<書評>『筑紫哲也「NEWS23」とその時代』 報道の「DNA」問う

 重い。こんなに重く背表紙を閉じた本はない。もちろん金平氏の筆致は快活で、「筑紫哲也のNEWS23」を軸にテレビ黄金期を振り返るこの本は、多くの読者にとっては少し切ない、丁寧なドキュメンタリーを見たような読後感を残すだろう。
 しかし、1987年から2014年まで、地方局の片隅とはいえ、テレビ報道にどっぷり漬かりキャスターをやっていた私にとっては1989年にキラ星のごとく現れた筑紫さんの存在は強烈だった。常に手本だったし、2008年の降板までに番組を襲った数々の危機、命がけで支えるスタッフの群像は、自分の傷とも重なり涙が出る。そして「筑紫さん後」に訪れる、澱みゆくメディアの終末期の様相。その責任の一端は自分にもあることを突きつけられてしまう。
 金平氏はテレビ放送が始まった年に生まれ、報道を志してTBSに入社、記者、ディレクター、プロデューサーもこなし、還暦を過ぎた今も「報道特集」のキャスターを務める。まさに「ザ・テレビ報道マン」だ。 
 筑紫さんが最後の「多事総論」で言い残したのは(1)権力の監視役であれ(2)少数派であることを恐れるな(3)多様な意見や立場を登場させ社会に自由の気風を保て―の3点。それを本では「NEWS23」のDNAと名付けているが、そのDNAを誰より太く背骨に貫きまっすぐに歩いてきたのは金平本人ではないか。
 彼自身の当時の記録も細かいのだが、さらに番組関係者一人一人訪ねて取材し、あの時代、テレビスタジオから全国に確かに発信していた躍動感や輝きの正体を、あらゆる角度から浮かび上がらせようとする。しかしそれはまるで、砕け散っても輝こうとしている破片を丁寧に拾い集める作業のようでもあり、その光を、テレビニュースを軽視する人々にも見せてやろうとする、金平氏の気魄(きはく)を見る思いがする。
 「局内に残って闘わないで、どうすんの?」。辞めていく私に言った金平氏の言葉が今も重い。彼は、テレビと刺し違える覚悟でいる最後の闘士なのかもしれない。
 (映画監督・三上智恵)
 かねひら・しげのり 1953年北海道旭川市生まれ。ジャーナリスト。77年にTBSに入社。モスクワ支局長、ワシントン支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長などを歴任。2010年から報道特集のキャスター。

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