知らせる手紙が差し込まれた。「欠席される場合、万一くじが当たっても変更はできません」。末尾には参加を求める文言もあった。

 「自治会に入ってへんのに…」。夕食の席で男性は当惑した表情で、班長決めの手紙を差し出した。「なんかの間違いちゃう?」兄が言うと男性は静かにうなずいた。

男性の唯一の遺品となったDVDレコーダー。遺影とともに供えられている

 その週の日曜日、ふさぎ込んだ様子で食事にほとんど手を付けない男性に「何があったんや」と尋ねると「僕はさらし者にされるんや」と絞り出すように答えた。ひどく落ち込む弟の姿に「今日は泊まっていき」と声をかけるのが精いっぱいだったという兄。夕飯後、風呂から上がると男性の姿はなく、既に家路に着いていた。これが最後の兄弟の会話になった。

 ▽最後の発信履歴

 翌日、夕方になっても男性が実家に姿を見せず、電話もつながらない。胸騒ぎがして部屋を見に行くと、そこには事切れた弟の姿があった。残された携帯電話の最後の発信履歴には、福祉コーディネーターの女性の名前。「ここ数日、弟に何があったか聞かせてほしい」。兄の問いかけに女性は一部始終を明かした。

 実は班長決めの手紙を受け取った翌日、男性は新たに自治会長になった女性の部屋を訪れていた。「班長はできません」と障害者手帳を見せて伝えると、女性は「他の役員にくじ引きの対象者から除いていいか相談する」と答えたという。だが、その日の夜、手紙を差し入れた本人の同じ階に住む班長の女性から「特別扱いできない」と予定通りくじ引きに来るよう念押しされた。

 困った男性は担当のケースワーカーに相談したが、勧められたのは弁護士の無料相談。区役所などでもたらい回しにされ、最終的に紹介された社会福祉協議会の50代の女性コーディネーターとの話し合いで、まずは自治会長と班長に班長業務が困難な事情を改めて説明することにした。

男性がメモを書いた集会所

 男性が亡くなる前日、市営住宅の敷地内にある集会所に自治会長、班長、コーディネーターと4人で集まった。班長は「できることとできないことを書いてほしい」と男性に依頼。その場で3人の問いかけに答える形で、直筆で2枚の便箋につづった。このメモは自治会に保管されていた。

「しょうがいか(が)あります

〇2500えんは ふうとうにいれれます

×おかねのけいさんはできません

〇1たい1ではおはなしできます

×ひとがたくさんいるとこわくてにげたくなります

〇となりにかいらんをまわすことができます

〇ひととあったらあたまをさげることはできます

×いぬとかねこはにがてです

×ごみのぶんべつができません

〇自てんしゃにはのれます

〇せんたくはできますほすこともできます

〇どこでもすーぱーこんびにはかいものできます

〇くやくしょびょういんにはいけます

×かんじやかたかなはにがてです

〇けいたいでんわはつうわのみです

×ぱそこんやげえむはやりません

×よるはくすりをのまないとねむれません

〇きょうえきひははんちょうさんのいえまでもっててわたしできます」

 文頭の〇×印は障害の影響でできること、できないことを示したとみられ、誤字脱字交じりの筆致は震えて乱れ、何度も書き直した形跡もあった。

男性の直筆で書かれた障害の程度を説明するメモ

 「弟が自分から事細かに症状を説明するわけがない。一目で書かされたのだと思い、どんなにつらかったかを想像すると許せませんでした」。兄はメモ作成の場にいた自治会長と班長を訪ねたが、男性の死を知った2人は口を閉ざし続けた。

 ▽証人尋問で明かされたこと

 20年4月、兄は法定相続人の両親を原告として計2500万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。自治会側は「男性は文書(メモ)作成を嫌がるそぶりはなく、自殺は予測できなかった」とする反論書面を提出。審理は平行線をたどった。

 提訴から1年以上がたった21年7月、証人尋問が開かれた。法廷に最初に現れたのはコーディネーター。普段の活動は高齢者の見守りなどが中心だったと説明し、「障害がある人への知識が十分でなかった」と前置きした上で「(役員が)大変なことは分かっている。『全くやらない』ではなく、いかに納得してもらうか考えた」と答えた。

 だが、メモの目的や自治会側とのやりとりは「覚えていない」と曖昧な回答だった。原告側の弁護士から「自殺の責任は感じているか」と問われ、「相談を受けていた結果、そうなったのは残念」と声を落とした。

 男性に班長決めの手紙を出した自治会班長の40代女性も出廷した。髪をひとくくりに結び、白いシャツと黒いズボン姿で現れ、質問に淡々と答えていった。

―なぜメモを書かせたか

 一度会った時に班長を「できる」と言われたのに(一転)「できない」と言われ、信用ならないと思いました。本人に後で見せられるよう書いてもらいました

―班長をやりたくない人は多いのか

 実際そう。他の住民に説明するためにちゃんとした理由が必要でした。

―障害を外に出すのはいけないとの理解は?

 ありませんでした。決められたことはやってもらおうと思いました。障害があるなら自分で話せばよいと思いました。

―寄ってたかって障害について言われたら嫌な気持ちになるのでは?

 そこまで考えませんでした。男性は障害者なので一つ一つ聞いていく必要がありました。嫌がるそぶりも全くありませんでしたし。

 尋問の終盤、「障害の具体的な内容を明かす必要はなかったのではないか」と聞かれた際、少しだけ表情を曇らせたように見えた。「その時は書いてもらうほかなかったです。今となっては必要なかったと思います」

男性の障害者手帳と療育手帳を手にする兄

 続いて証言台に立った自治会長の女性は班長やコーディネーターと同年代。水色の帽子を目深にかぶり、憔悴しきった様子だった。自身はたまたま会長決めの会議を欠席したため選ばれたといい、男性が自治会に未加入であることも知らなかった、と消え入りそうな声で話した。「特定の人を外すととやかく言う人はいる」と証言し、メモ作成が自殺につながる可能性は「全く考えていなかった」と語った。

 ▽ただ静かに暮らしたいと願っていた弟

 証人尋問の終了後、裁判所は和解などでの解決を打診してきた。提示された和解案は、(1)賠償金90万円を支払う(2)自治会長らが謝罪する(3)双方が和解内容を口外しない―だった。障害があることを自書させることは人としての尊厳を傷つけるもので、自治会に対して、二度と同じようなことが起こらないように求める一文も検討されていた。

 だが兄は納得しなかった。「裁判所が寄り添ってくれているとは感じましたが、あくまで1人の兄貴として訴訟を起こしました。弟のために最後まで闘ってあげたい気持ちが先にあったんです。口外禁止がつけばこの先誰にも話すことができず、亡くなった事実までなかったことにされる気がして…。形だけの賠償金や謝罪に意味はないと感じました」。協議は決裂し、訴訟は判決に持ち込まれることになった。

 裁判を続ける中で兄はうつ病を患い、勤め先を辞めた。弟と同様に精神障害を抱える身となり、ただ静かに暮らしたいと願っていた弟のことを考える時間が増えたという。「今でも目を閉じると、空っぽの部屋でたった一人で亡くなった弟の背中が目に浮かぶんです。あのメモを書かされる前に、何かできることはなかったんかなって」

 最終準備書面で原告側は「文書(メモ)はプライバシー権や人格権を侵害しており、男性の自殺の原因は明らか」と主張。自治会側は「文書の内容はくじから外すことを住人に説明するために必要だった」と反論した。

 (追記)判決は3月4日に言い渡された。大阪地裁は、障害の有無や内容を秘密にすることは個人の尊厳に関わり保護されるとして、文書を書かせた行為を違法と判断、自治会側に賠償を命じた。一方、役員らは障害に対する知識が十分になく自殺は予測できなかったと判断、文書を書かせたことによる精神的苦痛のみを認め、賠償額は計44万円にとどまった。

 判決後に記者会見した兄は「誰しも病気や障害があることを知られたくないのは当然」とした上で「自殺との因果関係が認められず、弟に謝りたい」と語った。

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