<ニカラグア写真報告>裏切られた革命(2)副大統領はオルテガ夫人のムリージョ…国民監視組織のトップ

ロサリオ・ムリージョ副大統領。オルテガ氏の妻である。2019年7月、マナグアで開催された革命40周年式典で。

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2022年1月10日、前年11月の選挙で「圧勝」したダニエル・オルテガ氏が5期目の大統領に就任した。5年の任期を全うすれば、都合25年の長期政権となる。妻で副大統領に就いたロサリオ・ムリージョ氏との現在の支配体制を、現地では「オルテガ―ムリージョ体制」と呼ぶ。二人が率いる与党サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)の権力基盤となっているのが、国内に張り巡らされたFSLNが作った住民組織「CPC(市民権力委員会)」だ。2007年、政権に返り咲いたオルテガ氏が創設し、ムリージョ氏がそのトップを務めている。今回の取材では、市民の自由を奪う存在として「市民権力委員会」の名前を何度も聞いた。それはどのような組織なのか。(文・写真 柴田大輔

◆住民を監視する住民組織

「『市民権力委員会』に監視されている」

こう話すのは、首都マナグア市南部に暮らすヒオバニ・ロドリゲスさん(41)だ。

きっかけは2018年、国中で反政府運動が盛り上がった時のことだ。学生らが市内各所にバリケードをつくり治安部隊と対峙した。4月22日早朝、ヒオバニさんの自宅近くでデモ隊と警察が衝突すると、近くを通りがかった甥のジェスネル・リバスさん(当時16歳)を警察の銃弾が襲った。

知らせを聞いたヒオバニさんが駆けつけると、ジェスネルさんは首の付け根から血を流し倒れていた。すぐに病院に搬送されたが出血がひどく、その日の午後に死亡した。混乱の中で遺体を引き取ろうとするヒオバニさんに警察は、告発する権利を放棄する書類にサインさせた。その後、ヒオバニさんは人権団体を通じて警察を告発するが、未だ応対されていない。

「私は甥を、実の息子として育ててきました。怒りしかありません」
そう憤るヒオバニさんは、人権団体を通じた告発とともに、国内外を問わずメディアの取材に答え、事件を訴え続けている。

「告発し始めてから、私たちの行動を『市民権力委員会』が監視するようなり、付き合いのある人が離れていきました。私は自宅で自動車修理工をしていますが、客が離れ生活が苦しくなりました。もしもの時のために、先日パスポートを取りました」

万が一の時は、家族と国外へ逃れることも考えているという。一方で、その言葉を打ち消すようにこう話した。

「私たちは何も悪いことなどしていません。逃げたくない。甥のために闘います」

2018年に警察に射殺されたジェスネルさんの叔父ヒオバニさん(左)と祖母のマリッツァ・ルエダさん。2021年11月、マナグア。

◆「市民権力委員会」の正体とは?

「市民権力委員会」は、1990年の選挙に敗北したオルテガ氏が、17年ぶりに政権復帰した2007年に設立したFSLN党による住民組織だ。「直接民主主義」を掲げたオルテガ氏が、地域で議論される国民の意思を直接国政に反映させることで、政治から排除されていた国民を支持者として取り込もうとした。政権の安定のために、脆弱な支持基盤の強化が必須の時期だった。「市民権力委員会」は全国の市内各地区に支部を置き、FSLNの党員がメンバーとなっている。

「市民権力委員会」の働きを全国紙の元記者であるオスカル氏(仮名)が説明する。安全のため、彼の顔と実名を伏せている。

「『市民権力委員会』は、住民の声を党に伝えるだけではない。大統領夫妻の意思を住民に伝えるパイプ役でもある。また、低所得者向けの融資や住宅補助など、政府の社会福祉政策にも関わっている。地域でだれが支援を受けられるか、その選定を担っている」

選挙や政府主催イベントへの動員も担っている、とオスカル氏は付け加える。強制ではないが、拒否すれば仕事への影響など圧力もあるという。さらにこう続ける。

「自治体の首長がFSLN以外の人物の場合、『市民権力委員会』の地方政治への干渉はもっと強い。おかげで地域の自治組織は機能しなくなった。さらに2018年の大規模反政府デモ以降、住民監視が強化された。例えば、見知らぬ人物の訪問や、怪訝な行動があれば当局に情報が伝えられ、取り締まりの対象になることもある。

2018年に、全国に拡大した反政府抗議には数十万の国民が声を上げた。政府は武力で鎮圧したが、今もむ反発は残っている。『市民権力委員会』による監視は、国民の反乱を恐れるオルテガ夫妻の意思だ。地域では疑わしい人物の逮捕だけでなく、殺害事件も起きている」

オスカル氏が所属した新聞社は、2018年の政府の暴力を告発したことで圧力を受け、廃刊に追い込まれている。

ジェスネルさん殺害事件を伝える新聞各紙。

◆オルテガを支えるベネズエラのオイルマネー

脆弱だったオルテガ政権を資金面で支えてきたのが、年5億ドルに及んだベネズエラからの石油を介した巨額の援助だ。オルテガ政権はこの資金を元に、社会保障を充実させ権力基盤を整えようとした。だが、この資金は同時に腐敗の温床となった。

援助をオルテガ氏の影響下にある民間企業に担わせ、議会の監査を逃れた。これらの企業の子会社に親族や側近を就任させ、資金を流用した疑いも出ている。議会を通さず自由に使える巨額の資金が、オルテガ氏の力の源泉となった。その末端に、党と住民をつなげる「市民権力委員会」が位置づけられた。

政敵を排除し、国内の反対派を抑え込んで行われた昨年のニカラグア大統領選挙を、EUのジョセップ・ボレル外交政策上級代表は、「(今回の選挙は)独裁体制への転換を完成させるものだ」と評した。

2014年に石油価格が下落して以降、ベネズエラからの支援は激減した。社会保障費は赤字となって積み上がり、国民の支持は離れていった。独裁強化は、その反動といえる。 (続く)

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革命40周年式典で壇上から支持者の声援に応えるオルテガ大統領(右)とムリージョ副大統領。2019年7月、マナグア。

<ニカラグア>
左翼ゲリラ・サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)を率いたオルテガ氏は1979年、ソモサ一族による独裁政権を倒し革命を成功させ、84年、大統領に初当選。90年の選挙で敗北するが、06年に大統領に復帰すると、14年、大統領の再選禁止規定を撤廃し、17年には夫人を副大統領にした。18年の反政府デモへの武力鎮圧では300人以上が死亡するなど、強権的な独裁政治が批判される。21年の大統領選で勝利し、4期連続5回目の大統領に就任した。

柴田大輔(しばた だいすけ)
1980年茨城県出身。2006年よりニカラグアなど、ラテンアメリカの取材をはじめる。コロンビアにおける紛争、麻薬、和平プロセスを継続取材。国内では茨城を拠点に、土地と人の関係、障害福祉等をテーマに取材している。

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