小泉今日子「まっ赤な女の子」キュートでセクシー?100%のアイドルソング  小泉今日子 デビュー40周年のアニバーサリー・イヤー!

“聖子二世” と呼ばれた花の82年組アイドル、小泉今日子

聖子二世――。

もう、何の雑誌だったか覚えていないけど、いわゆる「花の82年組」の新人アイドルたちの中で、小泉今日子―― キョンキョンはそう呼ばれていた気がする。なぜ、花の82年組なるアイドル黄金世代が誕生したのかはシンプルな話で、1980年デビューの松田聖子サンが1年目で大ブレイクしたからである。

翌81年、レコード会社や芸能プロダクションは、二匹目のドジョウならぬ「2人目の聖子」を求め、自社オーディションやスカウト活動に力を入れる一方、聖子に憧れる少女たちもまた、『スター誕生!』(日本テレビ系)や『ホリプロタレントスカウトキャラバン』(ホリプロ)、『HIDEKIの弟・妹募集オーディション』(芸映)、『ミス・セブンティーンコンテスト』(CBSソニー / 集英社)等々にこぞって応募した結果―― 両者の思惑が一致し、極めて有望な新人が数多く発掘されたのである。

ちなみに、84年組も菊池桃子サンや岡田有希子サンら、割と人材が豊富だったんだけど、それは82年の中森明菜サンを始め、花の82年組の活躍に触発されたから。つまり、そこには2年のタイムラグがあるのがミソ。その狭間の81年組と83年組が、今ひとつ寂しいのはそういうことである。

「スター誕生!」合格、デビューシングルは「私の16才」

で、改めてキョンキョンである。彼女が中学3年の時に『スター誕生!』で合格して、バーニングプロダクションとビクター音楽産業と契約したのは有名な話だ。ちなみに、決選大会で歌った曲は石野真子サンの「彼が初恋」。彼女に上がった札は3社で、あとの一社は尾木プロダクションだった。尾木プロと契約してたら、その後のキョンキョンはどうなっていただろう。

かくして1982年3月21日、キョンキョンは「私の16才」でデビューする。彼女にとってラッキーだったのは、「花の82年組」というくくりで、デビュー当初からアイドル雑誌やアイドル番組に呼ばれる機会が多く、比較的知名度があったこと。

当時はアイドル番組も多く、『ザ・ベストテン』に出られなくても(彼女がデビュー1年目に同番組に出演できたのは、スポットライトの「私の16才」と初ランクインの「ひとり街角」の2回だけである)、毎週、テレビで歌える機会がそこそこあった。『パリン子学園No.1』(TBS系)なんて、花の82年組のためのレギュラー番組もあったくらいだ。

ザ・ベストテンには10位で初登場、「まっ赤な女の子」

しかし、である。

正直、デビュー1年目のキョンキョンは、花の82年組の中でも―― こう言っては申し訳ないが―― 今ひとつパッとしなかった。中森明菜サンは別格としても、ホリプロの堀ちえみサン、ハワイ育ちの早見優サン、京娘の三田寛子サン、美脚の石川秀美サンらに比べ、キャラが立っていなかった。実人気は別として、なんというか、輪郭がボヤけていたのだ。頭の中で彼女の顔を想像しても、キョンキョンだけ、ちゃんと思い浮かべることができなかった。

もっとも、個人的には、キョンキョンのビジュアルは同期の中でも、かなり上のほうだと思っていた。当時、僕の82年組の推しメン(当時はそうは言ってなかったけど)は、伊藤さやかサンと明菜サンと北原佐和子サンと―― キョンキョンだった。4人とも顔が可愛く、ビジュアル面でタイプだったからである。

そして冒頭に戻る―― 聖子二世。確かに、キョンキョンは82年組の中でも、最も聖子サンに似ていたと思う。当時のアイドルはみんな “聖子ちゃんカット” だったから、髪型は言わずもがな、小づくりの顔や、ちょっと薄目の美人顔は、聖子サンの系統だった。だが、逆にそれが、キャラという面でマイナスに働いたのも事実で、終始、輪郭がボヤけていた気がする。そう、あの日までは――。

あの日―― 忘れもしない1983年6月2日、『ザ・ベストテン』の10位に初登場した、キョンキョン5枚目のシングル「まっ赤な女の子」である。

チーム小泉今日子本気の布陣、康珍化×筒美京平

 ぬれたTシャツ ドッキリ
 脱げばキラリ 赤いビキニ Yeh! Yeh!
 あなたチェアーの上で
 薄目あけて わたしのことを見た

作詞・康珍化、作曲・筒美京平―― なんと、キング・オブ・歌謡曲、筒美先生のお出ましだ。いよいよ、チーム小泉今日子も本気になってきたらしい。

まず、なんてったって、タイトルがいい。「まっ赤な女の子」―― 僕は、このタイトルを雑誌か何かで見た時、まだ曲を聴く前だったが、直感的に「これは売れる!」と思った。歴代のアイドルソングの中でも、このコピーはかなり秀逸なのではないか。これと匹敵するタイトルは、聖子サンの「夏の扉」と明菜サンの「セカンドラブ」くらいしか思いつかない。作詞の康珍化サンの名は、伊藤さやかサンの「恋の呪文はスキトキメキトキス」で認識していたけど、間違いなく天才である。

そして、衣装だ。このタイトルに合わせて、まっ赤な衣装。でも、単に赤いだけじゃなくて、ちゃんとコーディネートしていて、オシャレ。毎回同じ衣装ではなく、赤を基調としつつ、微妙にアレンジを変える点も新しかった。しかも、彼女の個性に合っている。

極めつけは、筒美メロディ。もう、このタイトルには、この曲しかないでしょ!と言いたくなる100%のアイドルソングだ。Aメロからして、アップテンポでコミカル。彼女の声質に合っている。声もカワイイ。筒美先生、キョンキョンを生かそうと、ちゃんと本気を出してきた(笑)。

完璧なサビ! 一度聴いただけで覚えられる優れたアイドルソング

 まっ赤な まっ赤な女の子
 まっ赤な まっ赤な女の子
 抱きしめられたら
 瞬間ウキウキ 水蒸気

もう、この完璧なサビである。まるでアイドルソングの教科書のよう。なんてシンプルで、耳に残る旋律だろう。僕は、優れたアイドルソングは一度聴いただけで覚えられると思っているので、タイトル=サビ=キャッチーなメロディの同曲は、迷わず正解である。

そうそう、この時の振り付けも印象的。彼女はミニスカートの右足を、サビのピークで2度上げる。いわゆるセクシーポーズだが、これをキョンキョンがやると、可愛いだけで、まるでセクシーに見えない(褒めてます)。

え? あのことに触れないのかって?

まぁまぁ、慌てない慌てない。一番の大好物は最後まで取っておくと言うでしょ。じゃあ、そろそろ行きますか。

ショートヘアーで登場! 記憶された小泉今日子のアイコン

「まっ赤な女の子」を歌うキョンキョンを見た僕らは、思わず「あっ!」と声を上げた。そう―― 彼女は髪を切って、ショートになったのである。

翌日の学校は、彼女の新しい髪型でもちきりだった。僕は楽曲の話もしたかったが、野郎どもの関心は、何を置いてもビジュアルである。

「キョンキョン、髪切って可愛くなったじゃん!」

―― それが、衆目の一致するところだった。実際は、前シングル「春風の誘惑」の時に切ったらしいが、世間は『ザ・ベストテン』で見て、初めてその事実を知った。視聴率30%台の番組とは、そういうもの。つまり、ここへ至り、やっと彼女は “見つかった” のである。

僕自身、もうキョンキョンの顔を思い浮かべても、ボヤけることはなかった。ショートヘアー、小顔、整った目鼻立ち、尖った顎―― 僕の脳裏に、その新しいアイコンはしっかりと記憶された。そして歌う楽曲は、キュートで100%のアイドルソング「まっ赤な女の子」。

声もカワイイ。そのアイコンは静止画ではなく、動画で、しかも音声付きで保存された。もう、キョンキョンにとって、これを超えるアイドルソングは登場しないんじゃないか。僕はそう確信した。

「渚のはいから人魚」がリリースされるのは、この10ヶ月後である。

カタリベ: 指南役

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