高卒プロ諦め大学へ… ドラ1指名を掴んだロッテ鈴木昭汰が乗り越えた“落選劇”

ロッテ・鈴木昭汰【写真:荒川祐史】

常総学院の部長を務める松林康徳氏が、高校時代の鈴木昭汰について語った

決して順風満帆でたどり着いたドラフト1位ではない。プロ2年目を迎えたロッテの鈴木昭汰投手は、茨城・常総学院高時代に挫折も味わった。悔しさを噛み締める姿を間近で見ていたのは、野球部の部長だった松林康徳氏。左腕の成長へとつながった“落選劇”を振り返り、最高峰の舞台で奮闘する教え子にエールを送る。

「無理していたとは思いますよ。プロ、プロって公言することで、気持ちを保っていたんじゃないかな」

当時の鈴木は、少し背伸びをしているように見えた。土浦霞ヶ浦ボーイズ時代に全国大会で準優勝し、侍ジャパンU-15代表にも選出された。地元の名門・常総学院高に進学し、1年秋からエースとして選抜8強に貢献した。翌年も2年連続で選抜に出場し、2016年には夏の茨城大会も制覇。3度目の甲子園出場は順調そのものにも思われたが、3年夏の甲子園期間中に松林氏にかかってきた1本の電話が、鈴木の人生を大きく変えた。

「花輪くんが、第1選考で選ばれました」。U-18代表の選考委員からだった。呼ばれた名前は、三塁を守っていた花輪直輝。鈴木は第1選考も通らなかった。「つい聞き返しちゃいました。『え? 昭汰は?』って」。当時の代表には、千葉・木更津総合高の早川隆久(現楽天)を筆頭に、広島新庄高の堀瑞輝(現日本ハム)、大阪・履正社高の寺島成輝(現ヤクルト)と好左腕が揃っていた。鈴木は2年の冬に左肩を怪我していたこともあり、選考から漏れた。

本人に報告するか迷ったが「いずれ分かることですしね。落ち込んで言っても仕方ないと思った」と松林氏。「昭汰、お前候補に入っていなかったぞ」と伝えると「え? もう一度確認してください」と、納得いかないといった表情で聞き返してきた。

常総学院・松林康徳部長【写真:川村虎大】

2016年夏の甲子園、履正社戦の前に鈴木昭汰は驚きの言葉を発する

目に見えて落ち込んでいるのが分かる。ただ、もともと負けん気の強い男。落選を伝えた次の試合は、8強をかけた3回戦で、奇しくも相手は寺島を擁する履正社だった。鈴木は試合前、報道陣にこんな言葉を発した。

「勝てる投手は誰か証明したい」

強気の本人とは裏腹に、報道陣の後ろで見ていた松林氏は焦った。「ヒヤヒヤしましたよ」。この発言が全国に広まることで、様々な捉え方をされてしまうリスクもある。もし打たれたり、負けたりしたら、批判される可能性もあった。

しかし、鈴木は有言実行してみせた。履正社打線に13安打を浴びながら、4失点で完投勝利。寺島に投げ勝ち、常総学院を3年ぶりのベスト8に導いた。

その後も、鈴木は“高卒プロ”を目指し、メディアにも公言した。しかし、スカウトからの評価が高くないことを知っていた野球部の佐々木力監督が大学進学を提案。ギリギリまで悩み抜いた結果、プロ志望届を提出せずに法大へ進学した。決断に至った思いを、松林氏は推し量る。

「このままプロに入るのは無理だって分かっていたと思います。気持ちが切れないように言い続けていたんじゃないかな。大学進学でもいいやって思うと、頑張ってきたものがプツッと切れてしまう」

2年の冬に左肩を故障し、U-18代表からも漏れた。それでも、周りが作った“鈴木昭汰”の期待に応えないといけない――。「無理していたんじゃないかな」と振り返る。

それから4年後。鈴木はドラフト1位という最大限の評価を得てプロの門を叩いた。1年目の昨季は先発、中継ぎをこなし、23試合に登板。初勝利を挙げ、1勝4敗、防御率4.08だった。「可愛いやつだから。さらに活躍してほしいですね」。高校時代、幾度の苦労を乗り越えてきたのを見てきた。松林氏は優しいまなざしで、教え子の活躍を願った。(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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